瀬能優(1-2)
宇佐美なつ(1-4)
聖京香(1-3)
中条彩乃(1-3)
緊張の二日目。
宇佐美さん『bubble』、これですよこれ......という安堵から泣く(比喩でなく)。10頭〜中以来の『bubble』だったけれど、この演目はM1でどれだけ精度高く振りを打ち込めるかが肝に思う。自分が辛くとりがちなのだろうけど、かなりシビアな演目な気もしている。
『spring vision』は個人的な感慨とか惹き起こされる感情のほうが優位に立っていて、言えることといっても泣いたとかそんなものにしかならない。この演目に対する言葉は随分前に供養したというか、あれ以上に費やす言葉がなく、というか言葉を費やさずして、自分に起こる感情をそのまま受け取れるような。まだあと何回も見られるのかと思うと......
『黒煙』は2回目と4回目に。ラストはお客さんのご厚意でかぶりドセンに。これが本当に驚き。周辺視野まですべて舞台になり、深い奥行きは3D映画のように非現実的な視覚効果をもたらして、まったく見え方を異ならせる。あるいはリアルVR(?)。
そしてベッド、最近いろいろと「エロい」という経験について考えているけど、この回・この環境のベッドがダントツを更新してしまい、勘弁してくださいという気持ちに......ストリップで得られたいやらしい気持ちの最高がここに。あるいは、「いやらしい気持ち」というのはここまで高められるのかという気づき。これは10頭小倉あたりの感想でも書いたことだけど、基本的にそうはしたくないタイプの自分が、隷従への欲求が感じられてしまうほどにすばらしかった。いま、この人に身をすべて預けたいと感じることは、たぶん性器的な欲望よりずっと、はるかにずっと「エロい」ことなのは間違いないと思う。
視線がエロさの在処とはいえ、その視線は常に観客に向けられるわけではなく、ときおり身体をくねらせる動きに相同して這うように盆の面へ送られることがある。向けられる視線は期待のうちにサスペンドされて、だが不意にそれがこちらに突きつけられる。また、こうした焦らしのプレイは単純に反復するゲームではなく、構わずに脱衣が進行することと交錯しつつ行われる。期待のずらしは複層化されている。この時間の主導権は決定的に宇佐美さんのほうにあって、かつ、その奪われたイニシアチブが交錯的な進行によって鼻先にぶら下げられるような経験が、『黒煙』のエロスなのだと思う。
中条彩乃さん、この日も良かった。『アイデンティティー』のエルからスーパーエルへの移行のダイナミズムや、立ち上がってから小盆でなされる三点ブリッジには涙しそうに。
与えられた役割をこなす職人的な振る舞いと、それを達成することに向けられた心のありようも見えてくる人間味が重なっているから、舞台の温度が下がらずにある。これはパーソナリティーであるとともに年齢やキャリアの問題でもあるとは思う。よい意味で生々しさが減っていく凄み(御幸奈々さんを想起する)はある。
休憩中、ロビーで五個入りのクリームパンを食べてたHさんが、残り2個を自分とAさんに無言で差し出した。ありがたくいただく。何の意味もない、どこにでもある特に記憶するほどのこともない時間が、劇場に戻ってきた宇佐美さんを介してここに流れている。京都駅に向かうまでの帰り道も三人一緒だった。