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2022年3月1日火曜日

2月24日(木)[渋谷道頓堀劇場]

るあん(1-2)
ちか(1-2)
ake(1-2)
友坂麗(1-2)
赤西涼(1)


武藤さんからめずらしく「友坂さんの『ショータイム』を見ろ」と二度も連絡が来た。


『ショータイム』。M1は黒いハットの下にピンクのウィッグ・ピンクがアクセントのファージャケットという出で立ち。振付もかわいらしくてキュートな友坂さん。が、上手で椅子に腰掛けながら一瞬袖に上体を入れたかと思うとウィッグを処理して黒髪に。マジックのような鮮やかさ。そして、その椅子を横倒しにして椅子と絡みだすと途端に"いつもの"友坂さんの空気に。椅子を倒すのは今回のバージョンからとのこと。ラストは髪を振り上げてのベッド。
髪が大きく顔にかかっていてもそれが自然と落ちていくのに任せるさまは、さながらあたかも衣装が剥離していくような例の姿と同列にある。友坂さんの踊りのうちでは重力が捉え直される契機がある。


『咲いた』はベッドでの"何もしなさ"が際立つ。昭和史を代表するアイドルの名曲が流れるなかで、襟が落ちたりまた肩まで上げられたり、袖から抜ききらないで衣服の(また)剥離だけが反復される。以前も書いたがそれはお好み焼きの上で踊る鰹節みたいな動きで、比喩にすると貧相だがどうしても目で追ってしまう不規則で不随意な、それだから予め「読む」ことのできない純然たる動きがそこに起きている。


るあんさんの『逢魔ヶホテル』M1の振付に新味があり(北川れんさん振付とのこと)、るあんさんの止めハネしっかりした踊りの個性を際立たせるものだった。時計の針のようにカチッと動きつつ、しかし目を凝らせば微妙な反動があるようなグルーヴもあり、かなりよかった。


また周囲に気を取られた、という話なのだが、どうにも集中力に欠くお客さんが多くて難儀した。ステージがはじまるたびに立ち上がって移動したり探しものをしたり、別に自由なのだけどノイズを拾いすぎてしまう場面が多かった。この変化というのか敏感になってしまったのは観劇によって発達した神経がつくる副作用なのだろうか...?


正月以来の友坂さんだし『ショータイム』も気になるしで行ったのはいいが、何か本調子でなくてちゃんと見られなかったかもしれない。蕨も含めて記事を書くのも間が空いてしまった。

2022年1月1日土曜日

1月1日(土)[川崎ロック座]

前田のの(1-2)
友坂麗(1-2)
武藤つぐみ(1-2)
水戸かな(1)
翼裕香(1)
織田真子(1)


三番叟やら元日の様子やらを見たくて。元日といえども特に何の変わりもない「劇場」であった。混んでたけど...

6香盤ということはオープン含めひとり20分のショータイムだとして、純然たる「持ち時間」を消化するなら120分で終わるわけだが、1回目が終わったのが16:00過ぎ。ショーと同じ時間がポラに割かれていた。別にそれは嫌ではないが、さすがに立ちっぱなしで4時間は身に堪えて、2周せず離脱。

友坂さんの新作はやや緊張の面持ちとはいえ、さすがのベッド。全体に音量低めでかなり残念なのだが、大きい音でM4が聞ければ抜群の効果なのではとおもう。

『翔鳥』冒頭で羽根を放り投げてそれがゆらゆらと宙に漂う間、『夕鶴』で見たような時間の遅さがあらわれる。友坂さんは自ずから扱うものに等価の役割があるかのようで、ちょっとした小道具も友坂さんの身体を通過することで強くフォーカスがあたるような出来事がある。そうした焦点距離の中で脱衣が行われると、あたかも有機体のようにして服が自ら身体から離れていくような(同時に、子供の頃にお好み焼きの上で踊る鰹節を眺めていたことを思い出す)感触が生じる。


最近、あまりよくない傾向として「劇場」に適合しないような動きをする観客がちょっと気になりすぎてしまう事が増えた。一個不審な動きがあると、大抵は他にも観劇の妨げになるような行為をしがちなので、あーやっぱり、などと思ってしまう。ノイズが発生するのが公共空間なのだから、ノイズは最大限許容したいと考えているが、妙に敏感になってしまっている。

2021年11月13日土曜日

11月13日(土)[渋谷道頓堀劇場]

eye(2)
緑アキ(2-3)
JUN(1-4)
玉(1)
友坂麗(1-4
)


JUNさんがいつもどおりチャーミング。演目ごとにテンションが上下せず、表情も多く変化させないのに豊かな空気があって、居心地がいい。どうして一本調子に感じないのだろう。もちろん、細部に行き渡る芸の心のようなものが支えてる部分はあるにせよ。

友坂さん4個出し。「結証」「Jumping」「翔鳥」「neon party」。なんといっても初見の5中以来になる道劇での「Jumping」。ポップソングで踊る、ということがあるとき、この友坂さんの踊りは極北に位置している。極遅のゆらぎがビートと全く対応せず、震えるような身体の運動が空間を不規則に刻んでいくと、どうしてか強く巻き込まれてしまう。オンビートでは出せないグルーヴのようなものですらなく、なんと言っていいか分からない。実際、舞踏の踊り手が比較的ダンサブルな音楽を選ぶことだってあるが、自分は友坂さんのように踊れている人を見たことがない。そもそも、キメるところはがっつり音を取ったりもするのだから、一律な方法論でもない。かといって自在に音の波を乗りこなしているとかでもなく、もう一度言うが、何と言っていいものかまったく分からない。
約半年ぶりに観た「Jumping」はそれでも"踊り慣れた"という印象があることに驚き。そうした慣れや硬さといった基準から離れているのが友坂さん、という感覚もあったが、やはりそんなこともないのだった。

この日、友坂さんのお客さんと少しお話する機会があり、友坂さんのお人柄についてエピソードを交換した。あんまり踊り子さんに対してそういう視線を持たないようにしてはいるものの、友坂さんはやはりパーソナルな部分でも相当に魅力的だということを確認した。

2021年11月9日火曜日

11月9日(火)[新宿ニューアート]

広瀬あいみ(1-2)
友坂麗(1-2)
ののか(-)
麻倉ゆあ(-)
天瀬めるか(-)
原美織(-)


ふとTwitterを見たら友坂さんが「夕鶴」を出すとのことで、悩んだ末そこだけ観に行くことに。ほかは切羽詰まっている同人誌の作業に充てる。こんな日に限ってひどい雨。

1回目は「結証」。中国風の衣装をまとった友坂さんが横笛を構え、傘が脇に立てかけられている盆始まり。この画が信じられないほど決まっている。M1かなり長く踊っていて、尋常なストリップの時間感覚からすこし外れる。衣装替えのとき、下手に置いた傘の後ろに立って背中を向けて最初の衣装を脱ぐのだが、ストンと体から落ちる服にあっという声が出そうになる。友坂さんではしばしばあることだが、木の枝に積もった雪が重みに耐えかねて地面に落ちていくようなニュアンスで服が脱がれることがある。
ベットはある意味ではいつもどおりだが、こちらが慣れているだけで至芸のひとこと。そして、貴人のような姿の着衣からすべて脱ぎ去ったラスト、その堂々たる姿に裸体への恥じらいを持つ者を窘めるような気高さが溢れる。

2回目「夕鶴」。評判高く期待があったが、M1からあれ、という違和感があり、しかしベット入りすれば...と考えても違和感拭えず、まさか友坂さんでこんなことが...と思うのだが、最後までいっこうにチューニング合わずじまいに終わった。夏場でも見たことがないほど汗をかいている友坂さんのパフォーマンスに瑕瑾があったとは思えず、どこか「浅草っぽい演目だ」と感じたところにノれずじまいだった理由があるかもしれない。しかし、あまり深入りせず、再見のときまで判断は先送りしておく。
舞台中央奥に据えられた屏風と羽がメインのギミック。両手に持った羽を屏風の向こうに処理するとき、風を受けた羽が突如としてスローモーショーンで落ちていく。この"遅さ"の現れは、屏風のおかげですぐに羽の姿を隠し、本当に一瞬しか視認できない。ただ、その落ち行く間が、ポーズを切るときと同等の間のようでもあって、ひじょうに忘れがたい。

広瀬あいみさんの1回目の演目が良かった。ほんとうに端正でお手本のような進行。大きい羽根扇子が頭と終わりでしっかり視覚的に効果高く扱われて、鮮やかだった。

2021年10月16日土曜日

10月16日(土)[DX東寺]

京はるな(1)
蜜マリア(1)
くるる(1)
友坂麗(1)


数年ぶりの京都それ自体にアガってしまう。最高の街...もともと仙台でお店を営まれていて、京都へ移転されていた菓子店にもようやく行くことができた。ブラウニーのように濃厚なチョコレートクッキーを買う。そして、以前どこかでたまたま見かけてチェックしていた精肉店のビーフジャーキーもあわせてお土産に買う。彩りのかけらもない。

DX東寺は住宅街の中にいきなり現れる。居住まいの異様さは随一。場内噂通り広い舞台・高い天井。ふつうの劇場であればそこまでのサイズではないのだが、いつもの「劇場」の狭さに慣れると広大にすら見える。

京はるなさん。先日の渋谷でも見た「サキュバス」。演目が始まると、なかなかの音量で音が流れる、のはいいが、ハイがきつくて耳が少し痛い。ローカットしまくりも残念だけど、たっぷりした音のデカさはうれしい。
照明効果は抜群。高い位置から入るブルーのかっこよさ。渋谷でのそれとはまた違ったドラマチックな見栄えで、もちろんパフォーマンスもあいまって「ストリップ見てるな〜!」という素朴な満足感に浸れた。

くるるさんも渋谷以来だが、今回の演目はそうとう素晴らしかった。某三人組アイドル曲縛りのキラキラした演目かと思いきや、盆入りからの夢幻的なオナベにぞくぞくさせられる。何より、楽曲がまさかのオルゴールバージョンで、あんなどうしようもない音楽がこれほどパフォーマンスにマッチする可能性を少しも考えたことがなかったので、衝撃的でもある。フレーズがクレッシェンドしていくところと、それに応じるように手の動きがわずかに早まるようにみえるエロさ。いや、むしろ手の動きに応じて音のほうが高まっていくというふうにすらみえる凄さ。
曲が移っても、安易にポーズを切ったりせず、夢うつつの官能を残しながらゆらゆらと身悶えが続く。180°の縦開脚から続いてうつぶせにグラインドして髪を振り上げる動きを反復。ポーズらしいポーズはラストのL一回だけ。最高だった。

友坂麗さん。出てきたときから緋色の衣装が決まりまくっている。わずかに見える両手と両足の素肌が意味不明なまでに輝く。手の揺らぎが起きるだけで、なぜか早々に泣いてしまい、感情の動きとほとんど無関係にボロボロ泣き続けてしまう。M2冒頭の目潰しのバックライトがつくるシルエットが格好良すぎて卒倒しかける。ベットでは、一枚の緋色の布にくるまっているところからスタート、ゆっくり身を動かしていくと、布が崩れ去るように床へ落ちていく。あの布の動き...ポロ、ポロと少しずつ剥がれるようでもあるし、羽化のようでもあるし、友坂さんの体から落ちる布は、いつも踊っている。
東寺の盆は回らないのに、友坂さんの踊りの密度が高すぎて、不在の円運動が錯覚されてしまう。意志とは無関係に何かが、視覚では捉えきれない海流のようなスケールで空間を巡っている。
それにしても、ラストの選曲、あれほど人口に膾炙した、なんだったら少しギャグっぽくすら響いてしまうポジティブさが、ごくごくベタにストレートに響いてしまうことへ、何度でも驚いてしまう。

くるるさんのときもそうだけど、ストリップは音楽の聴き直しが本当に何度も起きてしまう。

2021年9月10日金曜日

9月10日(金)[ライブシアター栗橋]

海野雪妃(1)
萩尾のばら(1)
宇佐美なつ(1-3)
悠木美雪(1-3)
友坂麗(1-3)


楽日。久々の晴天。夏が戻ってきた。送迎の往路、マスク越しにも田んぼの匂いが立っているのが分かる。
先日道劇で宇佐美さんを見せた友人に友坂さんも見せたく、誘う。ちょうど休憩のタイミングで到着したので、しばしそのままベンチで話し込む。『GTA』の世界にありそうな場所だ、などということを放言する。

宇佐美さんについて、たまには限りなく短くして、言いたいことを圧縮してみる。

・「サマーチュール」世界一エロい。世界一最高。

・「うそつき」過去に見たことないような表情の豊かさ。パフォーマーとしての発展余地を見せつけるような回。

・「w-e(n)dding」オナベは、たとえば生き物の出産に立ち会うような、それをなしとげる様子をただ見守る、というような時間になりつつある。性=生の時間。

まだ何も形にならないが、ストを見ていて「時間」というものを考えることが増えつつある。ある現象ではなく、さまざまに移り流れる「時間」という幅について。


友坂さんも3個出し。が、この週は12個出しだったということがわかる。すさまじい。今回とりわけ素晴らしいと思ったのは「Smile」の後半。袖から椅子を取り出して、束ねていた髪を解いて、ピンクのドレスに着替える。いってしまえばこれだけのことに4分近く時間を使い、けれどもそこには「踊り」としか呼ぶことができない身体の充実が満ちている。
椅子の上で身悶えるようにして下着を取り外すとき、身体部位の布置が組み変わり、あの豊かな黒髪を起点にして、靴・下着・陰毛・睫毛・眉毛たちが「黒」の系列として押韻をなすようにして、さらにドレスのピンクと対照してみえだすことが起きる。
続いて、極上のポップソング(自分の好きな曲だった)で、あの無二の舞踏が繰り広げられる。踊りを見る身体は同期に向かいつつもそれが叶わず、多方に感覚が散らばって身体を捻じ曲げようとする。それは快い掻痒感のような微妙な感覚と、引き絞られるような感覚を行き来する。
なにより、こうした踊りに友坂さんの支配的な意志や狙いが希薄で、だからこそどこまでも安心してその踊りに身を任せることができる。友坂さんは強く観客を「見る」パフォーマーでもあるが、自分が「見られる」ことに対しても、どこまでも自分を開いている。
ポーズを切るとき、ほんの瞬間、しかしはっきりと確実に客席へ顔を向けてから身体を反らしてみせたりすることがある。あの眼差しが正面からやってきたことに囚われてるうちに、ポーズ=全身へと視界が拡大される。踊り子が「見られる」ことを望むとき、友坂さんはその関係を曖昧にせず、まず自分から「見る」ことで「見る/見られる」の関係を直ちに構築する...

4つの演目を新たに見ることができ、ますます友坂さんの踊りに惹かれていく。そして不思議と、こちらを認識してもらえていると思うと、また見に行こうと思う動機ができてしまう。

せっかく圧縮して書いたのだけど、ふと「うそつき」の耳・尻尾の消失について思ったのは、自分がマジックをやっていたことで、ものが"消失"することの官能に敏感なことはあるかもしれないな、と気づいた。
自分は、全体の構成的必要とは必ずしも関係が薄い細部の官能性にこだわるほうだった。さらに、アイドルを見ているうちにキャンセルしていた官能性への視線が、ストリップを観ながら思い出していく作業のうちにいる、と考えている。

2021年9月6日月曜日

9月6日(月)[ライブシアター栗橋]

海野雪妃(1-3)
萩尾のばら(1-2)
宇佐美なつ(1-3)
悠木美雪(1-3)
友坂麗(1-3)


武藤さんがこの日栗橋に行くという連絡が。昨日までの疲れもないので自分も行くことに。木曜ほどでないが、空いているのでかぶりに座れてしまう。

「サマーチュール」は前開き水着バージョン。そして、最前上手端だったので花火の促しをされる役。帽子も被ったし「サマーチュール」で客がやられること、コンプである...盆入りの舌出しは今回はなかった。

「うそつき」の耳と尻尾の消失にエロを感じるという話がうまく伝わらず、別に強く主張したいわけでもないのだけど、かすかにエロさが香ってくる感触をちょっと書いておく。
フェイクの耳と尻尾には、その身体を演目上の「キャラ」として記号化する機能がある。目の前にじっさいの腕や脚という肌が見えつつも、まずはその「狐」の役柄を優先して認識する働きがあるだろう。
これがストリップだと分かって見ている我々は、狐がいつか服を脱ぐということが予想できている。けれども「うそつき」では、狐が狐のまま脱衣することはない。狐は人間へと脱衣する。
袖にハケてから再び舞台に現れると、耳と尻尾は消失する。帽子を脱ぐとそこに耳はなく、尻を撫でると尻尾がない。ここで観客は記号的な役割としてのキャラから、具体的な肉体へとフォーカスを移すことになる。つまり、素朴な衣服の取り去りだけでなく、いわば意味の水準で"キャラからの脱衣を見る"ということ。
またその焦点変化の際、消えた耳をなぞるようにして髪を撫ぜて耳にかける仕草が出てくる。「うそつき」における裸の現れは、この"耳"に先行する。消えた記号的な耳と、現れる肉体の耳。あらかじめ性的な価値を帯びている胸や尻や性器ではなく、記号によって隠された"耳"という肉体が露わになることが、この演目における「ストリップ」の中心である。文脈の設計によって、肉体の価値は更新されて、それをエロさとして受け取ることが可能になる。

こんなに強く読み込まなくてもいいようなことなのだけど、まあ一応...

おもしろ登場シリーズに新作。なんかのおまけでもらったというベルトコンベアの寿司のおもちゃを持って「宇佐美寿司開店だよ!」と威勢よく現れる。何なんだ。ポラのときもそれを使っていろいろしてたが、公序良俗に配慮して割愛。

友坂さん「結」「GTR」「弦月」の3個出し...どころか、どうやら今週毎日のように演目が変化しているらしい。

かぶりで見ると、あの代名詞的な視線をもろに受け止めることになる。こんなに他人と見つめ合うことはあるだろうかと考えてしまうが、そうせざるを得ない視線であり、そうすることが喜びであるような視線に、ただ見つめ返してしまう時間が何度も訪れた。
あの視線から、何か具体的な意味やメッセージを読み取ることはできず、そしてむしろ意味の無さこそが、あの視線の強さを支えている。強さ、といっても一向に支配的ではなく、かといって無闇な優しさもない。「ただ見つめること」の究極がそこにある。

川崎・新宿・横浜と各劇場で観てきた「弦月」は、栗橋の舞台でいっそう魅力的だった。前景と後景を横断する紗幕は、物理的な条件の制約を受けて斜めに張られることで、かえって「布」の動きや質感が明瞭になる。また、左右に張られた劇場の鏡が、その景色をより複雑にする。

しかしなんといっても「GTR」。何度見ても奇跡のような演目。芸人が観客と向き合うということ、またそれがストリップという芸能において行われてることが、それをどこまでも高めている。
「ただ」の強度はこの演目にもある。ラスト、場内にいる者たちの"出席確認"を行い、指で人数を示すこと。たしかにこの場を共有した我々が「ただ」カウントされる。それだけの行為が無上の歓待になりうる。

友坂さんのポラ、今までとくに名乗ったこともなく、預けのポラ自体もしたことがなかったのでやり方を確認したら「裏に適当なお名前を書いてください、知ってますけど」と言われる。ダメ押しで「Twitterも知ってますよ」と...

インターネットの声量を控えるべき。

2021年8月27日金曜日

8月27日(金) [浅草ロック座]『祭音 3rd』

早乙女らぶ(3-4)
みおり舞(3-4)
大見はるか(3-4)
中条彩乃(3-4)
宇野莉緒(3-4)
友坂麗(3-4)
川上奈々美(3-4)


初の浅草へ。生活圏だから数え切れないほど前を横切っているが、はじめて階段を登る。テケツの小ささはいずこも同じ、といった塩梅でも、ロビーにはステージ写真が壁一面に貼られ、物販もあり華やぎがある。奥には踊り子さんがそこに立ちもするというバーカウンターが。2回目の公演が終わった直後とあって周辺は賑わっていた。場内に入ると、とにかく...広い!あと天井高い!舞台でかい!要するに普通の「劇場」である。盆から2列目下手側の席へ。

まず個々人の舞台の印象は別として、この空間の余白のなかでなお、裸体が裸体としての強度を持ちうることに、素朴に感動はした。照明効果や移動盆があるにせよ「裸」の良さは今までの接近的な劇場経験と遜色ない。
とはいえ各人の場面を「景」と呼ぶ通り、それはもっぱら視覚的な"眺め"である部分が強く、あの狭い道劇での洗礼的な体験を経てストリップ観劇に入った身としては、あまりにも安全に過ぎると思う部分があった。
浅草以外の劇場を「ポラ館」とわざわざいうように、浅草では観客との交流はなく、ひたすら劇が進行し、中休憩をいれても100分程度で1公演が終わる。この圧倒的負荷の低さ。初めてストリップを観る人間がいるなら、浅草で間違いないのだろう。それでも私は道劇に誘うだろうが。
ごく近所にある浅草でなく(単純に入場料が高かったという理由)、渋谷で星愛美さんから始まり友坂麗さんで終わる香盤を観たのは、本当に運命だったのだと思う。

その友坂さんが群舞に混ざっていたり、危うげなキャラクターを演じていたり、剣舞を行っているのは、こう言ってはとても失礼だが、微笑ましく見てしまうところもあり。好きな踊り子さんが浅草に乗るのは「推しが連ドラに出るのを観るような感じ」と言ってくれた方がいたが、確かに。
ともあれ友坂さんが1人で踊りきる7景は、やはり盆に入ればほとんど舞踏。髪をかきあげれば空間すべてに魔術がかかったように、友坂さんの身体へと集中していく。
友坂さんの身体、特に腕には、いつも微妙に震えがあるようにみえる。意思的に"動かしている"のと、不随意的に"動いている"ことの合間にあるような不思議な質感があり、ときおりティッキングのようですらあるが、もちろんそんな技巧的な問題でもない。やはり「舞踏」的な、内在的な身体の力の現れなのだと思う。けれども、そうした微細な力の動きを追うことに終始するわけでなく、ポーズは誰よりも大胆にためらいなくなされる。それを見ることの充実に満たされて、言葉がなくなる。
また浅草観劇の最も大きな収穫はリボンさんの仕事の段違いな効果の高さへ蒙が啓かれたこと。後方からはスモークに紛れて発生源が見えない位置から、長いリボンが視野へフレームインし、一瞬で消え去る白いたなびきは踊り子を称える精霊めいている。それは優しげでも、スリリングでもある。
とりわけ友坂さんのラスト、本舞台でゆっくり客席へ手を振る美しい姿の前に、崩れかかる波のようにリボンが2度投げられる。あの美しさは、踊り子と客の協働という関係性を越えて、ひとつの演出的な前提にすら見えてしまう。

今回はストリップを観てるときには本当に例外的(普段はむしろデフォルトの)な文句モードが起動してしまったので、逆にもう1公演くらい観ていかないと...と思ったのだが、それは中条彩乃さんがいたおかげで、それほど難しい決断にはならなかった。キャッツアイをモチーフにした前半は、中条さんのトレードマークである破顔が景の楽しさを支えている。そして中条さんには、あの親しみやすさに対して、異様にスター性を感じてしまう。仮にグループに紛れつつも全体から一際滲んでくるような好感を感じさせる資質をアイドル性と呼ぶとして、対してグループにおいて端的かつ明確に一対多のヒエラルキーを作ってしまうような資質をスター性と呼べるのだと思う。付言しておくなら、その他の景で悪目立ちするとかそういうことはひとつもなく、しかしご自身の景では紛れもなく「スター」に見えた。

驚くのは衣装替え以降の雰囲気の変化。紺色の上品な薄絹のドレスは、踊り子さんとしては珍しい部類に思える長身に映え、また表情は演技くささを感じないのに、さっきまでの笑顔からは伺いしれない艶やかさがある。
盆では悠々と音楽の間を泳ぐように動きつつ官能を高めていきながらも、確実絶対なタイミングを撃つようにドレスの前が開かれるとき、すでにうっすらと見えていたはずの「裸」がまったく新しいものとして顕在化する。加えて、脱衣のエロティシズムというよりか、むしろ「裸」をこそ最上のドレスとして纏ったような気品が、そこに存在している。
いかなる香盤でも絶対的な水準の違いがある友坂さんを常なる例外として、中条さんにこそ最も自分の期待する、かつ、それゆえにこんなにも観てしまいたくなる「ストリップ」の質感があったように思えた。個人演目をもっと拝見したい。
褒め殺しめいてしまうので違和感も書いておくと(まずそのベットの振付は振付師によるものなのかご本人によるものなのかわからないが)、自分の音楽的な感覚とポーズのタイミングに齟齬を感じたことだけ気にかかった。あえてジャストからずらして品を保っている、という見方もできるかのもしれないとは思った。

ようやくこなした宿題のような浅草観劇。だいたい自分は本当に育ちが悪いので、王道めいたものに強く反発心が起きやすく、1公演目は道劇へのホームシックばかりが刺激されていたが、2公演観てそうした態度がだいぶ軟化できてよかった。なにより、歩いてすぐ行ける劇場なのだから、楽しめる場所になったほうがいいに決っている。次回の『秘すれば花』も、一度くらいは...たぶん...(栗橋と大和の様子をうかがいながら)

2021年7月17日土曜日

7月17日(土) [横浜ロック座]

mico(1)
安田志穂(1,3)
友坂麗(1-4)
中条彩乃(1-3)
早乙女らぶ(1-2)

 

友坂さんを観に行く。梅雨明けの空が青々として、好きな野毛周辺の雰囲気もにわかに華やいでみえる。そういえば横浜ロック座の姿は記憶にある。
入ればかなり手狭な箱。バーに肘をついて観劇。

友坂さんは一発目から新作。LEDロープや電飾の付いた傘、ブラックライトで光る下着などを取り入れた前半で視覚的に攻めつつ、盆に乗ればいつもの、しかしいつみてもその都度に身体を捉えて離さないとてつもない踊り。指が鍵で、強烈なフォーカスが当てられたと思うとすでに意識が指先のゆらぎに連動して、身体もつられて動いてしまう。かなりわかりやすく「アゲる」曲にもかかわらず、ひたすら粘るように、溶け出すように立位から臥位へと遷移していく。魔術のような踊りが続くと、曲のサビが近づき、強すぎるくらいの"来る!"という先触れが起きると、あのためらいない振り切りで、ポーズを切る。信じられない、と毎回思う。
残り少ない装具をひとつひとつ外していくポーズ+ティーズのシークエンスでは、テンションのかかった身体と、力を失って脱落していくような下着類がコントラストを成して、異常な感動を催させる。最後、チョーカーを外して口に咥えて、片膝付きにあの視線を客席に向ける。ただそれだけ、それだけとしかいいようのないそれだけが、観る者の身体を砕いてしまう。
友坂さんの踊りを見ると、毎回信じられない、信じられないとパニックになってしまう。

2回目は「GTR」。この回はかなりキャラの立ったお客さんが目立っていて、かぶりの常連たちもそれに連動して、笑い多く和やか。友坂さんもだいぶつられて笑ってしまう、かなりラフな感触。それでも、あの指揮棒に早く差されたい、という気持ちになるラストの素晴らしさは当然あった。

この日、自分が最も信頼しているパフォーマーが観に来ていた。
初見からずっと友坂さんを見せたかっただけでなく、特に「GTR」が見せたかった演目なので、絶好のタイミング。袖から脚を突き出すオープニングで、「(見せたかったのは)これです」と小声で伝えると、「もうすでに面白そう」とのレスポンス。さすが!
ストリップ観劇経験もあり、すぐポラに並んでいただけでなく、周年作「弦月」も素敵すぎる、と漏らしていて、バッチリ届いたようす。新作だけ都合で観られなかったけれど、9月以降に見てもらえるのではないかと思う。

 その他の方では、中条彩乃さんが印象的だった。踊りそのものもさることながら、ポラのときの明るさは、誰もが心をひらいてしまうようなポジティブさがあった。OPもポーズ込みで手数多く踊ってくれるし、裸から私服を着ていく「逆ストリップ」も、観客とのコミニュケーションが豊かで、学ぶことが多い踊り子さんだった。

 

帰る前、タイミングが合えば行ってみて、と声をかけていた友人が初ストで道劇に行き、とくに宇佐美さんが良かったという連絡が入る。これはうれしい..

2021年6月19日土曜日

6月19日(日) [新宿ニューアート]

秋月穂乃果(1-3)

友坂麗(1-3)

木葉ちひろ(1)

小春(1)

笠木いちか(1)

赤西涼(1)


この日はストリップ初観劇の友人らを連れて行く。雨というのに大大大混雑。かぶりつきの席を譲って、一番うしろの壁にひっついて観劇。

トップの秋月さん。まさかのカオナシの扮装で現れ、初のストリップがトリッキーすぎる経験になったことを思って笑ってしまう。しかし、そのままポールを掴むと、ああこれは、とすぐ納得がいったので、幸福な出会いになるだろうと予感する。ベッドはエアリアルのティシューのような布を纏いつつの演技。選曲が趣味にバッチリだったのもあるが、相当に良い。そして、意外にも素直にまだ感じたことがない「綺麗だな」という素朴な感想を抱く。とても綺麗だった。加えて、3回目はなぜか舞台奥の鏡面を見せる演出が加わっていて、さらに良い景色に。

友坂さんは夏の演目「恋花火」。出てきた瞬間からまったく違う。ほとんど催眠にかかるように、体が揺れる。団扇の揺らぎは極端に遅く・小さく、存在しないはずの風が体の内に立って、自律を巻き込んでいく。気づくと泣いている。

女教師風の役を演じる「GTR」は、友坂さんという人間の広さというか、芸に身を投じる人としての、あまりの格の違いに愕然。ストリップという芸能を、一方的な鑑賞ではなく、協働として成立する場として理解しているから、そこに衒いなく我々を招き入れる。指し棒で会場の全員を指し示し、確実な「1人」としてそれぞれを受け止める。満足気にほほえみながら合計人数を大きな声でコールすると、目つぶしのライトがあたり、暗転へと移る刹那に友坂さんのシルエットが浮かぶ。その全身の輪郭と上がった口角のかたちを、たぶん私は生涯忘れることがない。

新人の笠木さん。衆人環視のもと新人さんのステージを見ることに、妙に居心地の悪い思いをする。人が「裸になる」という出来事を見るには、やはり大まかには「芸」と呼べるものが、間を取り持つ必要があるのだなと改めて思う。2作目以降、笠木さんを見る自分の視線がどう変化するだろうか。

2021年6月4日金曜日

6月4日(日) [川崎ロック座]

沢村れいか(1-3)
香山蘭(1-4)
武藤つぐみ(1-4)
友坂麗(1-4)
小宮山せりな(1-3)
赤西涼(1-3)


ひどい雨風のなか、11時頃に川崎着。入場時、マスクの種類などまでしっかり管理している。広々した劇場。盆にちかい、下手側の端に位置どる。個別に記憶に残った踊り子さんについてはこれも別記事がある。

記憶というか経験とはおもしろいもので、このとき3回目までうまく入ってこなかった小宮山さんのハキハキした動きを今はよく思い出す。よく汗が散る「健康的」な姿。演目で使った椅子の背にも汗の跡が残っている。

はじめて"リボンさん"を見る。キュッと引き戻されるリボンの動きと、それを素早く巻取り、次の投擲に備える仕事人のような顔つき。

この日はじめて、舞踊研究者の武藤大祐さんとお会いする。共通の話題である「どくんご」や、アイドル現場のこと、友坂さんの踊りはとにかくわけが分からない、などという話をする。

2021年5月17日月曜日

5月17日(月) [渋谷道頓堀劇場]

星愛美(1)
愛あられ(1)
JUN(1)
翔田真央(1)
友坂麗(1)


初見。文フリ東京で『イルミナ』を購入後の翌日、いきおいで観劇。その流れは別記事にした。それにしても、人生初のストリップを日本トップクラスのベテランから洗礼を受けたことになる。ベッドショー(という呼称もまだ馴染まなかったが)では、どうしてか泣けてくるのに驚き。愛さんは本舞台の踊りが「よさこい」調で、どうしたものかとおもってみていると、ベッドで大きく転調。馴染み深い曲だったこともあり、これも不思議と持っていかれる感覚に。胸の周りにただようような指の置き方が印象深い。友坂さんの踊りには、声こそ出さないものの、ほとんど号泣。ただ立って、赤い照明を受けているだけなのに、場が"キマって"しまう。対して、ポーズの入り方は全身を投げ出すようで、そのたびに大きく涙が落ちる。

慣れないことで目の向けどころがさだまらないこともあったが、なぜか踊り子さんの表情を追ってしまう自分に気づく。どこを眼差しているのか分からない視線の束。かといって無表情だったり機械的であったりするわけでもない、特有の視線を記憶にとどめて、疲労困憊して帰宅。

今思えばもったいないが、もう一公演見るという発想がなかった。


6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...