夕樹 (1)
Kuu (1)
KAERA(1-2)
瀬能優 (1-3)
宇佐美なつ (1-3)
聞きしに勝る狭さ。狭いっていうか、ヘンな雰囲気。
雑居ビルの階段を登り、受付を越してまた階段。右手の入口のドア(木の、押しても引いても開くようなカウンターとかについてそうな構造に近いやつ)を開けると、左手に花道と、その先端に長方形の盆が目に入る。驚くのは、それを囲む15席前後の客席とほとんど同じ高さということ。本舞台は三方鏡。広さは一間半程度しかないのではないか。出ハケは中央奥。黒い幕一枚で仕切られている。天井も低く、背の高い踊り子さんだったらヒールは履けないだろう、というほど。
それにしても、人と人がこんなに近づきながら「触れない」ことを前提にしている環境が他に思いつかない。
このご時世なもんで、今日は出入りを多くする。セルフ換気。
大ベテランにお見受けする夕樹さんの踊りが、年月の積み重ねによる経済化がみえて、面白い。ゆるいわけでもなく、最小限の手数と、何より顔さえ作れていれば常に決まる、というワザ。日本人なら誰しもが知ってるだろうというような大ベタな選曲も、ストリップならではの強度になる。タッチショーもある。断るほうが恥ずかしい雰囲気。
瀬野さんの1回目のベッドが記憶に残る。花道のふちギリギリまで攻めると、むしろ客席に緊張がある。眼下に触れることのできない肉体があるという不思議さ。
宇佐美さんは「うそつき」「サマーチュール(新作)」「ユキちゃん」全部初見で至福。「うそつき」は麦わら帽子っぽいハットにガーリーなフィッシュテールのワンピース(「サマーチュール」と混同してるかもしれない)。そこにキツネの耳と尻尾がついたキャラ。聞くのを忘れてたけど、ベルトも毛足のついたもので、尻尾はそこに装着してる感じ?
このキャラでどういうふうに展開していくのかなーと見守ってると、M3(たぶん。あやふや)の途中でハケて、何も変わらない様子で戻ってくるが、ハットを取ると、耳が消えていて、さらに尻を撫でると、尻尾もなくなってるという見せ方。これがふしぎと妙にエロ。何やっても頭いいなーと感心してしまう。
あまり選曲とチューニング合わせられずだったけど、ポーズベッドは相変わらず最高。宇佐美さんの選曲は間違いなく抜群のセンスだが、個人的な趣味とはすれ違うことが多くて、それゆえにノり損なったり、逆にその後すごく好きになったり、いろいろある。
「ユキちゃん」は実質的なデビュー作。人気もある演目で見るのが楽しみだったけど、これが作家としてのデビューって、腹据わってんな!という第一印象。2年経った蓄積もあるにせよ、脱ぎの見せ場もオナベも、元からやってたんすか?という。しかしデビューから小道具でコンドームとか使うんすかね。
曲で歌われる「ユキちゃん」を演じてるようで、何か違う誰かが「ユキちゃん」について歌って(演じて)いるようにも見える。またしかし、後半セーラー服から一転して白いドレス(下着とチョーカーは黒)で、歌われていたはずの「ユキちゃん」から離れてる時のほうが「ユキちゃん」そのもののようでもあり、アイデンティティが役柄の隙間を泳いで揺らぎ続ける。
とはいえ、要素が多くて、ストレートにピークを目指して進んでいく構成とは演技バランスがまったく違うだろうし、パフォーマンスするのは難しいだろうなとも思う。
個人的な白眉は新作の「サマーチュール」。"チュール"がM1の曲名と掛かってて、また2周年作とも選曲に繋がりがあって、遊び心。フルーツ柄の衣装はいかにも夏演目。
M3から水着姿での脱ぎがはじまるのだが、蕨仕様なのかとにかく最前の客に絡む。この視線のやり取りと焦らすような感じはむしろオーソドックスな手つきなのに、宇佐美さんが仕掛けると作品的な攻めにもみえる。
自分が見始めたタイミングが特にそうだっただけなのかもしれないが「黒煙」「Spring Vision」「Positive」「Bubble」いずれにしても、きわめて再現性・完成度が高いパッケージになっていて、あまり偶発的な要素は入る余地がなく、堅牢な構成力に唸るのみ、という感触がある。
それが、観客へ介入することで構成の枠組みがふっと緩まるようで、またその緩みにこそエロさが滲んでくる。結局のところ、エロさとは他者性の受容でもあるが、宇佐美さんが客の視線という現象を舞台上に顕在化させる(宇佐美さんが客に媚態をもって仕掛けることで、宇佐美さんを「見る」客の視線が摘出される)ことを介して、それを行っているのが新鮮。今までの演目で見る/見られるの関係は、舞台/パフォーマンスという形式の周りであくまでも抽象的に展開していたように思えるが、具体的な観客の存在にアプローチしているのは、比較的珍しい(過去に例があったか知らないので推測)はず。とはいえ、イニシアチブは常に宇佐美さんのもとに保たれているし、他者が招く偶発性でなく、偶発性が生じる予感のようなものがぴりぴりと伝わってくることに新味があったのだろう。
メロウなトラックで上の水着を外すとき、今まで見てきた宇佐美なつの中でもっともダイレクトなエロさを感じる。誘惑的な積立も相まって、かなりセクシャルな「体」という感じ。つい思い出してしまったが、あらきまいさんのOPのときみたいな感じもあった...こういうと変だけど、何十回も見たはずの裸が、まったく真新しいものに見える。
ポーズベッドはそれまでの夏!爽やか!でも夜は少しエロ!みたいな流れをぶっちぎって、突然ドラムンベースみたいなトラック。この選曲センスが本当にすごい。ただ、脱ぎにあった繊細なエロさに比べて、爽快なポーズの連打で押されると、ちょっとだけバランスが崩れてるようにも感じた。が、再見まで保留。相変わらず初見では細部まで取りこぼしなく見ることができないし記憶も定かでないので。
これはもし7中で連続してみてたら、宇佐美さんの印象がまた変わっていたかもしれない。3演目ともまったく違った表現の攻めがあり、作家/パフォーマーとしての幅広さを一度に見せられたことになる。他のどこの業界にこんな才能のある人がいるんだろう。いやー、想定されてたはずの、道劇のサイズで早く見たい...
「盛れる」劇場とのことだったけど、間近で裸を見てると、(本当に今さら)こんなにきれいな体なんだなと素朴な感想が出てくる。というか、3ヶ月とはいえ通いこんで観てると、また自分の目や感覚が変わってきていることに気づく。単にかわいくみえたり、裸の美しさに見惚れたり、エロさが感じられたり、原初的な感覚に遡って開かれる。こういうことが、他のパフォーマンスやジャンルで起きたことは、あまり思いつかない。
時々もうさ、宇佐美さんだけ観てりゃいいよね...というふうになりかけるが、あまりそういうスタンスになるべきでない。好きな人やものこそ、他と対照してナンボであるから、変わらず色々な踊り子さんを観ていきたい。が、繰り返して観たくなる誘惑に抗いがたいのも事実...これは自分のクセのようなものでもあると思う。
7中あと、完全にロスに入ってしまったことを軽く話したら、それ聞きたかった!と目を輝かせて満足げにされたのが何か悔しい。