2022年3月29日火曜日

3月28日(月)[大和ミュージック]

浅井ひなみ(1)
MINAMI(1)
ささきさち(1-2)
春野いちじく(1-2)
恋沼あお(1)




小田急の窓越しに春の陽射しを感じつつ最果ての地へ。劇場に着いたら、昨日別の場所で会ったキンスキーさんに声をかけられる。


『シュガークラフト』。今のところ、ささきさんに関しては回ごとのパフォーマンスの揺らぎはあまり見ていない/見えていない。それぞれのポイントで、スイッチを押されたように身体が反応してしまうのを、毎回確認しているような。だから、スプーンを咥えた姿がフォーカスされた途端、12結でそうだったように鳥肌が走っていくような官能が発生する。それはやはり「エロい」何事かでしかないのだが、さてこれを「エロい」と感じる身体の記憶はどこにあるのか...となる。視覚な経験にせよ身体的な経験にせよ、それを「エロ」としてカテゴライズする根拠が自分のどこにあるのか、全然分かっていない。比較は恣意的なのだが、例えば宇佐美さんにそれを感じるとき、不明なことはあまりない。ステージと客席の間で仮想的かつ高密度に練り上げられた「関係性」が視線を介して動くことが「エロい」のだと理解できている。

普通に考えれば、そりゃ他人の自慰行為を見ればエロいと思うのかもしれないが、果たしてそうだろうかというのがストリップの経験則でもある。前から書いていたが、基本的にオナベは退屈であった。宇佐美さんやくるるさんの諸演目によって面白みが掴めてきたところに、ささきさんの『スリーピーガール』が決定的に差し出された感がある。演目としての面白みという引いた視点ではなく、はっきりそれを「エロい≒良い」という範疇で捉えはじめたのは、うまく言えないが個人的にとても面白い。これは要するに「一周まわって普通にエロい」ことへの出会い...と言っていいのだろうか。

今ささきさんを見てるのは、こうして「エロ」について一番具体的に考えられる...いや、感じられる踊り子さんだからであると同時に、そのエロが決して誘惑的なエロではないというのが安心できる点でもある。

『Touch』激エロ...M3のそれ自体あまりにも官能的な名曲に包まれて、チョーカーから脱衣がはじまるともうとてつもない。うずくまる姿勢で客席に尻を向けながら下着をおろして、それを足首に巻き付ける。このシーン、本当になぜなのか分からないが、脱ぎ出すと素晴らしくて泣きたくなるような感じがある。脱いで身体を見せていくことの価値に、心から賭けているような感触。素朴な自己肯定ではなく、踊り手の価値観への強い巻き込みがあると思う。

M4と合わせて、歌詞によって中身ではなく外形のフェティッシュな良さを言祝ぐ繋がりが生まれている。たしかに、形としての裸をこそささきさんは信頼しているようにもみえる。また宇佐美さんが出てきてしまうが、宇佐美さんにとって裸体がそこに意味を乗せるための支持体=キャンバスだとするなら、ささきさんの裸体はそれ自体で完結した作品=彫像のようでもある。だが強調しておきたいのは、前回も書いたように、形への信頼を通しつつも結局は「現象する裸体」こそが強度の肝だと感じられる点である。彫像にも動性は当然ある。しかし、完結性をもった裸体というのは、ささきさんがほとんど常に同じ白の下着を身に着けていることと繋がっているかもしれない。


いちじくさんがミカドにも増して良い踊りになっていた。バキバキに踊る、みたいなスタイルではないが、腕にしても脚にしても力が抜けた、しかしだらけて流れ切ったりはしない締りをもった動きが連発する。今後もっといろいろな演目を見てみたい。


キンスキーさんが以前に渡邉さんを「イジってしまった」ということを軽く気にしていたので、「あれは喜んでいるんです、もっとしてあげてください」と勝手に通訳した。そして、間違っていなかったらしい。

2022年3月19日土曜日

3月18日(金)[渋谷道頓堀劇場]

愛奈(1-2)
夢乃うさぎ(1-2)
JUN(1-2)
ささきさち(1-2)
武藤つぐみ(1-2)


ささきさん、見る回を追うごとにフィットするようになってきているのと、おそらくはささきさんの踊りの変化(追い切れるほど見ていないのでまったく頼りないが)が噛み合って、1回目の『海』M1から異様に入ってくる。
ささきさんの踊りは、それこそストリップ劇場にしかないようなノンジャンルな踊りであって、いわゆる技巧を基準に見ても何も意味がない踊りだろう。だが、それがどういうものなのかを絞り込もうにも、うまく手繰り寄せられない。誰であれ、あのように踊れば客観的に「良さ」が確保できるだろうと予想できる踊りはある。しかしながら、ささきさんのように踊ってもどのような効果が期待できるか、よく分からないと思う。ではそれが「癖」に基づく観客のフェティッシュをくすぐるものなのかというと、そうでもない。動作と動作の間を繋ぐグルーヴに乏しく、一動作ごとにリセットされるような動き。しかしそれが単調かというとそうも言い切れず...そして、最初に言ったようにささきさんの踊りの大枠のスタイルは変わらないものの、何かが変質してより良き踊りになっていると感じる。

盆入りして仰け反り気味に仰向けでジッパーをガッと降ろすと、途端に空間が変質する。そのまま服を取り去って、仰向けのまま胸をもみしだいてオナベに。このエロさの感触は、見ているときにどうしようもなく高まるのに、終わってしまうと余韻なく消え去ってしまう。それが不満足ということではないのだが、あの濃厚なエロがあとを引かずになくなってしまうことを不思議に思う。
『デビュー作』に顕著だったのだが、ささきさんのベッドはどのタイミングでどういう動きの遷移があったかひじょうに記憶しづらい。その覚えづらさがエロの消え去りと関係しているのかどうか。『海』に関してはポーズ順を記憶するよう努めたが、それで確かになる部分はあれど、肝心の芯の部分の感覚を失っているような気がする。

寒の戻りで冷えた日に似合わない汗がささきさんの背中を伝うほどに熱量と集中があり、自分のささきさん観劇経験の中でも指折りのものになった。

『Touch』。蕨よりグッとよく見える。M2ラスト、手をL字に広げたポーズが続いたままM3のイントロが入ってくる。飛躍はまったく意図的に仕掛けられたものではない(!)そうだが、にこやかな笑顔がそれだけに狂気じみてみえてくるような、そしてその狂いの内から折り返される視線の強さに脳がすっ飛ぶような感覚になる。あれ、ストリップを見ていてこの感じになるのはいつ以来だったか...と、じゅうぶん充実している今年の観劇の記憶を引き出しても、それほど類する記憶がない。ベッドでは一般に泳ぐような、または揺蕩うような腕の動きがあるのに、このベッドでは不随意に力むような動きが見える。肌を撫で下ろす手は所々で力みによって不規則に引っかかるようで、それがまた何と言っていいか分からない感覚を与える。しかしあまり「意味」を求めてなされた動きではなさそうで、どのような狙いがあるか読めず、ご本人に尋ねるのもむずかしいものがあった。まあ、こちらが気持ちよければ全然構わないのではあるが...

誰が見ても、と各々の多様な好みを捨象して思ってしまうが、ささきさんのプロポーションは相当に美しい...いや、というのもちょっと違っていて、しかし「良い」というときに含まれるあからさまな性的視線にも違和感があり...いや、すっぱり「良い」体といってしまったほうがいいのかもしれない。
ただ『海』のオナベの放心や『デビュー作』その他にある強い視線は、体から催す感興をイデアルに高めて体を理想化させるものではなく、常にそのときそのときで具体的に何かが現象するパフォーマンスがもたらすところの"生々しさ"がある。だからこそ「美し」さよりは「良い」と感じる自分自身の生々しさも認めるべきで、むしろその契機をこそ、ささきさんのステージで体験したいのだろう。

自分の屈折とパフォーマンスの曰く言い難さが綯い交ぜになっていて、めっちゃ面白いけどこれなんなんだ〜!?と、ストリップ体験初期の感覚に陥った。


また劇場で知り合いができた。例によってこちらから話しかけたのだが、あいかわらず流れで"自然に知り合いが増える"という経験がほぼない。そんなにとっつきにくそうに見えるのかな〜...

2022年3月15日火曜日

3月14日(月)[ミカド劇場]

葵マコ(1-4)
白雪(1-4)
望月きらら(1-4)
永瀬ゆら(1-4)
六花ましろ(1-3)
春野いちじく(1-3)


ストリップを見始めてからいちばん間が空いた。
武藤さんに「お久しぶりです」と言われて「お久しぶりです」と返したが1ヶ月前に上野で会ってた。久しぶり?


デビュー週以来の白雪さん。『デビュー作』がまた変形していた。腕の振りがかなり増えていて、パーツの長さが際立つ。どういうブームの変遷があったのかはわからないけれど、見られることや言及されることでフィードバック的に手脚の長さが活きた踊りになることがあるのかもしれない、と思うなど。
最新作の『おんな』は邦楽揃えで。この演目は衣装替えでのナース服がみどころ?だろう。聴診器とシガレットケースがキャラ付けの小道具。ちょっと所々で口がムズムズしたが、必要とあらばお姐さん方のご意見が入ることでしょう。そんなことよりポーズで『アブダクション』で見たものが。思わずニコニコした。1結の頃から覚えたものをすぐ取り入れてるフシがあったのでこれは...と確認したらやはりお姐さんにご指導いただいたとのこと。4回目では、直前まで即興の踊りが増えていたのでそのポーズに入るまでの間が足りずに形が崩れていたが、決して悪印象にならないのはそうした「どうしても今踊りたい」という欲求が素直すぎるほどに伝ってくるからだろう。"新人らしからぬ"という評判が各方面に行き渡りつつあるようだが、白雪さんのパーソナリティの得難い素直さも合わせてどんどん伝わっていく気がする。
『無常』。M1の選曲もさることながら、ヴェールで口元を隠してパイプを片手に持った白いドレス姿が最高にクール。踊りも表情も抑制されていて、それがまた映えること。M2では一転して踊る踊る。音を捉えた振付が明確なコントラストを描き出していて、このM1-2の流れは再見が特に楽しみ。

それにしても、こういう才能とパーソナリティーの人がもし自分の業界で近いところにいたら、何を言って何を言わずにいるかとても悩むだろうな...と考えていた。概ね、放っておけばガンガン勝手に学んでいくだろうという安心とともに、素直すぎる(ようにみえる)性格は相変わらず老婆心を刺激する。


きららさん。『うる星きらら』では冒頭のドローンの操縦がいかにもきららさんぽい。予想外に行き来する飛行体はステージと客席の垣根を崩して笑いを振りまく。『ガネーシャ』はひたすら踊り倒す系列の、いちばん期待している類の演目。M1-2とずーっと絶え間なくいい踊りをそれも豪華な衣装で見せられると、このあと服まで脱いでくれるのか...と謎の満腹感に襲われる。衣装を脱いでもまたさらにその下から仕込んでいた布がズバッと引き出されてトランスフォームする。尽きない運動と意外性への執着は「芸」の最大値であるポーズベッドをより高める。あまりにも意外な速度で入ってくるので、格闘家が関節技をキメられるときはこんな感じだろうと想像してしまう。
それにしても、きららさんの局部には顔がある。何を言ってるのか...となるが、はじめの頃、唯一動きのない場としての局部があり、それをことさらに見る意味が生じていなかったのだが、きららさんのものには何か主張があるというか、隠語としてある「花」が存在感をもって感じられるというか、独特の印象がある。


この日は葵マコさんの『フランソワさん』『アオハル』がいちばんの収穫だった。
とりわけ『フランソワさん』の選曲の趣味の良さと曲間の絶妙な間合いの妙、M2でランジェリー姿でスポーティーに、しかし表情をへんに作らず踊る姿の美しさや、そこから下着を取り去って袖にハケる直前、全裸で胸だけを隠して(この隠す腕も、直前に袖へ処理する下着の投擲がそのまま体の前に残る形である)、つまり下は晒したまま笑顔を向けて袖に消える姿の圧倒的な品の良さ...そしてベッド着で前のジッパーを降ろして再び裸体が現れるとき、どうしてついさっき一度は見せた裸がこうも真新しく見えるのか、一向に色褪せないストリップの不思議さ・新鮮さが訪れる。ポーズも1回目と3回目では順序が違っていたような気がするのだが、特に1回目では体を反らして腕を宙空に伸ばして肘が伸び切っても、もたげた手首が回転して指が天を指すまで拍手が起こらず、じょじょに結晶していく氷のなりゆきを見守るような緊張感が場内にあった。

ところで、きららさんの『パン屋の宮原さん』、白雪さんといちじくさんが駆り出されて、めちゃくちゃ質の悪い忘年会みたいな空気に包まれていたのだが(良いとも悪いとも言っていない)、いちじくさんの存在感が素晴らしくて、あの望月きららを「食っていた」と言っても過言ではないと思う。学生服姿でズボンをずり下げてずーっとおしりだけ出しながらふらふらしてるだけなのに、それがあのステージではもっともふさわしい振る舞いと頷ける説得力があった。かと思えば思い出したようにキレあるダンスを披露し(キレのある踊りを行う必然性は別に生じていないのだが)、今その時間ステージ上で何の責任もない(お遊びの演目であり、むしろぐちゃぐちゃにすることが望まれている)ということを、いちじくさんよりうまく引き受けられる人はいないのではないかと感じた。きららさんとの関係性およびいちじくさんの資質。


渡邉さんがアゲハさんとおそろいのカラーリングにして現れたり、某配信での某スト客への扱いの良さにヤキモチを妬いていたり、道後で仕込まれたらしい3150ポーズを武藤さんが繰り出していたり、皆どうかしていた。

2022年3月1日火曜日

2月24日(木)[渋谷道頓堀劇場]

るあん(1-2)
ちか(1-2)
ake(1-2)
友坂麗(1-2)
赤西涼(1)


武藤さんからめずらしく「友坂さんの『ショータイム』を見ろ」と二度も連絡が来た。


『ショータイム』。M1は黒いハットの下にピンクのウィッグ・ピンクがアクセントのファージャケットという出で立ち。振付もかわいらしくてキュートな友坂さん。が、上手で椅子に腰掛けながら一瞬袖に上体を入れたかと思うとウィッグを処理して黒髪に。マジックのような鮮やかさ。そして、その椅子を横倒しにして椅子と絡みだすと途端に"いつもの"友坂さんの空気に。椅子を倒すのは今回のバージョンからとのこと。ラストは髪を振り上げてのベッド。
髪が大きく顔にかかっていてもそれが自然と落ちていくのに任せるさまは、さながらあたかも衣装が剥離していくような例の姿と同列にある。友坂さんの踊りのうちでは重力が捉え直される契機がある。


『咲いた』はベッドでの"何もしなさ"が際立つ。昭和史を代表するアイドルの名曲が流れるなかで、襟が落ちたりまた肩まで上げられたり、袖から抜ききらないで衣服の(また)剥離だけが反復される。以前も書いたがそれはお好み焼きの上で踊る鰹節みたいな動きで、比喩にすると貧相だがどうしても目で追ってしまう不規則で不随意な、それだから予め「読む」ことのできない純然たる動きがそこに起きている。


るあんさんの『逢魔ヶホテル』M1の振付に新味があり(北川れんさん振付とのこと)、るあんさんの止めハネしっかりした踊りの個性を際立たせるものだった。時計の針のようにカチッと動きつつ、しかし目を凝らせば微妙な反動があるようなグルーヴもあり、かなりよかった。


また周囲に気を取られた、という話なのだが、どうにも集中力に欠くお客さんが多くて難儀した。ステージがはじまるたびに立ち上がって移動したり探しものをしたり、別に自由なのだけどノイズを拾いすぎてしまう場面が多かった。この変化というのか敏感になってしまったのは観劇によって発達した神経がつくる副作用なのだろうか...?


正月以来の友坂さんだし『ショータイム』も気になるしで行ったのはいいが、何か本調子でなくてちゃんと見られなかったかもしれない。蕨も含めて記事を書くのも間が空いてしまった。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...