ラベル 望月きらら の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 望月きらら の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年4月28日木曜日

4月27日(水) [まさご座]

虹歩(1-2)
山口桃華(1-2)
MINAMI(1)
宇佐美なつ(1-2)
望月きらら(1)


3日目の朝。雨も早々に上がって晴れた。目当ての店が2軒もお休みで、しゃあなしに勘で入ったところがよい店で上機嫌のまま劇場へ。ほどほどに空いててなおよし。

宇佐美さん『アブダクション』『黒煙』。
どちらもかなり快調なようすに見受けられた。とくに後者、M1の振りの粒度が高くはっきりと見えてくる不思議な感覚に。ただ、ひじょうに微妙な「力の加減」によって起きているようなそれに、どこまで再現性を与えられることなのかまったくわからない。M1の粒度高い踊りがM3以降の視線の与えが主軸の時間になると、ややもすると表情の「加減」が強すぎるように響く感触もあったりする。
たしかにそもそも、これは微妙すぎていちいち問題化することではないのかもしれない。良し悪しではない、追い続けてるからこそ感覚できる(もしくはしてしまう)こちらの微妙なひっかかりは特に確かめず流せるときとそうでないときがあって、時おり何だかそこにこだわってしまう。細かいところまで目が届く、という見方はキャンセルすべきときも往々にしてあって、つねにそれが正しいわけではない。

きららさん『Pink』。
めずらしい、というかたぶん初めて疲れのあるステージを見た。にも関わらずポーズベットになればブチ抜いた表現を見せてくれる。「ポーズ」という型が表現するところの内実の多様さは人それぞれと言っていいほどに豊かで、さらに演目ごとに振り幅を持つものでもあるが、きららさんのポーズの引き出しの多さはちょっと異常に思える。人は型を保ったままどこまで自由になれるのか、その見本がきららさんにはある。

観劇していて、今日は調子よさそうだなとか、ちょい疲れてるなとか日々のコンディションを拾っているが、それはあらかじめある「完璧さ」に対してどれほど届いてるかという視点で判断しているわけではなく、その低調と快調の波それ自体を見たいという視点が自分にはある、と感じる。だから、演目はそれほど惹かれなくても部分的に関心のある踊り子さんがいて、波のあること自体に好感を持ったりする。
観る機会が少なければ当然それが波かどうかも分からないわけだが、それにしても例えば中条さんなんかは回ごとの振り幅がごく小さく見える。そのことはプロとしての長所であるはずだが、自分はそれが気になってうまく入り込めていなかった。東寺では、環境の不安定性(近接性というブーストが効かず、広い空間では小さいノイズが大きく取られる)に対してブレが生じないという二項の比較が成り立つことで自分にようやく意味ある視座が獲得できた。

宇佐美さんに関しては、本人の望むところと乖離があるだろうけど、振り幅の大きい人であることが紛れもなく強い魅力になっている。本質的にはアンコントローラブルな「私」が「今」という一瞬一瞬を都度新鮮に迎え入れるような態度に、信じられないほどの輝きが宿る。それは毎回同じようにあったらむしろ嘘で、寄せる波が砂上に残す濃淡が毎回それを違えるように、自ずから同一性を拒否している。単純に環境に流されているわけでもなく、かといって制御しきれるわけでもない、細かい条件の可変を前提にした複雑な力の拮抗を顕在させるのがステージという場である。
芸の巧拙を越えて、そこにどう在るか、という問を通じて生の強さも弱さも見せてくれるのは一年経っても変わらず宇佐美さんしかいない。

今回は何の前触れもなかったので平気な顔で劇場を出たら、その瞬間にそのままおしまいになるくらい寂しさがやってきた。柳ケ瀬のアーケードをこんなにつらい気持ちで歩いている人間は他にいないのではなかったか。

4月26日(火)[まさご座]

虹歩(1-4)
山口桃華(1-2,4)
MINAMI(1,4)
宇佐美なつ(1-4)
望月きらら(1-4)


朝、はじめて駅の南側に行ってみた。
新幹線駅のすぐそばというのにこれは......という風俗街。へーと横目に眺めて記憶に留める。
劇場でその話をしているうち、なるほどそうかあれが金津園というやつかと気づく。吉原・雄琴・金津園という3大ソープ街と言われもする場所のひとつである。劇場の近くにはやはりこういう"悪所"があるわけだ。


きららさん『Pink』『教習所』『Earth』『Pink』の順。
この日全体の白眉は2回目の『教習所』だったことは居合わせた全員が納得するのではないか。オールスターキャストのパラパラ群舞にはじまり、最年長の虹歩さんがいじられ役で場が一気に和む。ある程度年齢を重ねた女性に見受けられる、ずっと自分自身でいられる空気の読まなさが最高にいい。ノリが悪いわけではないのだが、これ以上はパス、という感じを出しても全然柔らかい空気のまま。いじり芸の天才・望月きららの引き際の間の見極めも確かだった。
前日と、聞くところによれば前々日もベッドはMINAMIさんと車(何?)との3Pだったのが、この日はきららさんソロ。チームショーのおふざけは、それはそれで得難い空気感だろうけど、やはりおふざけはおふざけでしかないというか、そんなに大したものではないと思っている。ある程度の芸歴があればステージでふざけるのなんて簡単なのだ。
その点、ステージに香盤の踊り子全員を引き連れて(山口さんだけいつものニコニコ顔で、これはこれで空気を読んでなくても許される感じがあるのはズルかった)壮観な画を作ってから、最後はひとりでベッドショーを引き受ける、という流れが自分には感動的だった。本当にどうしようもない下ネタでしかないのに、泣けそうな高まりが生じていた。ライヴ感というはどんな表現の角度からも発生して、それに乗り切る芸人の力さえあればいいのだなと教えられた。

この回、きららさんが出てきた途端、あーこの回「勝った」なと察せられる空気が漂っていた。そして、M1で下手手前から上手奥へと斜めに4本並んだ小さいロードコーンの真上をズカズカ跨いで歩き出した瞬間、きららさんもこの回の勝ちを確信している感じが伝わってきた。それがなんで分かるのか言語化しづらいけれども、やがて劇場空間に放出される熱が今か今かとその時を待ち構えているのはありありと"分かる"としか言いようがない。

そうした空気の下準備を作ったのは間違いなく『アブダクション』を出した宇佐美さんのおかげである。こんなにも次の踊り子にきれいなパスを出した香盤をあまり知らない。逆に、ショーストッパー的に次の踊り子を潰してしまった例はいくらもある(まったく悪いことではない)。前日、相性の問題を書いたけども、この回は個性の差異が保持されたまま、どちらかがどちらかに勝ったり負けたりすることなく、それぞれのキャラクターの差を十分に味わいうる連続性があった。

宇佐美さん『アンビバレント』『アブダクション』『黒煙』『アンビバレント』。
武藤さんがそう指摘していたので気をつけて見ていたけど、盆入りの価値が減衰してしまうような本舞台との往復が目立ったと思う。まさごは本舞台と盆の分離感が大きいだけに、盆入りによる「来た」感じがどこよりも強い。虹歩さんの一回目の演目はベッドまで本舞台での踊りを貫いていて、そのくらいタメがあるからこそポーズベッドが際立つ、という構成になっているのに気づいた。これも武藤さんが指摘していたことだが、盆の出入りの多さは宇佐美さんに限ったものでもなかった。


小倉以来の島貫さんが劇場にいらしていて、終わったあと軽くお酒をご一緒した。最近おしゃべりの機会が多くて、いい。

2022年4月27日水曜日

4月25日(月)[まさご座]

虹歩(1-4)
山口桃華(1,3-4)
MINAMI(1,3-4)
宇佐美なつ(1-4)
望月きらら(1-4)


12:06岐阜駅着。駅から徒歩3分のホテルに向かうが、フロントに全く要領を得ない客がいて3分足止めされる。とりあえず荷物だけ置かせてもらって外に出て時計を見ると12:13で、googleマップを開いて経路案内をするとまさご座まで16分と出る。開演は12:30だ。ところで、この日の岐阜は30℃になったらしい。猛暑の中、必死こいて早足で移動して12:27に着いた。


汗が引かないままトップの虹歩さんを見る。暑いし疲れたしで身体がざわざわして気が散っているのだが、ステージに目をやっているといつの間にか虹歩さんのペースに巻き込まれていくのが分かる。
ステージを「見る」ということには、何も視覚ばかりを働かせているのではなく、音楽を聞く聴覚はもちろんのこと、より曰くいい難い、演者の身体運動にこちらの身体を添わせる模倣的な感覚が使われている。
この模倣的な感覚は杓子定規に機能するわけではなくて、漠然とした「相性」みたいなものに大きく左右されもする。音楽や衣装の趣味、もちろん姿形への好感も含んでひじょうに雑多な感覚に基礎づけられていると思う。

虹歩さんは、持ち前のチャーミングさでこの模倣的な同期感覚の発生を促すことがあると感じる。「見る」ということのハードルが下がっていくのだ。でもそれはありのままの虹歩さんであると共に、長年のステージで鍛えられた芸人としての勘も当然ながらあって、とはいえその勘が意識的にカマしてくるようなものでもなく、自分のチャーミングさを気負わずに見せることそのものが芸になっている領域がある、ひとまず言っておく。
それにしても、虹歩さんがポーズを切るときに見えてくる体も何と言っていいか分からない。しばしば言われもする「雄弁な肉体」というような、体それ自体に見えてくる時間の重なりやそのことによって生まれる説得力のような印象とは全く逆に、何も語らず何も意味していない、しかし無機質ではない、「虹歩さんの体」としか言いようがないものが現前する。
ポーズの間合いが独特な気がして、別の演目でポーズ中のカウントを計ったらば、その演目ではほとんど毎回12カウント、つまり"3小節"ぶんポーズを切っていた。肌感覚では、他の人はワンエイト=2小節くらいが基準な気がしている。思い当たる例外では、るあんさんが長いときはスリーエイトくらいたっぷり使って成形する。


きららさん。『Earth』『教習所』『Pink』『教習所』の順。
『Earth』はプレーンな踊りだけの演目だが、衣装替えがやはり絶妙。ジョセフィン・ベーカーみたいなエキゾチシズムのある黄色が基調の衣装から、虹色のパレオのような鮮やかな衣装に変化する。16分一切弛緩することなく、踊りと、服を脱ぐという力だけで客席を巻き込んでしまう。
きららさんの体は、隠されたものが密やかに見えてくるという侘び寂びのあるウェットなエロとほとんど無縁で、何かが世界に現れてきたような、なんというか怪獣というか使徒というか、とにかく異形の存在として感じられる。
『Pink』ではとにかくものを投げる投げる。マラボーをフッと宙に浮かせて捨て去ると、あっと声が出るような運動感がある。なんの技巧的な難度があるでもないのに、そこには確かに特別な何かが宿っている。映画において、誰かが誰かにものを投げるとき、そこには非言語コミュニケーションとしての信頼が伺えるというのは『三つ数えろ』のボギー/バコールのやり取りから蓮實重彦が指摘していたところだが(資料を確かめているわけではないので不正確かもしれない)、きららさんが何かを放り投げるときには、そこステージやステージを見ている観客への信頼、身の預けが感じられる気がする。ポーズを切って脚が上がりきっても上体をイヤイヤするように左右に揺すって、この身すら投げ捨てたいと欲望しているかのようだった。
ただ、きららさんの圧倒的なサービス精神はきららさんと他の踊り子とにどこまでも差をつけてしまう要素でありつつ、諸刃の剣でもあるなと最近感じる。どこまで、何を、誰にサービスするのか、それはとても繊細な事柄だ。


宇佐美さん。『bubble』『アブダクション』『黒煙』『bubble』の順。
この日は基本的には顔面を見ていたのですが、『bubble』のラストのポーズで何かを掘り返すような力のこめられ方になっているのが『アンビバレント』以降のどこか泥臭い仕方にみえる。泥臭い、といってもマイナスな要因ではなく、内在する力を惜しみなく解放するようなそれであって、シャレたセンスにお高く止まったりはしないでいられる強さの表れでもあり、ひじょうに爽快なものである。
と言いつつ、これは要するにじゃんけんみたいなものなのだが、今回はきららさんと香盤が並ぶ不利があるとは思う。さゆみさんと並んだときも感じたことだが、なんというのか、かしこい人は本物のアホたちにどうしても負けてしまう部分はあってしまう。自分の持論だけども、舞台はアホとバカにはなかなか勝てないのだ。
ただこの"勝ち負け"もやはりじゃんけんと同程度の意味合いではあって深刻な敗北とは違う。でも、敢えてざっくり勝つとか負けるとか言ってしまうことで見えてくる部分は必ずある。勝負なき勝敗意識というか。


久々に武藤さんと会ったことで、心置きなく様々について悪...忌憚ない意見を交換しあってスッキリした。

2022年3月15日火曜日

3月14日(月)[ミカド劇場]

葵マコ(1-4)
白雪(1-4)
望月きらら(1-4)
永瀬ゆら(1-4)
六花ましろ(1-3)
春野いちじく(1-3)


ストリップを見始めてからいちばん間が空いた。
武藤さんに「お久しぶりです」と言われて「お久しぶりです」と返したが1ヶ月前に上野で会ってた。久しぶり?


デビュー週以来の白雪さん。『デビュー作』がまた変形していた。腕の振りがかなり増えていて、パーツの長さが際立つ。どういうブームの変遷があったのかはわからないけれど、見られることや言及されることでフィードバック的に手脚の長さが活きた踊りになることがあるのかもしれない、と思うなど。
最新作の『おんな』は邦楽揃えで。この演目は衣装替えでのナース服がみどころ?だろう。聴診器とシガレットケースがキャラ付けの小道具。ちょっと所々で口がムズムズしたが、必要とあらばお姐さん方のご意見が入ることでしょう。そんなことよりポーズで『アブダクション』で見たものが。思わずニコニコした。1結の頃から覚えたものをすぐ取り入れてるフシがあったのでこれは...と確認したらやはりお姐さんにご指導いただいたとのこと。4回目では、直前まで即興の踊りが増えていたのでそのポーズに入るまでの間が足りずに形が崩れていたが、決して悪印象にならないのはそうした「どうしても今踊りたい」という欲求が素直すぎるほどに伝ってくるからだろう。"新人らしからぬ"という評判が各方面に行き渡りつつあるようだが、白雪さんのパーソナリティの得難い素直さも合わせてどんどん伝わっていく気がする。
『無常』。M1の選曲もさることながら、ヴェールで口元を隠してパイプを片手に持った白いドレス姿が最高にクール。踊りも表情も抑制されていて、それがまた映えること。M2では一転して踊る踊る。音を捉えた振付が明確なコントラストを描き出していて、このM1-2の流れは再見が特に楽しみ。

それにしても、こういう才能とパーソナリティーの人がもし自分の業界で近いところにいたら、何を言って何を言わずにいるかとても悩むだろうな...と考えていた。概ね、放っておけばガンガン勝手に学んでいくだろうという安心とともに、素直すぎる(ようにみえる)性格は相変わらず老婆心を刺激する。


きららさん。『うる星きらら』では冒頭のドローンの操縦がいかにもきららさんぽい。予想外に行き来する飛行体はステージと客席の垣根を崩して笑いを振りまく。『ガネーシャ』はひたすら踊り倒す系列の、いちばん期待している類の演目。M1-2とずーっと絶え間なくいい踊りをそれも豪華な衣装で見せられると、このあと服まで脱いでくれるのか...と謎の満腹感に襲われる。衣装を脱いでもまたさらにその下から仕込んでいた布がズバッと引き出されてトランスフォームする。尽きない運動と意外性への執着は「芸」の最大値であるポーズベッドをより高める。あまりにも意外な速度で入ってくるので、格闘家が関節技をキメられるときはこんな感じだろうと想像してしまう。
それにしても、きららさんの局部には顔がある。何を言ってるのか...となるが、はじめの頃、唯一動きのない場としての局部があり、それをことさらに見る意味が生じていなかったのだが、きららさんのものには何か主張があるというか、隠語としてある「花」が存在感をもって感じられるというか、独特の印象がある。


この日は葵マコさんの『フランソワさん』『アオハル』がいちばんの収穫だった。
とりわけ『フランソワさん』の選曲の趣味の良さと曲間の絶妙な間合いの妙、M2でランジェリー姿でスポーティーに、しかし表情をへんに作らず踊る姿の美しさや、そこから下着を取り去って袖にハケる直前、全裸で胸だけを隠して(この隠す腕も、直前に袖へ処理する下着の投擲がそのまま体の前に残る形である)、つまり下は晒したまま笑顔を向けて袖に消える姿の圧倒的な品の良さ...そしてベッド着で前のジッパーを降ろして再び裸体が現れるとき、どうしてついさっき一度は見せた裸がこうも真新しく見えるのか、一向に色褪せないストリップの不思議さ・新鮮さが訪れる。ポーズも1回目と3回目では順序が違っていたような気がするのだが、特に1回目では体を反らして腕を宙空に伸ばして肘が伸び切っても、もたげた手首が回転して指が天を指すまで拍手が起こらず、じょじょに結晶していく氷のなりゆきを見守るような緊張感が場内にあった。

ところで、きららさんの『パン屋の宮原さん』、白雪さんといちじくさんが駆り出されて、めちゃくちゃ質の悪い忘年会みたいな空気に包まれていたのだが(良いとも悪いとも言っていない)、いちじくさんの存在感が素晴らしくて、あの望月きららを「食っていた」と言っても過言ではないと思う。学生服姿でズボンをずり下げてずーっとおしりだけ出しながらふらふらしてるだけなのに、それがあのステージではもっともふさわしい振る舞いと頷ける説得力があった。かと思えば思い出したようにキレあるダンスを披露し(キレのある踊りを行う必然性は別に生じていないのだが)、今その時間ステージ上で何の責任もない(お遊びの演目であり、むしろぐちゃぐちゃにすることが望まれている)ということを、いちじくさんよりうまく引き受けられる人はいないのではないかと感じた。きららさんとの関係性およびいちじくさんの資質。


渡邉さんがアゲハさんとおそろいのカラーリングにして現れたり、某配信での某スト客への扱いの良さにヤキモチを妬いていたり、道後で仕込まれたらしい3150ポーズを武藤さんが繰り出していたり、皆どうかしていた。

2022年1月7日金曜日

1月7日(金)[大和ミュージック]

相田樹音(1)
かすみ玲(1)
三月涼々(1)
KAERA(1)
望月きらら(1-2)
山口桃華(1)


10結ぶりのきららさんを見に。場内かなりのまったりモード。


きららさんのOL演目は、花道でコケて、持っている書類を宙に巻き上げるアクションからスタート。ベタ中のベタみたいなシーンでも、間とためらいのなさによって一挙に空気を活気づけるパフォーマンスになっている。舞い散る書類のひらめきの視覚効果と、その書類を片すのに観客を巻き込むライブ感の両方がある。
リクルートスーツ的なあっさりした装いは脱衣もシンプルだが、花道に置かれた椅子の上でストッキングを破り体をまさぐるシーンは『蝉』の団扇で体をまさぐるシーンと同質のニュアンスがあった。全身が性感帯に変化したようなうごめきというのか...
座位と立位を行き来する自在なベッドは、重みから解き放たれているようだが、まさしく中空で体を支えるところの椅子という小道具もそうした感触の演出に役立っている。そもそも花道(大和だからこそとはいえ)という本舞台と出べそをつなぐ間(あいだ)の場で脱衣があることも、主題的な一貫がある。もちろん、きららさんはこうした論理で以て演出しているのでなく、抜群のカンで直截にステージの核を掴めてしまうのだろう。


大和は好きなのだが、やはり来るまでにかなり疲れてしまうことが多い。距離もさることながら、小田急の頻繁な遅延もある。職場から直行モードもキツいが、帰宅すると1回目に間に合わないジレンマ。


思えば1頭は友坂さん、さゆみさん、きららさんとご挨拶をしたい踊り子さんたちにたくさんお会いできる週だった。今年はどんな面白いことがあるのだろう...などと、一段落したふりを自分自身にしてみせたところで、来たるべき1結がまだまだ一向に近づいていない現実と向き合うことになるのだった。まだっすか...

2021年10月28日木曜日

10月28日(木)[渋谷道頓堀劇場]

水咲カレン(1-4)
るあん(1-4)
石原さゆみ(1-4)
望月きらら(1-4)
六花ましろ(1-4)


久々の道劇に香るスモークが「ホーム」を思わせてしまう。こんなに言いたいことの多い香盤もないが、望月きららさんの圧倒的な"優勝"の空気にすべてが持っていかれてしまう。何から何をどう言えばいいのか。そして、差異の問題を超えてここまでストリップに心底揺らされる可能性が残ってるとは(本当におこがましくも)、正直思っていなかったかもしれない。たぶん、まだまだ、これからも何度もこういうことがある。

るあんさん。アリスをモチーフにした奇数回の演目が職人の技が冴える工芸品のような演目で感嘆。ご本人のキャラクターとコンセプトの合致はもちろん、ベットで同じ曲のカバー/オリジナルという二曲を使うのも面白い。そしてあの息の長いポーズは、細い糸を切れないように、しかしグッとテンションをかけ続けるようなスリルと繊細さがある。

石原さゆみさん。3個だし。3回目にクリスマスの演目を出していて爆笑する。早すぎる。着る服を客に選ばせるシーンがあるのだが、させたいことの意図が明瞭な手つきで行われていて勉強になる。
CAの演目では、脱力した3カウントの指折りが何ともいえず目を引く。それが服の前を開いた後にも反復され、着衣と脱衣のシークエンスを段違いのままに繋いで、その接合の落差にグッとくる。
新作はほんとうにシンプルに踊りを見せるだけの演目。ジャズダンスから社交ダンスへ移行して、ベットショー。髪を解いてザッとかきあげる仕草。夏にあんな飛び道具的演目を繰り出してた人とは思えない。かといって、それが物足りないかというとそうでもなく、ほんとうに言い難い感覚がある。

こう言っては何だが、そして素人が技術の判断に踏み込む危険もあるのだが、石原さんはそれほど踊りやポーズが達者な踊り子ということでもないと思う。にも関わらず、見ているとどんどんその人が気になってクセになってくる感じ。
指パッチンのとんでもない脱力感はリズムも完全に無視しているし、そもそも音が鳴りようのない弱々しさで、どんな意識の持ちようだとそうなるのかさっぱり分からない。他方で、歌詞の「乾杯」にあわせて手首同士を打ち付けてグラスを模す振付は妙に鋭角だし、何をどう考えてるのかさっぱり読めない。
また立ち上がりでポーズのアンニュイさから解放的に笑顔で踊る様子は、プロのダンサーというより踊りが好きな女の子がたまたま流れてきた好きな曲で踊って見せてるような親しさがあり、それがまた妙に良い。
さゆみさん、見れば見たぶんだけ気になってくる。

望月きららさん。4個だし。先週も4個だしで、気合からして違う。1回目の「シンドバット」は盆からはみ出るくらいのビニールボートに乗って、財宝をゲットしたりエキゾチックな美女に出会ったりする。
ベットで、財宝の箱を開けて宝飾品をザラザラと胸にかけるくだりの"わかってる"感じ...きららさんも、変な「演技(=意味)」ではなく、徹頭徹尾「運動」を追っている。そしてポーズがまたとんでもない。
ツイートでふと感想を漏らしたら、フォロワーの方から同意を頂いたのだが、きららさんのポーズは植物の成長を早送りにした映像のような躍動感がある。ぐーーーーっと伸び続けて、伸び切ってもまだ動きが有り余るような、生命そのものを圧縮したような運動。値千金。

2番目、春野いちじくさんのレンタル演目「ナース」に撃ち抜かれる。ユーモアとエロと先鋭的な選曲センスが矛盾なく絡まりあって、演目の完成度という点で天才性を感じる。とてつもない。
キャスター付きのスツールを袖から出してヒールで踏みつけて押さえてから、本舞台中央から盆の面へと上体を乗せて子供のように滑っていくとき、舞台は一気に活気づいてしまう。いちじくさんがどう演じているかわからないが、まず目の前にいるのは小道具を扱わせたら第一級の名人であるきららさんであるから、単なるショボい椅子も生き生きとした命を持ち出す。
また、注射器から粘性の高い液体をとろーっと垂らすベットまでのシークエンスも、絶妙という他ない。ここの選曲が抜群。その"エロ"には既視感もあるし、注射器をファリックなイメージと重ねるクリシェなんて面白くもなんともないはずなのに、芸と演出の力だけで、完全に真新しい何かを作り上げてしまっている。あまりの格好良さに一時間くらい頭がこれに占有されてしまう。
ツイートで伏せた名前を出してしまうが、宇佐美さんをはじめて見たときに迫るインパクトがあった。影響関係があるのかどうかまったく知らないけれど、ある種の血族というか、知性とエロが矛盾なく同居しているあり方はここにもあるのかとショッキングでもあった。

3番目は花魁の演目。衣装の豪奢さ極まる。ストーリー性のある演目は、どこかストーリーを"語る"手つきに作為が集中しがちな気もするが、きららさんはやはり細部の芸で見せてくれる。
ことに、恋仲の男からの手紙の扱いが多様で、たとえばラスト付近では縦に折られた手紙を男性器のように舐め回してから開いて、横に90度回転させてくわえると、視線を下方へと誘導し、簡潔ながら濃厚なオナニーがなされる。情緒で解決せず、常にこういうシャープな展開がある。

4番目新作「Madness」。暗転のまま幕が開くと中空にプラズマボールが光っている。明点すると魔女めいた装い。重めのドレスでこれはどう展開するのかと思うと、早々に身軽になって、身体の赴くままに踊りまくる10数分。肘までの手袋を口ではぐように脱ぎ捨てる仕草で、何かが弾けるように空気が変わり、壮大な選曲に一瞬たりとも負けないポーズベットの身体性で、ただただ空間を圧倒していく。かといってポーズが乱打されることもなく、記憶では3〜4回程度だったと思う。では何が起きていたのか...というと思い出せない。

競技会では、「ああ、この人が優勝だな」という空気が会場を満たしていくことがままあるが、この「Madness」では、そうした圧倒の共有が客席全体にも満ちて、声にならない熱狂がそこまで迫り上がっているのを確実に感じた。ただ踊るだけ、ただポーズを切るだけの、実にプリミティヴな構えで、この世で最上のパフォーマンスのひとつと思える充実をこちらに叩きつけてくる。

6結の栗橋で遭遇して以来、芸の巧みさと徹底されたド下ネタ演目でサービスし続ける天性の芸人という理解が、先週の「Run the world」と、この「Madness」でまた塗り替えられていく。


先日のミカドがあまりに素晴らしかったので友人たちを促した。すると観劇に行った1人が、ラストの「反抗期」しか観られなかったものの満足したと連絡が来たので、冗談半分で明日も行きましょうと言ったら、本当に行って「Run the world」にも間に合ったと。
それから一週間経ち、道劇にも現れ、続けてその翌日も行って、ついに金銀銅杯への遠征を考え始めているらしい。人は、人の行動を簡単に変えてしまう。

また別の友人。8中道劇で初ストリップを経験して、今週再び石原さゆみさんに遭遇。今回は何か刺さるものがあったらしく、ポラに並んでいた。それぞれ、自分が初めてストリップに誘った友人たちだが、それぞれがそれぞれに刺さるステージを見つけていて、勝手に喜ばしい思いになる。

2021年10月18日月曜日

10月18日(月)[池袋ミカド劇場]

海野雪妃(-)
工藤リナ(2)
漆葉さら(2,4)
坂上友香(1-2)
黒井ひとみ(1-4)
望月きらら(1-4)

 

武藤さんいらっしゃるということで、別件に用事もあったので行くことに。さすがに疲れてこの週は諦めるつもりだったが...結論からいえば、望月きららさんを見た過ぎて最後まで居残ってしまう。

 黒井ひとみさん。「えっちなあいどる」「飢餓海峡」「Black Lily」3個出し。話に聞いていた「飢餓海峡」は芝居仕立てのストリップ。人形振りからはじめて、黒井さんの一人芝居が物語を進め、性交シーンをストリップ的な見せ場に据えているもの。東北出身の自分にはどうしても引っかかってしまうイントネーションがあるし、率直に楽しめたかというと難しいのだが、ともすれば「踊り」に焦点化してしまう自分の目を「演劇」のほうにずらしてくれるという意味で、やはり黒井さんは特別な踊り子だと思う。
ストリップは服を脱ぐことだけがそのジャンルの本質であって、そこにどのようなジャンルが介在しようとよいわけで、演劇的なストリップの可能性を黒井さんやその他の踊り子さんが広げていくのに、好みの問題を越えて付き合っていきたい。まあ、ここで言っている「演劇」はずいぶん適当な言い方ではあるが...

 その点「Black Lily」はストレートな傑作だと感じる。設定・衣装・小道具・選曲のどれもがビシッとハマっている。略して「BL」とも表記されるこの演目が、同性愛の自由を言祝ぐ作品であることは言わずもがなだが、百合やBLといったジャンル的な想起がエンパワメントするヒューマニスティックな愛の自由を遥かに飛び去って、すべての性倒錯を開放するスケールを持っているとすら感じる。
それはビニールの無頭のトルソーが、見立てとして擬人的であると共に、ポーズベットのとき一緒にひょいと持ち上げられたりすることで、その軽さから単なる"もの"性が浮き彫りになり、擬人的な見立てがつかの間崩れてしまうことにもある。黒井さんが股間に舌を這わせるとき、それはあらゆるセクシャリティが対象であると共に、ビニールのトルソーそれ自体に欲望している可能性を考える。なぜなら「神様は何も禁止なんかしてない」のだから。この「何も」をこそ、文字通り受け取るべきではないだろうか。無限定の性の自由が、修道服の天国とボンデージの地獄の間に、高らかに肯定される。

 望月きららさん。天才。1回目「酔っ払っちゃった〜」は、小道具に酒が出てくる。すると当然、"酔ったから脱ぐ"という展開は即座に予想できてしまうわけだが、そうした予想は完全に的中しつつも、それに至るプロセスが記憶しきれないほどに豊か。あらゆる時間に「芸」の刻印が深々と刻まれていて、視線も客とのコミュニケーションも脱衣も、すべてに見どころがある。何より驚かされるのは、重機が駆動するようなポーズの切り方。ただ脚が宙に伸びるのでなく、支える足が体全体を起こしつつ、しかし一度沈んでからまた持ち上げるような、多段階の運動を行う。あれは一体なんなのか。

 3回目「Run the World」もM1から驚愕。黒と金を基調にしたド派手なヘッドドレスを装着しながら、ピンヒールブーツでガッツンガッツン踊り倒す。しかも、世界一有名な女性パフォーマーの音楽を使って...ギャグめいて本人は「スーパーボウルのハーフタイムショー」などと言うが、その"圧力"に関してほとんど見劣りしない。
きららさんは、小柄にも関わらず、信じられないほどヘヴィな質感のダンスをする。それは自身の胸の大きさやお尻の張りを完全に自覚的に武器にしていることにもよるだろう。かといって、線形の流麗さというか鋭角さもある。なにより踊る喜びがある。そして、その喜びがまた次の踊りを招いている。

 きららさんについては、様々に考えられることが多い。とりわけ、サービス精神が一秒たりとも休むことがないのに、「芸人」的なパーソナリティー特有の臭みが皆無なことだ。
自分は職業病的に、芸人の行為の"狙い"を敏感に感じてしまうし、それが感じられると一気にしらけてしまうこともあるのだが、きららさんが意識的に何かを仕掛けても、不遜な自信や慣れが本当に感じられず、けれども"天然"とかでもなく、これをなんといっていいものか非常にむずかしい。こんな人、なかなかいない。もはや天性の芸人肌と考えるほかない。

ミカド劇場はキャラの濃いお客さんが多い気がするけれど、この日は際立っていた。そんな中、ちょいちょい落ち着きなく中座していた酔っ払ってるおじさんがきららさんのポラ中に戻ってきて、事あるごとに笑っていたのだが「笑ってるけど、さっきおらんかったよな!?」「ぴったりの演目やってたんやけど?」「いや、いませんでしよね!?」と絶妙の間で何度もイジり倒していた。あれは真似できない... 

2021年7月9日金曜日

7月9日(金)[池袋ミカド劇場]

玉(1,4)
海野雪妃(1,4)
eye(1,4)
望月きらら(1-4)
川越ゆい(1,3) 


雨。劇場内はほどほどの混み合い方。

武藤さんが初見さんを伴って来る。今日は結構混んでますねと立ち話していると、今日は混んでないほうだよと突然、近くの客が言う。そうなんだ。
今回はゆったりモードで外出多めに、お目当ての望月さんを軸に観劇。


望月さんは4個出しでその都度に多様な演目の方向性を見せてくれるが、「望月きらら」が持つ「踊り子/芸人」という中心が強固で、アイドル曲でも、浴衣着の夏演目でも、スーツスタイルで決めたレビュー的なショースタイルでも、コントでも、何をやっても成立してしまう。
そのどれをも貫いているのが度外れな"エロ"なのだが、望月さんのエロはある意味今までの誰とも似ていない。むしろ分かりやすぎるくらいに局部に攻め入ったり官能的な仕草をしてみせたりするのだけど、なにか過剰さがあって、エロさにある湿度が乾ききったあとに残る即物性すら感じてしまう。
それは、ボディラインの見せ方や衣装の大見得を切るがごとき扱いや、小道具全般に対する感性がことごとくシャープな形、あるいは画を作っていて、そのエッジが際立つから、観ていても感覚が同期する以前でカットアウトされるようなところから起きているのかと思う。
たとえば「歯科助手の浅川さん」では、電動歯ブラシを使って、「蝉」では団扇を使ってあれこれ(あれこれ)するのだけど、動きの遷移が多くて、感覚を添わせる前に、視覚的な鋭さに切り込まれる。既存の語彙で名指すなら「卑猥」としかいいようのないムーブなのだけど。

また、望月さんはとにかく観客を「見る」。望月さんは「見る」ことで、視線の相互作用に巻き込まれることを受け入れている。シリアスなベッド中、観客のちょっとした行動で吹き出したりしているのには、びっくりした(まあ確かに笑っても仕方ないようなことではあったが...)。もちろん、ごく一部の観客しか気づいていない程度で、演技の進行も破綻しない。けれどそもそも、シリアスな演技中に、何か観客に動きがあってもふつうは演技を優先してスルーしてしまうし、そこで視線のコミュニケーションは取らない。自分が視線を向けることで観客に変化を与えることは当然やるにしても、自分も観客から影響を被ることをここまで自然に受け入れている人はなかなかいないのではないだろうか。

いっけんフレンドリーに視線を合わせにいっているように見えても、その実、いっこうに変わる気がない身体というのがある。それはそれで覚悟のあり方だろうけど、望月さんの融通無礙を知ったあとにどの程度信頼できるものなのか、少なくともかすかに疑いは抱かざるを得なくなる。


それにしてもOPもポラも本当にひどくて、ずっと笑わされてしまった。

2021年6月25日金曜日

6月25日(金) [ライブシアター栗橋]

御幸奈々(1-2)

黒井ひとみ(1-2)

蟹江りん(1-2)

悠木美雪(1-2)

望月きらら(1-2)


地元でよくこういうところに仕事に来たな...と感慨にふけりつつ田んぼを横目に歩いて到着。遠くにスーパーの看板が見えたので食料調達、とおもいきやまさかの物流センター。何もない!

中に入るとおじさんが何か食いながら応対。中に入って下手側につく。ベンチとかでなく、普通の椅子。たしか消防法のとおり、それぞれの脚は結束バンドで連結されている。嫌な予感があったので冬のランニング用ナイロンジャケットを持参したが、場内異様な寒さ。というか、位置どったところが送風口ジャスト。席を移るにも微妙に混み合っている...なんとか耐えに耐えて2回で離脱。

今回は、黒井ひとみさんを観にきていた。開演前に客の声で聞こえたけど、どうやらこの日が初出しの新作。この少ない観劇経験からも同パターンのテーマを2回見たので、ストリップでは定番ネタなのだろう。コントふうのシーンもあり、コミカルな印象もあるが、ベッドは濃い性交のシーン。
香山さんがウルトラスムースな編集の妙で性交を処理するなら、黒井さんは引きの固定長回しでといった塩梅。体位の変更の間延びした姿勢もひとつの時間として取り込む。


望月きららさんが圧倒的に良かった。1本目はドルオタ(?)にはサンバイザーのおじさんがうろついている絵面が思い浮かんで仕方ない呪いにかかってるアレからはじまり、最後までアイドルで突っ切る。
止め画の作り方がキマってて、カメラマンだったら楽しいだろうなと思うなど。衣装を翻したりするのも、いい具合の「形」になるよう狙ってるようにみえる。2本目は椅子やムチなどのギミックを必要十分に使い切る。やはり、うまいひとはここが違う気がする。
2演目ともすごい充実感。はじめて抱いた感想だけど、どちらもヘアアレンジが眼を惹く。帽子やアクセサリを取ったあと、髪型がすごく際立ってみえる不思議さがあった。


そして、当たり前かもしれないが、自分がいいなと思った踊り子さんはポーズの精度が圧倒的に高くみえる。形や形に入るまでのタメもそうだけど、音楽をきっちり聴いてるからこそ成立するタイミングで、ポーズがなされる。まあ、友坂さんの自在さは例外的だとしても。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...