愛子(1-2)
御幸奈々(1-2)
安田志穂(1-2)
宇佐美なつ(1-2)
須王愛(1)
福岡の友人と昼食ののち、入場。
飛行機に間に合わせるため、ギリギリ2回目の宇佐美さんまで見られた。
安田志穂さん『雪の華』。内包する物語以上に、やはりど直球のバラード×ポーズベッドの強さ。鏡を閉じて以降の背景カーテンが白でさながら雪原のようだったが、昨日は果たしてどうだったか...
こういう再見時の気づきが前回の経験を不確かにすることがかなりある。そして、これはもう確かめようがない。
宇佐美さん『アブダクション』M2の振付で、指を小指から親指に向かって握り込むように順にたたむ動きがひとつ基調をなしている。やはり自分が踊らないのでシークエンスのまとまりを掴む力が弱いのだが、最初に提示しているシークエンスが、この指のたたみというミニマムかつ凝縮的な動きを逆のベクトルに反転させるように、何度か大きく腕で振り払うような(ビートの取り方も変わる)振りがあってから、曲の後半に回帰してくる。
動きの主題を忠実に追いながら水平的な提示にとどまらず、起伏を伴ったダイナミズムを高速の振りの中で確かに実装している。
ポーズベッド、最初の変型的なものを除けば比較的いつも通りのボキャブラリでポーズが切られていくのにこれほど複雑豊かに見えるのは選曲のトリッキーさもあるだろうが、それにしても不思議に感じる。
曲中に極端な起伏のハイとロウがありながら、すごく大雑把に言ってイントロ-A-B-C-A-B-アウトロという比較的単純な構成でもあり、なんだかんだある程度観客が展開を予期できる点がひとつキモでもあるような気がする。
M3とM5のサウンドをもって「一般ウケ」ではないと判断していたのだが、もし宇佐美さんにそうではないと思える部分が強かったなら、M5にかんしてはこの構成レベルのシンプルさがあるのかもしれない。
ちょっと思ったのは自分の場合は曲を選ぶ時、比較的子供のことを考えるということだった。子供はサウンドのレベルで強く反応しやすいので、このM3M5はおそらく一発アウトだと判断する。多くの子供は「変な音」「変な歌い方」という規範意識がものすごく強く(かつ同調意識も強い)、わずかな変則もまともに通らない。そして、概ねこういう幼児期-少年期の規範意識がマイルドになりこそすれ、基本的には維持されたまま大人になっていくと考えている。
実際、自分以上に音楽経験がある人間が複数人、今回の選曲の凝りようを指摘した(何人か感想を聞いたうち、その"尖り"をもって好反応だったケースがある)のだから、一種の違和感は無化されるのではなく違和感を違和感として愉しむ方向にシフトするということではないだろうか。
この話の前提は選曲の傾向に従って「一般ウケ」の齟齬があるというものなのだけど、「ウケ」の根拠についてすり合わせたわけではないので、あくまでも限られた観客サイドの反応を基にした話ということで。
そして、なんの優れた表現でもそうだが大抵は遅効性であり、即断で良し悪しや面白い/つまらないが判断できてしまうようなものは、多くはその程度のものでしかないというだけのこともある。『アブダクション』はほんとうにすごい。(手のひら返し)
本当はこの日、どうしても書き残しておきたいようなことが起きたのだが(踊り子さんやお客さん・劇場に関すること、そして下世話な好奇を催すようなことでもなく)、様々な理由でそれができない。こういう匂わせるような書き方はまったくよくないのだけど、書かないことでそれがなかったことになってしまうのも違っていて、そしてそんなに珍しいことでもないのだけど、自分にとっては言い尽くせない意味がある。
ロビーでお喋りをしていて、武藤さんが「(私)は踊り子さんの演目について本人にまですごい細かい話をいちいちしてて...」と共通の知人に話していたら「細かいこと言いそう〜!」と即同意していた。何?