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2021年10月25日月曜日

10月25日(月)[ライブシアター栗橋]

黒井ひとみ(1-3)
安田志穂(1-3)
蟹江りん(1-3)
ささきさち(1-3)
小宮山せりな(1-3)


ある程度の地の利もあるにせよ、栗橋に行くことになんの抵抗もなくなった自分に気づく。開館記念興行だけに、劇場の外にデカデカと花輪が並んでいた。場内も月曜ながら盛況。
栗橋の定位置になりつつある2列目上手端につく。ここだと盆より低い本舞台がちゃんと見える。


黒井ひとみさんは「エスケープ」「飢餓海峡」「Black Lily」3つ。この日は黒井さんがトップだったので、1日のスタートに「エスケープ」を観ることに。贅沢なはじまり。

「飢餓海峡」はミカドで観たよりずっと入り込めた。その時々のライブ感で演技も変わるとのことだったが、ぐっと抑制の効いた台詞回しだったのと、高輝度の栗橋の照明が時代がかった演出を後押ししていたように見えた。


今回はささきさちさんの演目が圧倒的に好みだった。「デビュー作」は6月に一度だけ観ていて、その時はストリップ自体にも慣れていなかったせいかうまく受け取れてなかった部分と、おそらくはささきさん自身の変化も噛み合って、かなり印象を違えた。何より、王道アイドル曲からはじまるM1から妙に色っぽい。ささきさんの踊りは音の流れと共にドライヴするような振付でなく、動きの単位も短くポージングのように静止する間も含んだ余白の多いもの。しかし、その余白を満たしていくような音楽の聴こえ方がある。
ベットに進むと、そうした余白はさらに広がり、ほとんど何もしていないと言っていいほどで、動きの記憶もほとんどない。けれども確かに充実した時間が流れていた。痩躯の、裸体の飛び抜けた美しさもそれを支えている。
同時に、乱れた前髪の隙間からのぞく視線は柔らかく穏やかな雰囲気と違いずっと意志的で、イニシアチブを逃さない確かさも備えている。以前からささきさんのベットの「エモさ」が気にかかっていたけど、この視線の質感に拠るのかもしれない。

「スリーピーガール」がかなり素晴らしく、この日いちばん、あるいは今年を通して忘れがたい演目がまたまた増えたほどだった。衣装替えでパジャマ姿になり、マイムによって寝支度をはじめ、盆入りではうつ伏せになり寝しなに漫画を読む様子を見せるだけ、という流れに。この盆での様子が妙に充実感あり、このまま終わっても別に文句ないなと感じてしまう。特に積極的にエロさがあるわけでもないのに、なぜこの時間が持ってしまうのか。
電灯を消す効果音に続いてカットアウトの暗転。夢見心地のストリングスが入ってくると、明転してピンク色の照明の中で股間をまさぐりだし、じっくりとオナベがはじまる。脱衣後のオナベはかなりハードかつ、リアリズム志向の演技。快感に閉じつつある太腿をはたく仕草に生々しさがある。

8中で観た「海」もそうだが、ささきさんのオナベでは音楽が行為に対してまったく非同期的で、快感や官能の高まりに対してほとんど情緒的・意味的なアシストをせず、さながら盆の回転のように、ただ単に機械的に流れているようなドライさがある。しかし、2曲使いで行為に跨って流れるそれは当然、作家的な判断の結果であって、BGMが漫然と流れてるのとはまったく違う感触であることを強調しておく。
他の踊り子さんの演目でも、音楽とズレつつベットが行われることをことさら好んでいたが、「スリーピーガール」のオナベはそうしたシーンを自覚的に提示している"作品"として受け取ることができた。

最初のストリップの感想でも書いていたが、特にベットショーでは身体の動き・盆の動き・音楽という3つの要素がひとつの認識のフレームに収まりながらも、場合によってはそれらが分離的に感じられることがある。同期系として単一に見るより、非同期系として複雑に要素が平行的に動いているように見るほうが、圧倒的にスリリングである。もうちょっとこの感覚について考えていきたい。

2021年9月10日金曜日

9月10日(金)[ライブシアター栗橋]

海野雪妃(1)
萩尾のばら(1)
宇佐美なつ(1-3)
悠木美雪(1-3)
友坂麗(1-3)


楽日。久々の晴天。夏が戻ってきた。送迎の往路、マスク越しにも田んぼの匂いが立っているのが分かる。
先日道劇で宇佐美さんを見せた友人に友坂さんも見せたく、誘う。ちょうど休憩のタイミングで到着したので、しばしそのままベンチで話し込む。『GTA』の世界にありそうな場所だ、などということを放言する。

宇佐美さんについて、たまには限りなく短くして、言いたいことを圧縮してみる。

・「サマーチュール」世界一エロい。世界一最高。

・「うそつき」過去に見たことないような表情の豊かさ。パフォーマーとしての発展余地を見せつけるような回。

・「w-e(n)dding」オナベは、たとえば生き物の出産に立ち会うような、それをなしとげる様子をただ見守る、というような時間になりつつある。性=生の時間。

まだ何も形にならないが、ストを見ていて「時間」というものを考えることが増えつつある。ある現象ではなく、さまざまに移り流れる「時間」という幅について。


友坂さんも3個出し。が、この週は12個出しだったということがわかる。すさまじい。今回とりわけ素晴らしいと思ったのは「Smile」の後半。袖から椅子を取り出して、束ねていた髪を解いて、ピンクのドレスに着替える。いってしまえばこれだけのことに4分近く時間を使い、けれどもそこには「踊り」としか呼ぶことができない身体の充実が満ちている。
椅子の上で身悶えるようにして下着を取り外すとき、身体部位の布置が組み変わり、あの豊かな黒髪を起点にして、靴・下着・陰毛・睫毛・眉毛たちが「黒」の系列として押韻をなすようにして、さらにドレスのピンクと対照してみえだすことが起きる。
続いて、極上のポップソング(自分の好きな曲だった)で、あの無二の舞踏が繰り広げられる。踊りを見る身体は同期に向かいつつもそれが叶わず、多方に感覚が散らばって身体を捻じ曲げようとする。それは快い掻痒感のような微妙な感覚と、引き絞られるような感覚を行き来する。
なにより、こうした踊りに友坂さんの支配的な意志や狙いが希薄で、だからこそどこまでも安心してその踊りに身を任せることができる。友坂さんは強く観客を「見る」パフォーマーでもあるが、自分が「見られる」ことに対しても、どこまでも自分を開いている。
ポーズを切るとき、ほんの瞬間、しかしはっきりと確実に客席へ顔を向けてから身体を反らしてみせたりすることがある。あの眼差しが正面からやってきたことに囚われてるうちに、ポーズ=全身へと視界が拡大される。踊り子が「見られる」ことを望むとき、友坂さんはその関係を曖昧にせず、まず自分から「見る」ことで「見る/見られる」の関係を直ちに構築する...

4つの演目を新たに見ることができ、ますます友坂さんの踊りに惹かれていく。そして不思議と、こちらを認識してもらえていると思うと、また見に行こうと思う動機ができてしまう。

せっかく圧縮して書いたのだけど、ふと「うそつき」の耳・尻尾の消失について思ったのは、自分がマジックをやっていたことで、ものが"消失"することの官能に敏感なことはあるかもしれないな、と気づいた。
自分は、全体の構成的必要とは必ずしも関係が薄い細部の官能性にこだわるほうだった。さらに、アイドルを見ているうちにキャンセルしていた官能性への視線が、ストリップを観ながら思い出していく作業のうちにいる、と考えている。

2021年9月6日月曜日

9月6日(月)[ライブシアター栗橋]

海野雪妃(1-3)
萩尾のばら(1-2)
宇佐美なつ(1-3)
悠木美雪(1-3)
友坂麗(1-3)


武藤さんがこの日栗橋に行くという連絡が。昨日までの疲れもないので自分も行くことに。木曜ほどでないが、空いているのでかぶりに座れてしまう。

「サマーチュール」は前開き水着バージョン。そして、最前上手端だったので花火の促しをされる役。帽子も被ったし「サマーチュール」で客がやられること、コンプである...盆入りの舌出しは今回はなかった。

「うそつき」の耳と尻尾の消失にエロを感じるという話がうまく伝わらず、別に強く主張したいわけでもないのだけど、かすかにエロさが香ってくる感触をちょっと書いておく。
フェイクの耳と尻尾には、その身体を演目上の「キャラ」として記号化する機能がある。目の前にじっさいの腕や脚という肌が見えつつも、まずはその「狐」の役柄を優先して認識する働きがあるだろう。
これがストリップだと分かって見ている我々は、狐がいつか服を脱ぐということが予想できている。けれども「うそつき」では、狐が狐のまま脱衣することはない。狐は人間へと脱衣する。
袖にハケてから再び舞台に現れると、耳と尻尾は消失する。帽子を脱ぐとそこに耳はなく、尻を撫でると尻尾がない。ここで観客は記号的な役割としてのキャラから、具体的な肉体へとフォーカスを移すことになる。つまり、素朴な衣服の取り去りだけでなく、いわば意味の水準で"キャラからの脱衣を見る"ということ。
またその焦点変化の際、消えた耳をなぞるようにして髪を撫ぜて耳にかける仕草が出てくる。「うそつき」における裸の現れは、この"耳"に先行する。消えた記号的な耳と、現れる肉体の耳。あらかじめ性的な価値を帯びている胸や尻や性器ではなく、記号によって隠された"耳"という肉体が露わになることが、この演目における「ストリップ」の中心である。文脈の設計によって、肉体の価値は更新されて、それをエロさとして受け取ることが可能になる。

こんなに強く読み込まなくてもいいようなことなのだけど、まあ一応...

おもしろ登場シリーズに新作。なんかのおまけでもらったというベルトコンベアの寿司のおもちゃを持って「宇佐美寿司開店だよ!」と威勢よく現れる。何なんだ。ポラのときもそれを使っていろいろしてたが、公序良俗に配慮して割愛。

友坂さん「結」「GTR」「弦月」の3個出し...どころか、どうやら今週毎日のように演目が変化しているらしい。

かぶりで見ると、あの代名詞的な視線をもろに受け止めることになる。こんなに他人と見つめ合うことはあるだろうかと考えてしまうが、そうせざるを得ない視線であり、そうすることが喜びであるような視線に、ただ見つめ返してしまう時間が何度も訪れた。
あの視線から、何か具体的な意味やメッセージを読み取ることはできず、そしてむしろ意味の無さこそが、あの視線の強さを支えている。強さ、といっても一向に支配的ではなく、かといって無闇な優しさもない。「ただ見つめること」の究極がそこにある。

川崎・新宿・横浜と各劇場で観てきた「弦月」は、栗橋の舞台でいっそう魅力的だった。前景と後景を横断する紗幕は、物理的な条件の制約を受けて斜めに張られることで、かえって「布」の動きや質感が明瞭になる。また、左右に張られた劇場の鏡が、その景色をより複雑にする。

しかしなんといっても「GTR」。何度見ても奇跡のような演目。芸人が観客と向き合うということ、またそれがストリップという芸能において行われてることが、それをどこまでも高めている。
「ただ」の強度はこの演目にもある。ラスト、場内にいる者たちの"出席確認"を行い、指で人数を示すこと。たしかにこの場を共有した我々が「ただ」カウントされる。それだけの行為が無上の歓待になりうる。

友坂さんのポラ、今までとくに名乗ったこともなく、預けのポラ自体もしたことがなかったのでやり方を確認したら「裏に適当なお名前を書いてください、知ってますけど」と言われる。ダメ押しで「Twitterも知ってますよ」と...

インターネットの声量を控えるべき。

2021年9月2日木曜日

9月2日(木)[ライブシアター栗橋]

海野雪妃(1-2)
萩尾のばら(1-2)
宇佐美なつ(1-2)
悠木美雪(1)
黒崎優(1)


寒くて、雨。散歩がてら歩いていった前回のモチベーションはさすがになく、送迎を願う。ほんの数分で車が到着。仕事で現場の方に送迎していただくときの癖で助手席のドアを開けかけたが、いや客だしな...と考える間が一瞬あった。後部座席にはいりこむ。さて、2回目の栗橋。場内は閑散。それはそうか。適当に2列目上手端にすわる。

全体的に制作の忙しさや気候やらで気持ちが凪いでいて、このまま宇佐美さんが楽しめるだろうか...という状態ではじまった「サマーチュール」は、終われば心拍が上がってるのが分かるくらいアガってしまう。
以前、体調最悪のまま友人のパフォーマンスを見たとき、終わったあとすっかり元気になっていたことを思い出す。元気になった、とは紋切り型の感想のひとつだが、事実そういうことがある。盆に入ってから、ぺろっと舌出しがあった。めずらしい遊び。

「うそつき」は広いステージでやるのが久々とのこと。前半、かなり薄いサウンドの曲で踊られるので、たとえば「サマーチュール」のM1の厚みと振付の手数の多さなどと比べると、ちょっと物足りない気持ちになる。
しかし、この演目のギミックであるキツネの耳と尻尾を外して以降は妙に色っぽい。ラストはバーンと曲も派手になってポーズベットに。結局ラストで全部持っていけてしまう。帽子を足にかけたポージングはなぜか感動的。

「サマーチュール」後のポラで、浮き輪をはめて「栗橋ビーチのみんな〜」と出てきたのが良かった。翌日になっても何かと思い出してしまう。ちょっとしたおもしろが似合う人でうらやましい。

2021年6月25日金曜日

6月25日(金) [ライブシアター栗橋]

御幸奈々(1-2)

黒井ひとみ(1-2)

蟹江りん(1-2)

悠木美雪(1-2)

望月きらら(1-2)


地元でよくこういうところに仕事に来たな...と感慨にふけりつつ田んぼを横目に歩いて到着。遠くにスーパーの看板が見えたので食料調達、とおもいきやまさかの物流センター。何もない!

中に入るとおじさんが何か食いながら応対。中に入って下手側につく。ベンチとかでなく、普通の椅子。たしか消防法のとおり、それぞれの脚は結束バンドで連結されている。嫌な予感があったので冬のランニング用ナイロンジャケットを持参したが、場内異様な寒さ。というか、位置どったところが送風口ジャスト。席を移るにも微妙に混み合っている...なんとか耐えに耐えて2回で離脱。

今回は、黒井ひとみさんを観にきていた。開演前に客の声で聞こえたけど、どうやらこの日が初出しの新作。この少ない観劇経験からも同パターンのテーマを2回見たので、ストリップでは定番ネタなのだろう。コントふうのシーンもあり、コミカルな印象もあるが、ベッドは濃い性交のシーン。
香山さんがウルトラスムースな編集の妙で性交を処理するなら、黒井さんは引きの固定長回しでといった塩梅。体位の変更の間延びした姿勢もひとつの時間として取り込む。


望月きららさんが圧倒的に良かった。1本目はドルオタ(?)にはサンバイザーのおじさんがうろついている絵面が思い浮かんで仕方ない呪いにかかってるアレからはじまり、最後までアイドルで突っ切る。
止め画の作り方がキマってて、カメラマンだったら楽しいだろうなと思うなど。衣装を翻したりするのも、いい具合の「形」になるよう狙ってるようにみえる。2本目は椅子やムチなどのギミックを必要十分に使い切る。やはり、うまいひとはここが違う気がする。
2演目ともすごい充実感。はじめて抱いた感想だけど、どちらもヘアアレンジが眼を惹く。帽子やアクセサリを取ったあと、髪型がすごく際立ってみえる不思議さがあった。


そして、当たり前かもしれないが、自分がいいなと思った踊り子さんはポーズの精度が圧倒的に高くみえる。形や形に入るまでのタメもそうだけど、音楽をきっちり聴いてるからこそ成立するタイミングで、ポーズがなされる。まあ、友坂さんの自在さは例外的だとしても。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...