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2022年2月9日水曜日

2月8日(火)[A級小倉劇場]

愛子(1-2)
御幸奈々(1-2)
安田志穂(1-2)
宇佐美なつ(1-2)
須王愛(1)


福岡の友人と昼食ののち、入場。

飛行機に間に合わせるため、ギリギリ2回目の宇佐美さんまで見られた。


安田志穂さん『雪の華』。内包する物語以上に、やはりど直球のバラード×ポーズベッドの強さ。鏡を閉じて以降の背景カーテンが白でさながら雪原のようだったが、昨日は果たしてどうだったか...

こういう再見時の気づきが前回の経験を不確かにすることがかなりある。そして、これはもう確かめようがない。


宇佐美さん『アブダクション』M2の振付で、指を小指から親指に向かって握り込むように順にたたむ動きがひとつ基調をなしている。やはり自分が踊らないのでシークエンスのまとまりを掴む力が弱いのだが、最初に提示しているシークエンスが、この指のたたみというミニマムかつ凝縮的な動きを逆のベクトルに反転させるように、何度か大きく腕で振り払うような(ビートの取り方も変わる)振りがあってから、曲の後半に回帰してくる。

動きの主題を忠実に追いながら水平的な提示にとどまらず、起伏を伴ったダイナミズムを高速の振りの中で確かに実装している。


ポーズベッド、最初の変型的なものを除けば比較的いつも通りのボキャブラリでポーズが切られていくのにこれほど複雑豊かに見えるのは選曲のトリッキーさもあるだろうが、それにしても不思議に感じる。

曲中に極端な起伏のハイとロウがありながら、すごく大雑把に言ってイントロ-A-B-C-A-B-アウトロという比較的単純な構成でもあり、なんだかんだある程度観客が展開を予期できる点がひとつキモでもあるような気がする。

M3M5のサウンドをもって「一般ウケ」ではないと判断していたのだが、もし宇佐美さんにそうではないと思える部分が強かったなら、M5にかんしてはこの構成レベルのシンプルさがあるのかもしれない。


ちょっと思ったのは自分の場合は曲を選ぶ時、比較的子供のことを考えるということだった。子供はサウンドのレベルで強く反応しやすいので、このM3M5はおそらく一発アウトだと判断する。多くの子供は「変な音」「変な歌い方」という規範意識がものすごく強く(かつ同調意識も強い)、わずかな変則もまともに通らない。そして、概ねこういう幼児期-少年期の規範意識がマイルドになりこそすれ、基本的には維持されたまま大人になっていくと考えている。
実際、自分以上に音楽経験がある人間が複数人、今回の選曲の凝りようを指摘した(何人か感想を聞いたうち、その"尖り"をもって好反応だったケースがある)のだから、一種の違和感は無化されるのではなく違和感を違和感として愉しむ方向にシフトするということではないだろうか。

この話の前提は選曲の傾向に従って「一般ウケ」の齟齬があるというものなのだけど、「ウケ」の根拠についてすり合わせたわけではないので、あくまでも限られた観客サイドの反応を基にした話ということで。
そして、なんの優れた表現でもそうだが大抵は遅効性であり、即断で良し悪しや面白い/つまらないが判断できてしまうようなものは、多くはその程度のものでしかないというだけのこともある。『アブダクション』はほんとうにすごい。(手のひら返し)




本当はこの日、どうしても書き残しておきたいようなことが起きたのだが(踊り子さんやお客さん・劇場に関すること、そして下世話な好奇を催すようなことでもなく)、様々な理由でそれができない。こういう匂わせるような書き方はまったくよくないのだけど、書かないことでそれがなかったことになってしまうのも違っていて、そしてそんなに珍しいことでもないのだけど、自分にとっては言い尽くせない意味がある。


ロビーでお喋りをしていて、武藤さんが「(私)は踊り子さんの演目について本人にまですごい細かい話をいちいちしてて...」と共通の知人に話していたら「細かいこと言いそう〜!」と即同意していた。何?

2月7日(月)[A級小倉劇場]

愛子(1-4)
御幸奈々(1-4)
安田志穂(1-4)
宇佐美なつ(1-4)
須王愛(1-2)


34年訪れなかった土地も縁があれば4ヶ月おきに来る。冬の小倉。前回歩いた道をひと回りして劇場に。(たまたま今回もタイミングが合った)武藤さんと、そのお知り合いであるFさんと島貫さんが初観劇へ来ていた。

しかし前回はなんだったのかというくらいのゆったり感。スーパーまったり進行でも定時より早まる。ちょうど前日、自分も閑散たる道の上で仕事をしていたのでいずこも同じか...という感慨にふける。


それで思うのは、やはりどんなにベストなパフォーマンスを行っても外的な要因に勝てないことは、このストリップ劇場ですらも変わらずにあるなと。少しだけ安心する部分もある。人が少なすぎればすり抜けてしまう力もあるし、弱い音響では支えきれない身体がある。でもここは照明がよいんだよなあ。


それでもこの日は3公演目の御幸さん・安田さん・宇佐美さんの流れがすばらしく、演目の選択も各々のパフォーマンスも何もかも噛み合っていて、これぞストリップの興行だ...という充実感が溢れていた。


この回の御幸さんの踊りはほんとうに春の突風のような運動感が全身に起きており、盆先の出島に踏み込めば地表から風が巻き上がるようなダンスを刹那に刻み込んで、しかしなんの情緒的余韻も残さず直ちに次なる風を発生させるようにステージ狭しと動き回っていた。ベッドが素晴らしいなんてものじゃなかったのだが、あまりに集中していて舞台奥の幕が開いて鏡が現れていたことに気づかず、目を向けた時にはカーテンが閉まりつつあって、その時ちょうど鏡に正対していた御幸さんの表情がほんの隙間に覗き見え、瞬間の美しさに震えるような感覚があった。

小倉の開いてくカーテンも閉じていくカーテンもどちらも死ぬほど美しい場面を作るのだ。


続く安田さんも同様で、鏡に映る照明を浴びた裸体が信じがたい輝き。普段聞いたら勘弁被るような大(おお)バラードで完璧にポーズを切っていく。

誰もが知っているサビが「来る=ポーズが切られる予感」という思いがせりあがって期待通りにポーズが形成すとき、そこにある快楽はやはりオーガズムのような感覚にひどく近いと思われる。

安田さんは4回目の演目の立ち上がりの、全裸で長く踊るシークエンスも素晴らしかった。


宇佐美さんの『黒煙』は、本人曰く「エロい気持ちになった時」バージョン。見慣れた振りに変化がある。

『黒煙』は自分のなかですこし屈折があって、というのも、これはお客さんからの人気が高くて、ヘソが曲がった自分はそのことへちょっと斜に構えてしまったり...あと、この演目のエロさのツボを掴んだ気になってるので、「目が合わないかな...(目が合うのが1番エロい)」と、アイドルオタクになりたての高校生みたいな期待感で見てる時がある。


8頭蕨以来の『ユキちゃん』も文句なく楽しいのだが、なんだかんだと乗り損ねた『アブダクション』が楽しめるようになった嬉しさで、遅れを取り返すようにしつつこれを1番気持ちよく見ていたかもしれない。

SNS上にある感想をなるべく見るようにしてるけど、未だ自分以外に言及なさそうなのであらためて書いておくと、M1の「バキュンバキュン」はほんの瞬間にインサートされる、銃に見立てた両手の硝煙を吹き消す振りが最高。センスってこういうところよな...

あと、ベッドの前半にある「流し込むから」という歌詞に即して、体の前で上から下に手を下す動きが股間に及んでそのまま勢い殺さず騎乗位的にバウンスするとこ、あそこのワイセツな感じも見逃せない。



人の天才で勝手に気持ちよくなって、さらにそれへお金を使ったりする気持ちよさがあり、この日初観劇の島貫さんとFさんがガンガンにそれへダイヴしていて頼もしかった。みんなもっとむちゃくちゃになればいい。

2021年10月3日日曜日

10月3日(日) [A級小倉劇場]

栗鳥巣(1-2)
宇佐美なつ(1-3)
松本なな(1)
山口桃華(1)
中条彩乃(1-2)


朝から小倉の街をひたすらうろうろして、11時頃に博多から来た友人と合流。劇場そばの天ぷら屋で昼食をとってから、開場とともに入場。


ストリップに慣れない友人と見ていると、その感想が気になるだけでなく、たぶん、その新鮮な視線を想像的にトレースするようなことが少し起きる。それで「positive」のM1-M2で明るく可愛らしく踊っている姿を見ていてふと、あれ、この人本当にこのあと脱ぐの...?と思ってしまい、なぜか一瞬ドキドキしてしまう。もう100回くらい見てるのだが...

「黒煙」は、初見でそのグルーヴィーさにノリまくりで見たことを思い出すとともに、この4ヶ月ステージを観続けたことで開発された「エロさ」をキャッチするアンテナとの合わせ技で、陶然としてしまう。
大和での感想にも書いたことだけど、前半の睥睨するような冷たい視線のありようが、後半、にわかに意味を変えてこちらの官能をひたすら刺激するような眼になってくる。つまらない例えだが、「北風と太陽」のように、コートで身を固めた姿は観客にとっても防衛的に距離を計り合うような関係になるが、じょじょにその衣服が脱ぎさられていくことで、こちらも共に心の鎧を捨てていくような感触がある。
ただ、(これも何度も書いてるが)そうした先に、どこか厳しい一線が引かれているようでもあり、その「エロさ」は解消/融和の手前でそれこそ煙るように広がっていくばかりで晴れることがない。官能の高まりは頂点を目指して這いあがっていくが、その手前で、官能の高まりを与えてくれる対象が隠れてしまう。
一般的な倫理観のうえで、人は関係する内に互いの平衡を保とうとするが、それと同時に、誰かを振り回したり、あるいは逆に誰かに振り回されたいと思う非合理も抱えている。人間関係は信頼というファクターによって、フェアネスの振り幅を大きく更新する。ストリップという文化が持つ演者と観客の信頼関係を前提にしたうえで、「黒煙」はこの振り回し/振り回されの非合理、すなわちエロティシズムにがっつり踏み込んでいる。
自分は、あらゆる人間関係において対等を望んでいるけど、この演目を見てる瞬間、この演目を演じている宇佐美さんになら振り回されてもいい、と今回はっきり思ってしまった。これは、かなりな感覚だと思う...

中条彩乃さん「ノンフィクション」。この3日間でいちばん集中して見ることができた。特異な構成に慣れてきたのもあるが、着衣/脱衣の境界がスタートからあいまいに設定されているので、むしろ純粋にその踊りや表情を見ることができる。
とはいえ、そのあいまいさはキーポイントでもあるように思う。裸体を遮り、時には強調する複数の布=ヴェールの存在は、裸体が時に背負うことになる”真実性”を揺らす。揺らす、といっても知的な結構によってというより、それが単にありのまま=ノンフィクション的だという事実を忌憚なく見せている素直さに、こちらが身を正している、と言えるのかもしれない。私たちの身体は衣服を纏うものでもあり、纏わないものでもある、という両義性を行き来して踊る。それを思うと、逆行するような構成は、衣服を脱ぎ去っていくことで裸体の価値が不当に高まることを押さえている、とも考えられるかもしれない。


はじめて合ポラを撮ってみた。並びのオーダーで順列をつけることに微妙に抵抗があるのと、しかし香盤順に並んでポーズを取ってもらうだけではつまらないし...というのを、これならいいかなとオーダーが思い浮かんだのでやってみることに。思った以上にお姐さん方の自然な表情が写っており、これこれ、これが写真よね...となった。
完全な余談にもほどがあるが、その写真に映ってるひとりの踊り子さんの表情が、普段はまったくそうでないのに、かつて好意をもっていた女性のそれにそっくりで、思いがけない副産物があるなどした。

今回もまた、ちょっとした踊り子さんの振る舞いに勉強になることが多かった。募金のときにまで客イジりを忘れなかったり、お客さんから渡されたものへの扱いや、またお客さんの振る舞いを制するのにトゲのない仕方で介入したり。
このうち、そうした振る舞いでもっとも勉強になったのは、やはり栗鳥巣さんだった。その演目の特殊さ以上に、きわめて常識的な感覚をもった方で、この方が劇場にいれば安心することが多いのだろうなと想像した。

2021年10月2日土曜日

10月2日(土) [A級小倉劇場]

栗鳥巣(1-4)
宇佐美なつ(1-4)
松本なな(1,3)
山口桃華(1,3)
中条彩乃(1-3)

 

昨晩、大回りして宿に帰るとうっかりソープ街に行き当たった。朝にあらためて周囲を散策してみるとそれなりの規模感。「船場」という地名があったりと、往時というか歴史が偲ばれる。劇場周辺も歓楽街の香り濃く、そうした労働者や商人などが行き交う土地でもあったのだろう。そもそも門司港が近い。

 宇佐美さん。1回目「positive」いよいよ本領発揮といった感あり。昨日も書いていたけれど、最近は何か、ほんとうにその瞬間しかないような特別な表情があって、これがあると、何度見た演目であっても、その度ごとに演目の最も核にあるようなものがむきだしになって迫ってくるような新鮮さを感じる。それはたぶん、宇佐美さんがこの演目に対していつまでも新鮮な感覚を失っていないからなのだと思う。

 松本ななさん3回目のパンダの演目。ラストの選曲は、イントロが流れ出したとたんに会場の全員がピンとくるような有名な楽曲だが、しかしこれこんなにいい曲だったのかという塗替えがあった。

 今日は劇場に常連さんや遠征組が目立つ。ロビーで談笑する人たちが固まっている。このようすに、自分の仕事場の光景を思い出してしまう。パフォーマーを介して、さまざまな人たちが集い、関係するきっかけにもなって、「場」が作られていく。
それはべつに必ずしも良いことだけでもなく、人間関係のうっとうしい部分や、ステージを楽しむという意味ではノイズになることもある要素もあるということ。ただ、そうした夾雑物が入り込むのが本来の「場」だろう。

 そんなことを感じながらひとり劇場にいると、すこしものさみしい気分になってしまう。この1年半、ほとんどそうした場を作るファクターに関われていない自分はなんなのだろうと少し落ち込む。もちろん、自分の力を越えた出来事なのだから、どうしようもないのだが、奇跡的にそうした変わらない場所が維持されている劇場に、ときどき引け目を感じる瞬間があってしまった。 

2021年10月1日金曜日

10月1日(金) [A級小倉劇場]

栗鳥巣(1-4)
宇佐美なつ(1-4)
松本なな(1)
山口桃華(1)
中条彩乃(1-3)


ストでは初遠征。単純に、仕事以外で旅に出るのは2年ぶり。はじめての福岡、でもある。前泊していた博多から新幹線で小倉へ。開場時間の間際だったので、寄り道せず、駅すぐそばの劇場へ。すでに20人ほど並んでいる。地元の方の声を聞くには、平日としては異例の集客とのこと。
階段をのぼり、劇場へ入ると高低差の付いた座席が3列。床面に傾斜があるのではなく、座席自体をスチールの台座で持ち上げて高くしている。
盆回りに半円形のベンチがある。ただ、盆から花道が貫通していて出島のようなエリアが先端にある。このあとわかることなのだが、経年劣化なのか盆に傾斜があって、回転するとガタガタいう。ポーズ中、踊り子さんに震動がつたわっていて大変そうであった。
開演前にエロビデオが流されているタイプの劇場。時間がくるとスタッフさんがテレビを引っ込めて、録音のアナウンスが流れる。「如何に興奮なさってもタッチショー以外は決してお手を...」という文言のパンチ。ミラーボールがやや頼りなく回りだす。

栗鳥巣さん。自吊りのあと、有名なおまん画。客あしらいがさすが。花電車はしゃべりができないと持たないとabemaの番組でゆきみ愛さんがおっしゃってたような気がするが、まさに。

宇佐美さん。初乗りで気合い入れまくりなのか、緊張なのか、いつもとペースが全然違う。2回目の「bubble」では衣装を脱ぎ損なうハプニングで、イレギュラーな袖ハケも。とはいえ、動きのなかで処理していたし、初見の人なら通常の段取りにみえたのではというくらい早い判断に思えた。ミスに対するとっさの判断力にこそ、その人の力量は伺えると思うけれど、さすがでした。
3回目の「positive」でようやくいつものような雰囲気に。この劇場は照明がかっこうよく(かわりに音響がすこし残念でもったいない...)、いつもとちがった演目の姿が見られてよかった。そして立ち上がり、なんともいえない絶妙に美しい表情があった。こういう、万人に共有物として開かれるわけでも、記録価値があるでもない、刹那の表情の良さを書いておくことには、ほとんど意味がない。それでも、その瞬間、自分にとってはとても重要で、たしかな経験として受け取ったということを、黙っていられない性分なのだとおもう。とてもきれいでした。
4回目「bubble」は曲カットで2曲目から。初遭遇だからこれがあの曲カットか!と新鮮だったけど、なるべく出くわしたくないですね...

しかし今日、場内とてつもなく暑く、すこし体調に響いてきたので中抜けを増やしてしまう。かわりに小倉の街をみられたのでよし。博多より圧倒的に気に入る。猫も多い。それにしてもテレクラってまだ存在してたんだな...

中条彩乃さん。「ターニングポイント」「ノンフィクション」「お嬢の事情」。もうひとつは体力的な問題であきらめる。おそらく上野綾さんから借りたという「DD」だったのだろう。
3作の中では「ターニングポイント」が面白く見られた。衣装と扇子の赤が非常にゴージャス。かなり明確な「赤」であって、あまりこういう彩度の印象が強い衣装は記憶にない。しかし「ターニングポイント」は、この赤さと共に思いだされる。そして、赤さの主張の強さに負けないスタイルの良さがある。これは質の高低やジャンル間のヒエラルキーとはまったく無関係な話として、中条さんはそもそももっとメジャーなステージで踊っているようなタイプのダンサーのパーソナリティーに近いような気がする。それが、ストリップというマイナーなステージにあらわれたとき、場違いともいえる「陽」のオーラをガンガンに振りまいて場を異化していく。ポラからPプレからフィナーレの仕切りまで、「中条の間」でバキバキ割っていくような。中条さんのファンの方は、こういうところがたまらないのだろうなと想像する。
個人的には、トレードマークの笑顔よりもまして、ベッドでの艶っぽい静かな表情がひときわ美しく感じられた。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...