虹歩(1-4)
山口桃華(1,3-4)
MINAMI(1,3-4)
宇佐美なつ(1-4)
望月きらら(1-4)
12:06岐阜駅着。駅から徒歩3分のホテルに向かうが、フロントに全く要領を得ない客がいて3分足止めされる。とりあえず荷物だけ置かせてもらって外に出て時計を見ると12:13で、googleマップを開いて経路案内をするとまさご座まで16分と出る。開演は12:30だ。ところで、この日の岐阜は30℃になったらしい。猛暑の中、必死こいて早足で移動して12:27に着いた。
汗が引かないままトップの虹歩さんを見る。暑いし疲れたしで身体がざわざわして気が散っているのだが、ステージに目をやっているといつの間にか虹歩さんのペースに巻き込まれていくのが分かる。
ステージを「見る」ということには、何も視覚ばかりを働かせているのではなく、音楽を聞く聴覚はもちろんのこと、より曰くいい難い、演者の身体運動にこちらの身体を添わせる模倣的な感覚が使われている。
この模倣的な感覚は杓子定規に機能するわけではなくて、漠然とした「相性」みたいなものに大きく左右されもする。音楽や衣装の趣味、もちろん姿形への好感も含んでひじょうに雑多な感覚に基礎づけられていると思う。
虹歩さんは、持ち前のチャーミングさでこの模倣的な同期感覚の発生を促すことがあると感じる。「見る」ということのハードルが下がっていくのだ。でもそれはありのままの虹歩さんであると共に、長年のステージで鍛えられた芸人としての勘も当然ながらあって、とはいえその勘が意識的にカマしてくるようなものでもなく、自分のチャーミングさを気負わずに見せることそのものが芸になっている領域がある、ひとまず言っておく。
それにしても、虹歩さんがポーズを切るときに見えてくる体も何と言っていいか分からない。しばしば言われもする「雄弁な肉体」というような、体それ自体に見えてくる時間の重なりやそのことによって生まれる説得力のような印象とは全く逆に、何も語らず何も意味していない、しかし無機質ではない、「虹歩さんの体」としか言いようがないものが現前する。
ポーズの間合いが独特な気がして、別の演目でポーズ中のカウントを計ったらば、その演目ではほとんど毎回12カウント、つまり"3小節"ぶんポーズを切っていた。肌感覚では、他の人はワンエイト=2小節くらいが基準な気がしている。思い当たる例外では、るあんさんが長いときはスリーエイトくらいたっぷり使って成形する。
きららさん。『Earth』『教習所』『Pink』『教習所』の順。
『Earth』はプレーンな踊りだけの演目だが、衣装替えがやはり絶妙。ジョセフィン・ベーカーみたいなエキゾチシズムのある黄色が基調の衣装から、虹色のパレオのような鮮やかな衣装に変化する。16分一切弛緩することなく、踊りと、服を脱ぐという力だけで客席を巻き込んでしまう。
きららさんの体は、隠されたものが密やかに見えてくるという侘び寂びのあるウェットなエロとほとんど無縁で、何かが世界に現れてきたような、なんというか怪獣というか使徒というか、とにかく異形の存在として感じられる。
『Pink』ではとにかくものを投げる投げる。マラボーをフッと宙に浮かせて捨て去ると、あっと声が出るような運動感がある。なんの技巧的な難度があるでもないのに、そこには確かに特別な何かが宿っている。映画において、誰かが誰かにものを投げるとき、そこには非言語コミュニケーションとしての信頼が伺えるというのは『三つ数えろ』のボギー/バコールのやり取りから蓮實重彦が指摘していたところだが(資料を確かめているわけではないので不正確かもしれない)、きららさんが何かを放り投げるときには、そこステージやステージを見ている観客への信頼、身の預けが感じられる気がする。ポーズを切って脚が上がりきっても上体をイヤイヤするように左右に揺すって、この身すら投げ捨てたいと欲望しているかのようだった。
ただ、きららさんの圧倒的なサービス精神はきららさんと他の踊り子とにどこまでも差をつけてしまう要素でありつつ、諸刃の剣でもあるなと最近感じる。どこまで、何を、誰にサービスするのか、それはとても繊細な事柄だ。
宇佐美さん。『bubble』『アブダクション』『黒煙』『bubble』の順。
この日は基本的には顔面を見ていたのですが、『bubble』のラストのポーズで何かを掘り返すような力のこめられ方になっているのが『アンビバレント』以降のどこか泥臭い仕方にみえる。泥臭い、といってもマイナスな要因ではなく、内在する力を惜しみなく解放するようなそれであって、シャレたセンスにお高く止まったりはしないでいられる強さの表れでもあり、ひじょうに爽快なものである。
と言いつつ、これは要するにじゃんけんみたいなものなのだが、今回はきららさんと香盤が並ぶ不利があるとは思う。さゆみさんと並んだときも感じたことだが、なんというのか、かしこい人は本物のアホたちにどうしても負けてしまう部分はあってしまう。自分の持論だけども、舞台はアホとバカにはなかなか勝てないのだ。
ただこの"勝ち負け"もやはりじゃんけんと同程度の意味合いではあって深刻な敗北とは違う。でも、敢えてざっくり勝つとか負けるとか言ってしまうことで見えてくる部分は必ずある。勝負なき勝敗意識というか。
久々に武藤さんと会ったことで、心置きなく様々について悪...忌憚ない意見を交換しあってスッキリした。