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2022年2月2日水曜日

1月31日(月)[渋谷道頓堀劇場]

御幸奈々(2-4)
白雪(2-4)
MINAMI(2,4)
萩尾のばら(2-4)
中条彩乃(1-4)
宇佐美なつ(1-4)


楽しい1結も楽日。まったりスタートで、回を追うごとに客が増えていった。


御幸奈々さん2回目、この回は特に身体に入りまくってしまってポーズを切るたびにザッと鳥肌が走る。ベテランの踊り子さんに多い体験。
かなり苦手なJ-POPバラードのキワをつくように、脱力しているが均衡の取れたポーズがすっと形を成す瞬間、音楽のダサさみたいなものがどうでもよくなって、どころか、ポジティブに変換されて快感になっていく。
このことはちょっと前から気づいていたのだが、劇場に誰も知り合いがいない状態のほうが、絶対に強く身体に響く観劇になる。知り合いに会うのも大きな楽しみになっているだけにジレンマなのだが、誰も知り合いを作らず、写真すら撮らず、一人きりでストリップを楽しむ形もありえたろうな...と、たらればに耽ってしまった。


白雪さん。最後まで体力の問題もなさそうに、ずっと楽しそうにステージに立っていた。この11日間で、ステージの楽しみも課題も観客が思う何倍も見つけて持ち帰ったのだろうなと想像する。それは、4回目のステージ、ポラ、オープンショーの終わりに都合4回発声された「ありがとうございました!」の、溢れかえるような感情のこもった声の生々しい響きに根拠がある。
暗転のなかで白雪さんの顔は見えず––裸が見えて声がないステージとちょうと真逆に––声だけが素裸で、それに応える拍手がいつまでも鳴り止まなかった。こんな時間をたぶん、今まで過ごしたことがない。


のばらさん。『dokidoki』『JOY』ともに、この日は自分が見たなかでベスト級のステージだった。どちらもエモーショナルな感興がある演目なのにどこかクールで、けれども観客に親しい視線もある。どちらも「らしくない周年作」をのばらさん「らしさ」として具体的に提示した演目だったと思う。
恣意的な連想と自分をたしなめる部分はありつつ、特に『JOY』にやはり宇佐美さんの影響をみてとっている。それは個性の減衰を意味するのではなく、先に立つ踊り子さんを見て血肉化した結果に「萩尾のばら」が生まれたということ、つまり連綿たるストリップのバトンが次なる世代にしっかり手渡されたということでもあるのかと思う。
またそれを美しい出来事だなと思うことが、必ずしも品を欠くことだとは感じていない。


宇佐美さん。この日、どの演目もすばらしかった。『アンビバレント』は日を追うごとに練度を増していくし、『アブダクション』もその勢いに乗ったように最後まで突っ切っていく。毎ステージがあまりに幸せすぎて暗転中に緩んだ顔を戻すのに苦労したりする。

それでも今週は『ナイトクルーズ』の週だったというふうに粘りたい。
邪推をしてしまうが、もしかして今週は思ったよりは好意的な反応があったものの、それ以上に大きく受け入れられることはなく、また様々な理由で宇佐美さん本人も強い手応えがある機会にはならなかったのかもしれない。
何回も書いてきたけれども、私にとって『ナイトクルーズ』は宇佐美さんが作っている演目の中でもよりプライヴェートな感覚に訴えかける演目で、とりわけ特別なパフォーマンスだ。まさご座ではじめて観て、想像していなかった角度から「宇佐美なつ」に光が当たるようで、何よりとてもマイナーで微妙な、ふつうだったらわざわざストリップのショーで取り上げないような感覚がそこここに散りばめられていることに深く感じ入ったのを忘れない。
それは椅子やラジオといったオブジェクトとの関係から、昂奮するだけでない繊細で脆いような感覚が引き出されていることにもよる。椅子の背に指を這わせたり、ラジオに耳を当てる仕草から、無機物との界面に発生するごくごく弱い力だけが可能な感覚への介入がある。さざ波のような、微弱なゆらぎの官能がある。
そして、触れ合いの仕草はここに居ない(椅子には座るものがいないし、ラジオも不安定な通信を繰り返しているかにみえる)寄る辺なき存在への親密な寄り添いとしてあるようで、そうした優しさは直截観客に向けて提示することではなく、こうした媒介物を通過して、よりいっそう意味を増すことがあるだろう。この機微をうまく説明する暇はないけれど、触れ合わない我々が「ストリップ」を介していくつもの喜びや癒やしを得られることを思い出せば充分ではないかとも思う。
でも何より、打ち捨てられてしまいそうな感覚へ視線を向け、それが誰にも分からないとしても(「分からない」感覚という自覚は宇佐美さんにはなかったのかもしれないけれど)、その中へ分け入って観客へと手渡してくれたことは、自分にとってはじめて宇佐美さんを観たときに感じたようなものをもういちど体験させてくれるような出来事でもあった。
私はそもそも世間からズレていて、あまり一般的でない感覚でものを言ってることが多いだろうし、実際そういうズレによって特に若い頃は何度も苦しんだこともある。だからこそ、それが一人合点である可能性はあるにせよ、自分が信を向けている感覚をより広くに開いていた宇佐美さんに、どこか無人島にひょこっと現れた人間のような、救われるような気持ちがあり、そういう人が『ナイトクルーズ』のような演目まで手掛けているということに、ちょっと並々ならないシンパシーを勝手ながらに覚えてしまう。そのようにしかいられない、少数者たちのための演目こそが『ナイトクルーズ』だったと思うし、私はあまり他人の内面について評価する言い方が好きではないけど、宇佐美さんが持っている優しさが成立させている演目でもあると感じるところはある。
...なんというのか、一人の人間の賛意だけでは支えになりきらないし一人の人間のために踊っているのではないから、演じようという気持ちが遠のくのも分かっているつもりなのだけど、勝手なわがままとしてちょっとだけさみしさを感じたりもする。
あまり文章として成立していない気がするし、めずらしく長考していたのだが何だかまとまらなかった。

自分にはこの演目に流れる時間が特別だし、まさご座と渋谷で何度もこの時間を過ごせたのが嬉しく、宇佐美さんに出会った一年の終わりの週に『ナイトクルーズ』が観られたことにも意味を感じます。またやってもいいなと思えるタイミングがきたら、そのときはぜひ。この段落は唯一例外の私信として。


今週、さる歌手の話になり、その刹那的なありかたの歌詞が自分のことをそのまま描いたような...という話題があってへ〜とか思ってたら、渡邉さんからその歌詞は筆者のことのように思ってました、と言われる。
自分は全然そうした刹那性に自覚がなく、行動を省みてそういうことか...とかバカのようにいまさら合点がいった顔をしている。まさごの時にしても、2回目の岐阜に向かうとき、なんて楽しいのだろう...と思いながら新幹線に乗っていたことをありありと思い出す。
さる歌手に––それはまた別の歌––もう戻れない道を歌いながら歩くという意味合いの歌詞がある。私はこのパートがとても好きなのだが、たしかに行動にとてもフィットしているな...と感じる。
ただ、見込みが甘すぎた翌日、さーて作業するぞと構えていたのに驚くほどロスを食らって呆然としていた。愚か。

2022年1月29日土曜日

1月27日(木)[渋谷道頓堀劇場]

御幸奈々(2-3)
白雪(2-3)
MINAMI(2)
萩尾のばら(1-4)
中条彩乃(1-3)
宇佐美なつ(1-4)


ここまでずっと盛況だったこの週、いきなりしんみりした場内で一日バラし進行の定時終わり。まったりもそれはそれで。


御幸奈々さん。ポーズの「形」の話をしたあとだけど、御幸さんのポーズは「形」への整形が過程のうちにほとんど含まれておらず、ジャストでただちに完成型を見せてくれる。形への成り行きがポーズのひとつの見どころと思っていたけれど、この精度でポーズを切られると、それだけで感動がある。


のばらさん今週2本目の新作『dokidoki』。『JOY』よりずっと展開の多い演目で、ストレートな楽しさではないものの各部に見どころを作ってくれる。
その他の演目でも目立つ、のばらさん固有の手の使い方がこの演目ではより顕著。演目の一貫性を手の主題が繋いでいくようでもある。自分を隠すような手のひらを内に向けた形と、マイムで壁を作るときのような手のひらを外に向ける動きとが好対照。
オナベが演目の中〜後半部に取り入れられていて、そのままポーズベットに移らず衣装替えがあるのだが、シーン終わりの視線を客席に振ったままの暗転がシャープで印象に残る。
また、この演目のポーズは一拍でニュアンスなく決めるのだけれど、先述の手の動きのシルキーな感触と対を成しているよう。


宇佐美さん『アブダクション』。すっかり楽しめるようになった。
ということで、頭で感じていたポーズベットのすごさを、体感的に味わうことができるようになった。一発目のポーズ(とあるお姐さんから教わったものということを伺った)は、むちゃくちゃな快楽の波に溺れているようで、その感じているさまを介してこちらもエロい気分になってしまう。なにより、ポーズを切りながら曲を熱唱するようにしているさまが最高。
歪んだギターが暴れまわるサイケデリックな曲で、おなじみの三点ブリッジやスワンが『アンビバレント』以来のものすごくヘヴィな質感でもって切られていく。そこからラスト、立ちシャチ(ようやく名前を訊いた)の導入がぴょんと軽いジャンプを伴った入りで、重みの連鎖を心地よくここに裏切っていく。ひとつひとつのポーズの効果を最大限に引き出していくような流れ。

『アンビバレント』。初日だけうまく入り込めなった以外、ずっとベスト級のパフォーマンスがなされている。しかもこの日は20人を下回るまったりした場内だというのに、なに手加減することなく最後までハイテンションで演じきっていて、ほんとうに背筋が伸びる思い。

『ナイトクルーズ』。かぶりが空いてしまうくらい人がいないので、久々に座ったら得るものあるだろうかと色気が出て上手の盆横についたら、失敗...やはり表情や空間の余白がとれないとちょっとうまく楽しめないかもしれない。せっかく会心の出来だったようなので余計に。
途中から半ば諦めて体だけ見て楽しませてもらうことにした。それはそれで...なんかこの日は比較的エロい目で見ていた。欲求不満?



人は少ないが知り合いは何人かいた。それぞれが一日中「帰りたくないなあ...」「疲れた...」というのを一生言ってた。みんながんばって。

2022年1月25日火曜日

1月24日(月)[渋谷道頓堀劇場]

御幸奈々(-)
白雪(2)
MINAMI(2)
萩尾のばら(1-2,4)
中条彩乃(1-2)
宇佐美なつ(1-4)


土曜日、知り合いと話していて「次は何曜に行くんですか?」と訊かれて、複数日通うのが当然の習慣になり、かつそれが他人に認知されてる状況になっていることに変な気分だったが、この日劇場にいた武藤さんに至っては新年の挨拶もそこそこに「いなくてびっくりした」などと言い出した。
深追いをしない年なので省エネ(体力・金銭)で過ごすことに。


白雪さん、ワンステージだけ。

さすがに評判が高まっているらしいようす。

今日もまた振付のディティールを変化させていた。舞台裏の慣れないこともまだまだあるだろうに、驚くべきこと。変に新人さんを高く見積もってるわけでもなく、舞台裏の動きのコストは思ってるよりも高いはずで、パフォーマンスの変化に気持ちを向けるバッファが残っているというだけでもかなりすごいと思う。

そろそろ誉め殺しもなんなので、一点気になる・これからの変化を待ちたいのは、「ポーズ」の質感だけは先輩方のそれと違っていて、形をなぞるようなかっこうに見える。多分これは元の背景の差なのかなと思うし、その差が先行するポーズの良さと新たな差異を生み出していく可能性がある。

仕組みもよく知らない素人なので伝えはしなかったけど、今週めちゃめちゃお勉強に勤しんでほしくもある。


のばらさん。『JOY』の面白さが自分に定位したなと感じるのは、気づいたらセトリを組んで立ち上がりの曲などしつこくリピートして聴いてることにある。

ストリップが与えてくれた最も大きな喜びのひとつは、ごくごくポピュラーなヒット曲がそれこそ「裸」になるように、社会的な位置づけや先入観をいったんリセットして印象をまったくあらたにして聞こえてくること

そうした印象をあらたにしたなかで見るM3のポーズベットも、かなり気持ちいい。
M4、立ち上がり曲のイントロのホーンが鳴り出し、パチっとウインクをキメることで、この時間の幸福感を観客と約束するかのようにみえる。そうした幸福の約束を衒いなく差し出せるのが良いパフォーマンスであることは間違いない。

「楽しむ」ことが最終的に観客のほうへ心を向けることと矛盾ない状態にできるのはキャリアの長短と関係しないが、それでも一年の積み重ねが可能にした説得力でもあるのかなと想像する。



文字数増えてるときは大抵は特に楽しかった日なのだけど(書くことは思い出すことに拠っていて、思い出すことは再演だから、書くことが快感になる)、それだけこの日の宇佐美さんは最高だった。

『アンビバレント』、M1の2手目3手目あたりで絶対良い回になるのがありありと確信できただけでなく、M2あたりで投光が森さんにスイッチしたのが分かる爆音オペレーションになり、その音の厚みに押されて踊りがガンガンにドライヴしだして溶けそうになる。この演目は手数多い分、ノればノっただけ強いシンクロを感じる。

ところで、さっきの白雪さんのポーズの「形」の話はここの対比において明瞭で、宇佐美さんがこれでノリに乗ってるときのポーズは本当にフレッシュ(新鮮さ/肉感)であって、その静止型の輪郭を漏れ出す無形の「力」としか言いようのないものが竜巻のように盆に登りだす。

これは抽象的なようでいて常識的な経験の範疇でもあって、誰かの視線が近くを見ているのか遠くを見ているのか、その視線を見る私たちが容易に判定できるのと同じで、力の指向性は人間の同期的な認知能力によって簡単に測ることができる。その意味で、この回は圧倒的な力が投げ出されたポーズになっていた。


自分でヤケクソで出したEDの喩えにふとあらためて感じ直すことあったのだが、このくらい気持ちいいステージのときは別に勃起的に興奮してるということでもなく、快感が局在化せずもっと全身が性感帯になってるような皮膚感覚の鋭敏さがある。性器への囚われが消えて、何もかもどうでもよくなること、それがいちばん深い快楽に思う。


『ナイトクルーズ』も出だしからずっと最高。「言葉が意味を––」という歌詞に合わせて両手を羽ばたくように動かす振りがあるのだけど、あたかも身体の周囲に無数の蝶が舞っているようにみえるその動きと歌われるところの「意味」が重ね合わせられるとき、言葉が確固たる一義性でなくゆらぎという多義性に開かれて、「詩」をそこに招き入れているかに感じられる。
詩は尋常で日常的な言葉から逸脱する言語使用法であり、言葉の意味を生み直していく営みでもある。そうした視点からすれば、振る舞いや仕草や視線のいちいちが、都度に確定的な演目の意味を揺らがしていく詩作のようでもある。電波の届かないラジオも、座る者ない椅子も、そこに宇佐美さんが介在することで束の間に新たな意味を与えて––とはいえ、蝶が花に触れていくように軽く––戯れるようでもある。

この演目の踊りと仕草とをゆるやかに、しかし分ちがたく互いを往来するようなありかたは、個人的にはとても憧れるようなありかたであって、そうしたありかたを自分のなすべき表現として演じている舞台がここにあるということに、何度でも陶然としてため息をついている。



『アブダクション』。踊りが良すぎてED治りました。




徹底してイジる側につく人生だったのだが、冒頭のとおり、ここにきてイジられ役がまわってきた。
今週、どの日に何回行くかなどまったく決めないでいたし、この日も3回目見たら帰ろうかなどと考えてたはずなのに、さて4回目に備えて晩ごはんでも...というところで最後までいるつもりな自分に遅れて気づいた。
それを武藤さんと渡邊さんに話したら「もっと理性的に動いてください」「いや、(筆者には)無理ですよ」と続け様に言われ、そのふたりの言葉の間の良さが完璧すぎて他人事のように感嘆してしまった。こんな即席漫才が聞けるならイジられるのも悪くない...(そういうことではありません)

2022年1月23日日曜日

1月22日(土)[渋谷道頓堀劇場]

御幸奈々(4)
白雪(4)
MINAMI(1)
萩尾のばら(1,3-4)
中条彩乃(1,3-4)
宇佐美なつ(1,3-4)


あまりにも昨日の自分に納得行かず、もともとの所用と合わせて観られることに気づき、リベンジ。


白雪さん。驚くほどの変貌ぶり。既にしてステージを楽しみきらんと振付まで大胆に変化して、人前に立つことの快楽を舐め尽くそうとするような貪欲さがあった。
こんなにもリアルタイムで愉悦を獲得していくプロセスが「裸」になっていることにたまらないほどの楽しさを感じてしまう。これはもしかするとそれほど持続しないことかもしれないが、それにしても...


のばらさん。周年作『JOY』やはり無類に楽しい。どこか宇佐美さんのヴァイブスのようなものも感じてしまう。
引き伸ばされた立ち上がりは、たとえばストーン・ローゼズの「I am the resurrection」のような、長大なアウトロにある快楽を思わせる。終わりなき終わり。


中条彩乃さん、基本的には自分の求めるステージの面白さとすれ違っていて、そのよさを楽しみ切ることはできないのだけど、『クルエラ』のエルから弾みをつけてスーパーエルに移行する躍動感や、立ち上がり前に、ジャケットを旋回させてから振り返りざまに見得を切るがごとくニッと微笑む顔の毎回の確かな精度に感嘆する。


宇佐美さん。『ナイトクルーズ』美しくてほんとうにすばらしい。できればこれだけでも10回観たい...夜の女王のようにエレガントな装いで椅子と踊る後半部、とても親密で優しく、そのことで無機物に顔が宿るかのよう。涙が出てしまう。

『アブダクション』ようやく少しずつ体に入ってくる...?一発目でまったく乗り切れなかったことがトラウマになっていて、もはや観ることが少し怖くもある。
乗り切れなさの理由はたぶんいくつかあって、特にM1では驚くほど明快に(ここに関しては「売れ線」という通りと思う)お客さんを楽しませる踊りに振り切っていて、要するに、そうしたサービス精神自体に引いてしまっているのだと思う。もっと勝手に自分の快楽のために踊ってほしい、という。
これは単なるないものねだりであり、単なる思い込みであり、そしてその思い込みが強いせいで引き起こしたズレが、乗れなさに直結している。けど、そうした客へのサービスが快楽を備給しないわけでもない。けれども...という。とりあえず思い込みをアンロックしていく作業がまだまだ必要。

M5のポーズベットは、もうまぎれもなく天才の仕事だという感じ。帰りがけに曲を見つけて聴いていたが、かなり起伏の大きい構成の曲だが、歌われる内容は変わらずに「あなたとわたし」の主題から逸れずにいて、そしてまた、その他の演目と同じように最後はどこかそれこそ自分勝手に帰っていってしまう(楽曲内でも通信の混線/破断のようにして示される)、一貫した作家性を維持もしている。けれども、曲展開のスケールの大きさに見合うパフォーマンスが平然とできてしまうことにおいて、また一歩表現の領野を広げてもいる。
が、初見でそこまで拾いきれず、いつまでもイップスをひきずっていて、品無い言い方をするとEDのようになってしまう。。


今年の自分のテーマは「深追いしない」だったけど、さっそく人生の計画が音を立てて崩れてきて足元に及んでいる。宇佐美さんのやっていることが身体に入ってこないことの何がそんなにイラつかせるのか自分でもおかしいと思いつつ、確かな納得が今どうしてもほしいというほうが、正しいと思ってしまう。

1月21日(金)[渋谷道頓堀劇場]

御幸奈々(1-2)
白雪(1-2)
MINAMI(1-2)
萩尾のばら(1-4)
中条彩乃(1-3)
宇佐美なつ(1-4)


イップスというのはおそろしいもので...とへたな落語じみた導入になったけれど、自分のなかで「???」が渦巻いた一日。
盛況ながら座れないほどでもなく、いちおうフィジカルだけはゆっくりして見られる。


この日デビューの白雪さん。デビュー週初日、すなわちデビューステージに居合わせるの初めて。しかし、いい意味でデビューの初々しさなく、慣れたステージでとても安心して観られた。
ダンス経験があるというテクニック面の安心もあれど、自分の表情をちゃんと持っている振る舞いのほうがはるかに好印象で、次の演目が楽しみでもある。


萩尾のばらさん。昨年の9中以来だったけれど、今の萩尾さんの輝きぶりに驚く...
とくに1回目2回目は抜群に華やかなステージで、弾けんばかりに生き生きとした空気が満ちていた。振りのひとつひとつにためらいがなく、そういう惜しみない体の使い方が「踊る喜び」を伝えて止まない。
とくに周年作『JOY』すばらしく、立ち上がり以降のアウトロにあたる踊りの長さがぜいたくで、今週の大きな楽しみが増えた。


宇佐美さん。イップスの話は当然ここ。
新作『アブダクション』。M1の衣装と振付のキャッチーさ、それぞれのベクトルは違えど共に意外で驚かされる。また、一発目のポーズで信じがたいほどカッコいい入り方を行っている。にも関わらず、複数の印象が並走していて、うまく乗り切れない。うーん...?となったが、4回目は少し分かりかけてくる。

初渋谷の『アンビバレント』も、乗り切れないまま...
あれ...?というのが自分の中に重なってくると、その事自体に落ち込んでくるし、力むほどに空振りを繰り返してしまうイップスが生まれてくる。

自分にもこういうことは何度か経験あり、できてた技が本当に突然やり方を忘れてしまったようにうまくいかなくなることがある。それはかなりの恐怖で、もう二度と戻らないのではないかという恐れが、また成功を遠ざけてしまう。
あんなにも強い快楽の対象だったことから、こうしたあれ?が反復されると、その空振り感をどんどん強調して感じてしまうし、それはむしろ集中して感じながらみることの反作用なのかもしれない、と一晩経っておもう。

『ナイトクルーズ』。渋谷の音響ですら不十分に感じるほど、まさごは完璧だった。
この演目は相変わらず、ずっとプライベートな感覚のための演目で、そんなに感想を書きたくないというのがある。演目の演劇的(謎めいた小道具の仕様や何らかの線的な展開を感じさせる構成)な側面より、むしろ演技性(小道具に接する時や、展開に応じた表情)によって明らかになるパーソナリティーがたまらない魅力になっている。
M4、本舞台ではじまる椅子とのダンスが優しく、慈しみや懐かしみのような繊細さに触れるような踊りであり、しかし盆入りから椅子との合一感のまま溶け出していくように宙に足を漂わせるのは、そうした優しさの距離感から一歩踏み込んだ強い官能にダイブしていく姿のようにも見える。M5の最初のポーズは官能に打ち震える痙攣がそのまま体を仰け反らせて"ポーズ"として形をなすようなありようを示している。


それにしても新年最初から何をしてるのやら...という日..

2021年9月17日金曜日

9月17日(金)[大和ミュージック]

永瀬ゆら(1,3-4)
海野雪妃(1,3-4)
JUN(1-4)
萩尾のばら(1-4)
アキラ(1-4)
宇佐美なつ(1-4)


今週は1回にとどめてもいいかなと考えてたくらい遠い・時間を食うというネガティブ要素のある大和だったけど、香盤・劇場の雰囲気・「黒煙」・「サマーチュール」の見納めと行くための理由が圧倒的過半数だったので通ってしまう。結果、いちど昼食で抜けたものの11時から22時半まで劇場に。ヘタしたら家より長く居る。
あと、前回はつかれて2回目でふっと帰ってしまったのは、もしや少し気にされてたりするかなと思ってたらその通りだったので、まあ...

今週は永瀬さん・JUNさん・アキラさんの、熟達した芸の余裕がうれしい香盤。

永瀬さんは選曲に毎演目妙味があり、それだけでも楽しい。音楽がお好きな方なんだなというのがはっきりわかる。1,4回目の「あくび娘」は有名アニメのキャラがモチーフだが、壺からディルドが出てくると、それに翻弄されるようにしてオナベに。魔術的な男性器という演出とインド歌謡的BGMのマッチングは、エロとおもしろの中間でむしろ作家的個性の手触りが残る。それは立ち上がりの選曲がキュートな昭和アイドル歌謡(このへん明るくないので不適当な形容かもしれない。そして副次的に当時15歳の女性の歌声であることを検索で知る)に振られる感覚にもよるだろう。

JUNさんの1,4回目の祭り演目はベタに盛り上がる演目でもあるのに、あの一定したほのかな微笑みは崩されることなく、煽りなどなくとも「顔で踊っている」感じにもなる。
表情でアピールしてるわけではないし、またいわゆる踊り自体の良さもあるのに、その顔に惹きつけられてしまうのはなんなのか。ギュッと空間が集中して、客席がJUNさんを全員で眼差している、という感じがあり、濃密。もちろん寝ている人もいるのだが。
花笠を袖に処理するときスススッとすり足で袖幕に小走りして、その慣性を活かしてふっと笠を手放すときのニュアンスの上品さに驚く。投げるでも置くでもなく、運動の経済性に則った仕方。望月きららさんが「歯科助手の浅川さん」で投げ飛ばす眼鏡のライナー性の軌道に並ぶ名処理。

アキラさん。どんな演目でも図々しさがあり(褒め言葉です)、さすが。相対的に、ひとつの現場で年長となると、役割のひとつとしてそうした図々しさが必要で、自然に備わってしまうことはあると思う。そして、それを楽しく思うのが若いものの特権でもあるだろう。他方で、抜群の身体コントロールで踊りきる姿からは新鮮さが失われることがなく、踊りが好きな方なのだなと思うに充分だった。
また、それがアキラさんの創意ではないにせよ、自分が次に試してみようと思うことへ大きなヒントがあった。いつやろうかな。

栗橋から拝見している萩尾のばらさん。2回目の「ハート」が今までにない感触で、飛躍のある変化を感じて良いステージだった。"新人さん"というバイアスから成長とか学びとか言えてしまうけれど、自覚的にか無自覚にか、自ずと違った局面に突入してしまうのがパフォーマンスというものだと思う。
こうした感想は自分の経験をベースに感じることではあるが、だがありえないような回数の本番を重ねる踊り子さんたちは、世界でも特異なパフォーマーであり、広義の同業とすら言えない部分が多分にある(それでも投影することはかなり多いけれど)。何より、ポラでのお客さんとのコミュニケーションまで「パフォーマンス」のワンセットでもあるし。

宇佐美さん。「黒煙」はかなり落ち着いて観られた。あいかわらずディティールで記憶違いしているところの確認もとりつつ、M2でコートの前を開いてから裾を掴んで右に扇に開いて見せる動きの鋭利さと画の強さに感嘆したりする。
コート姿でタイトに固めた(表情もまた)スタイルとキャラクターは、コートの前を開いて黒のシースルーの服越しに赤色で強調された下着が見えてもなお気位の高さを崩すことがないようなのに、実際に肌が見えると"脱いだ"という感触がすごく高まる。ただ、そこにプライベートな時間として心を許したような"脱ぎ"があるわけでもなく、単純なオンとオフの問題には還元できない。あるキャラクターの多面性ということ。
脱ぐということやエロさについて、また「人」への理解の多面性の現れにいつも驚く。宇佐美さんが曲展開に応じて演じ分ける(恣意性はみえないが)「人」の見え方の違いは、ほんとうに凄いとしか言いようがない。

ところで、この人はどうしてこんなに「動き」というものを知ってるのだろうと思う。それは技巧云々でなく、ある運動が感じさせる快楽について、生得的かつ知的に知り尽くしているということ。
これは「サマーチュール」だけど、備え付けのポールに絡んでも、ポールを軸に腕を伸ばしてする大きい旋回だけにとどまらず、慣性を活かしながら軸を移し、自分も小さく回転するという段階を作っていて、それは楽曲が要請している解釈の結果でもあるだろうけど、どうするとより気持ちのよい動きになるかという思考が形をとって、そのまま舞台に現れている。そこに至るプロセスの速さは伺い知ることができないけれど、ステージに張り巡らされた感覚の広さ(意識の問題ではない)と感覚への迷いなさが、そのまま宇佐美さんのパフォーマンスを観る快楽の深さに重なっている。少なくとも、自分には。

「サマーチュール」ついに見納め。蕨にはじまり渋谷・栗橋・大和と4つの劇場で17回観ることができた。自分にとってもっとも印象的だったのは8中渋谷初日1回目のすさまじいキレっぷりで、あの経験は一生忘れないと思う。初のかぶりを経験したのも「サマーチュール」になった。
そして、夏演目なのに雨や寒い日の記憶と結びつくことが多い。ギラギラした日にも観てたと思うのだけど、こんなに気分が下がる日なのにブチ上げてもらえるなんて、というギャップが印象強いのかもしれない。
昨日のラストはぜんぜん意識せず「あ〜楽しかった」と感想を口にしてたらしく、まあ、無意識にそんなことが口について出るくらい楽しかったんだろう。
たまには個人的な感慨だけ。

感染対策とか経営問題とか、絶対に重要で考えなければいけないファクターをガン無視したエゴだけで言うなら、最終回にごく少ない限られた人数で観劇するストリップはどこまでも心地良い。これも毎度言ってることだが、とても幸せを感じる。

この日の前の夜、Twitterで栗橋のステージ写真が投稿された。何言ってもエクスキューズになるので、単にきれいで気に入ったからiPhoneのロック画面にしてみようかなと試したらとてもよかったので設定した、はいいけど、それ別に本人に言わなくてもよくなかったか...というのだけある。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...