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2022年4月9日土曜日

4月8日(金) [DX東寺]

瀬能優(1-2)
宇佐美なつ(1-4)
聖京香(1-3)
中条彩乃(1-3)


緊張の二日目。


宇佐美さん『bubble』、これですよこれ......という安堵から泣く(比喩でなく)。10頭〜中以来の『bubble』だったけれど、この演目はM1でどれだけ精度高く振りを打ち込めるかが肝に思う。自分が辛くとりがちなのだろうけど、かなりシビアな演目な気もしている。

『spring vision』は個人的な感慨とか惹き起こされる感情のほうが優位に立っていて、言えることといっても泣いたとかそんなものにしかならない。この演目に対する言葉は随分前に供養したというか、あれ以上に費やす言葉がなく、というか言葉を費やさずして、自分に起こる感情をそのまま受け取れるような。まだあと何回も見られるのかと思うと......

『黒煙』は2回目と4回目に。ラストはお客さんのご厚意でかぶりドセンに。これが本当に驚き。周辺視野まですべて舞台になり、深い奥行きは3D映画のように非現実的な視覚効果をもたらして、まったく見え方を異ならせる。あるいはリアルVR(?)。
そしてベッド、最近いろいろと「エロい」という経験について考えているけど、この回・この環境のベッドがダントツを更新してしまい、勘弁してくださいという気持ちに......ストリップで得られたいやらしい気持ちの最高がここに。あるいは、「いやらしい気持ち」というのはここまで高められるのかという気づき。これは10頭小倉あたりの感想でも書いたことだけど、基本的にそうはしたくないタイプの自分が、隷従への欲求が感じられてしまうほどにすばらしかった。いま、この人に身をすべて預けたいと感じることは、たぶん性器的な欲望よりずっと、はるかにずっと「エロい」ことなのは間違いないと思う。
視線がエロさの在処とはいえ、その視線は常に観客に向けられるわけではなく、ときおり身体をくねらせる動きに相同して這うように盆の面へ送られることがある。向けられる視線は期待のうちにサスペンドされて、だが不意にそれがこちらに突きつけられる。また、こうした焦らしのプレイは単純に反復するゲームではなく、構わずに脱衣が進行することと交錯しつつ行われる。期待のずらしは複層化されている。この時間の主導権は決定的に宇佐美さんのほうにあって、かつ、その奪われたイニシアチブが交錯的な進行によって鼻先にぶら下げられるような経験が、『黒煙』のエロスなのだと思う。


中条彩乃さん、この日も良かった。『アイデンティティー』のエルからスーパーエルへの移行のダイナミズムや、立ち上がってから小盆でなされる三点ブリッジには涙しそうに。
与えられた役割をこなす職人的な振る舞いと、それを達成することに向けられた心のありようも見えてくる人間味が重なっているから、舞台の温度が下がらずにある。これはパーソナリティーであるとともに年齢やキャリアの問題でもあるとは思う。よい意味で生々しさが減っていく凄み(御幸奈々さんを想起する)はある。


休憩中、ロビーで五個入りのクリームパンを食べてたHさんが、残り2個を自分とAさんに無言で差し出した。ありがたくいただく。何の意味もない、どこにでもある特に記憶するほどのこともない時間が、劇場に戻ってきた宇佐美さんを介してここに流れている。京都駅に向かうまでの帰り道も三人一緒だった。

4月7日(木) [DX東寺]

瀬能優(1-2)
宇佐美なつ(1-4)
聖京香(1-2)
中条彩乃(1-4)


昨年の10中ぶりの東寺。
2回目まで音量が想定よりずっと低くて、広い空間がスカスカに感じられてしまう。平日の少ない客入りで緊張感もなく、そのことに身体が完全に引っ張られている。2回目後半から立って観ることに。3回目からは音量も上がった。


今まで一度もベタに入ってこなかった中条さんが4個とも良い。東寺の空間を唯一人活用できていたと思う。思えば浅草でもっともいい印象だったのは中条さんの景であって、恵まれた身長はやはり広い空間にこそふさわしいのかもしれない。
『蝶と花』は立ち上がりがストレートに耳馴染みのある選曲で、ストリップの醍醐味であった。衣装の赤色はかつて見た『ターニングポイント』にも印象深いが、陽性のキャラクターそのままを表すようでもあり、しかしともすれば情念や情熱にブーストかけるような効果があるはずの赤が、むしろごく自然な「私」からの切り出しというか、フラットな赤色に見えるのがおもしろい。このへん、言い方が難しい。似合う、というのでもないし、「中条彩乃」というパーソナリティが象徴的に色彩化しているというのか......足首に衣装を巻きつけて薔薇に見立てるポーズは、性器がそう言われる比喩的な通俗性を洗い流していく。実際、皆が揚げられた足先のそれを見るだろう。
『水月鏡花』は光る球体が演目を通じて振付の中心に位置づけられていて、また透けた布や衣装をそれにかけてヴェールにするシーンがあり、押韻的に裸体もまたひとつの発光体のような美しさをまとい出すかのよう。大判の緑の布の視覚効果も大きい。東寺向きの演目なのだろう。そして、布を扱いつつも全裸で踊る時間が長くてすばらしい。『ノンフィクション』もそうであった記憶だが、ヴェールのような薄絹との相性がいいのかもしれない。また浅草の記憶だが、深い青色の衣装も非常に似合っていた。
ポーズのアスレチックな強度は小倉や渋谷の空間的余裕だとうまく掴めておらず、東寺サイズの余白があってようやく自分に意味をもたせられるようになった。弓なりに身体が持ち上がる三点ブリッジの美しさに驚いた。


宇佐美さん、4ステージとも一切身体に入らず本当に恐かった。

2021年10月16日土曜日

10月16日(土)[DX東寺]

京はるな(1)
蜜マリア(1)
くるる(1)
友坂麗(1)


数年ぶりの京都それ自体にアガってしまう。最高の街...もともと仙台でお店を営まれていて、京都へ移転されていた菓子店にもようやく行くことができた。ブラウニーのように濃厚なチョコレートクッキーを買う。そして、以前どこかでたまたま見かけてチェックしていた精肉店のビーフジャーキーもあわせてお土産に買う。彩りのかけらもない。

DX東寺は住宅街の中にいきなり現れる。居住まいの異様さは随一。場内噂通り広い舞台・高い天井。ふつうの劇場であればそこまでのサイズではないのだが、いつもの「劇場」の狭さに慣れると広大にすら見える。

京はるなさん。先日の渋谷でも見た「サキュバス」。演目が始まると、なかなかの音量で音が流れる、のはいいが、ハイがきつくて耳が少し痛い。ローカットしまくりも残念だけど、たっぷりした音のデカさはうれしい。
照明効果は抜群。高い位置から入るブルーのかっこよさ。渋谷でのそれとはまた違ったドラマチックな見栄えで、もちろんパフォーマンスもあいまって「ストリップ見てるな〜!」という素朴な満足感に浸れた。

くるるさんも渋谷以来だが、今回の演目はそうとう素晴らしかった。某三人組アイドル曲縛りのキラキラした演目かと思いきや、盆入りからの夢幻的なオナベにぞくぞくさせられる。何より、楽曲がまさかのオルゴールバージョンで、あんなどうしようもない音楽がこれほどパフォーマンスにマッチする可能性を少しも考えたことがなかったので、衝撃的でもある。フレーズがクレッシェンドしていくところと、それに応じるように手の動きがわずかに早まるようにみえるエロさ。いや、むしろ手の動きに応じて音のほうが高まっていくというふうにすらみえる凄さ。
曲が移っても、安易にポーズを切ったりせず、夢うつつの官能を残しながらゆらゆらと身悶えが続く。180°の縦開脚から続いてうつぶせにグラインドして髪を振り上げる動きを反復。ポーズらしいポーズはラストのL一回だけ。最高だった。

友坂麗さん。出てきたときから緋色の衣装が決まりまくっている。わずかに見える両手と両足の素肌が意味不明なまでに輝く。手の揺らぎが起きるだけで、なぜか早々に泣いてしまい、感情の動きとほとんど無関係にボロボロ泣き続けてしまう。M2冒頭の目潰しのバックライトがつくるシルエットが格好良すぎて卒倒しかける。ベットでは、一枚の緋色の布にくるまっているところからスタート、ゆっくり身を動かしていくと、布が崩れ去るように床へ落ちていく。あの布の動き...ポロ、ポロと少しずつ剥がれるようでもあるし、羽化のようでもあるし、友坂さんの体から落ちる布は、いつも踊っている。
東寺の盆は回らないのに、友坂さんの踊りの密度が高すぎて、不在の円運動が錯覚されてしまう。意志とは無関係に何かが、視覚では捉えきれない海流のようなスケールで空間を巡っている。
それにしても、ラストの選曲、あれほど人口に膾炙した、なんだったら少しギャグっぽくすら響いてしまうポジティブさが、ごくごくベタにストレートに響いてしまうことへ、何度でも驚いてしまう。

くるるさんのときもそうだけど、ストリップは音楽の聴き直しが本当に何度も起きてしまう。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...