早乙女らぶ(3-4)
みおり舞(3-4)
大見はるか(3-4)
中条彩乃(3-4)
宇野莉緒(3-4)
友坂麗(3-4)
川上奈々美(3-4)
初の浅草へ。生活圏だから数え切れないほど前を横切っているが、はじめて階段を登る。テケツの小ささはいずこも同じ、といった塩梅でも、ロビーにはステージ写真が壁一面に貼られ、物販もあり華やぎがある。奥には踊り子さんがそこに立ちもするというバーカウンターが。2回目の公演が終わった直後とあって周辺は賑わっていた。場内に入ると、とにかく...広い!あと天井高い!舞台でかい!要するに普通の「劇場」である。盆から2列目下手側の席へ。
まず個々人の舞台の印象は別として、この空間の余白のなかでなお、裸体が裸体としての強度を持ちうることに、素朴に感動はした。照明効果や移動盆があるにせよ「裸」の良さは今までの接近的な劇場経験と遜色ない。
とはいえ各人の場面を「景」と呼ぶ通り、それはもっぱら視覚的な"眺め"である部分が強く、あの狭い道劇での洗礼的な体験を経てストリップ観劇に入った身としては、あまりにも安全に過ぎると思う部分があった。
浅草以外の劇場を「ポラ館」とわざわざいうように、浅草では観客との交流はなく、ひたすら劇が進行し、中休憩をいれても100分程度で1公演が終わる。この圧倒的負荷の低さ。初めてストリップを観る人間がいるなら、浅草で間違いないのだろう。それでも私は道劇に誘うだろうが。
ごく近所にある浅草でなく(単純に入場料が高かったという理由)、渋谷で星愛美さんから始まり友坂麗さんで終わる香盤を観たのは、本当に運命だったのだと思う。
その友坂さんが群舞に混ざっていたり、危うげなキャラクターを演じていたり、剣舞を行っているのは、こう言ってはとても失礼だが、微笑ましく見てしまうところもあり。好きな踊り子さんが浅草に乗るのは「推しが連ドラに出るのを観るような感じ」と言ってくれた方がいたが、確かに。
ともあれ友坂さんが1人で踊りきる7景は、やはり盆に入ればほとんど舞踏。髪をかきあげれば空間すべてに魔術がかかったように、友坂さんの身体へと集中していく。
友坂さんの身体、特に腕には、いつも微妙に震えがあるようにみえる。意思的に"動かしている"のと、不随意的に"動いている"ことの合間にあるような不思議な質感があり、ときおりティッキングのようですらあるが、もちろんそんな技巧的な問題でもない。やはり「舞踏」的な、内在的な身体の力の現れなのだと思う。けれども、そうした微細な力の動きを追うことに終始するわけでなく、ポーズは誰よりも大胆にためらいなくなされる。それを見ることの充実に満たされて、言葉がなくなる。
また浅草観劇の最も大きな収穫はリボンさんの仕事の段違いな効果の高さへ蒙が啓かれたこと。後方からはスモークに紛れて発生源が見えない位置から、長いリボンが視野へフレームインし、一瞬で消え去る白いたなびきは踊り子を称える精霊めいている。それは優しげでも、スリリングでもある。
とりわけ友坂さんのラスト、本舞台でゆっくり客席へ手を振る美しい姿の前に、崩れかかる波のようにリボンが2度投げられる。あの美しさは、踊り子と客の協働という関係性を越えて、ひとつの演出的な前提にすら見えてしまう。
今回はストリップを観てるときには本当に例外的(普段はむしろデフォルトの)な文句モードが起動してしまったので、逆にもう1公演くらい観ていかないと...と思ったのだが、それは中条彩乃さんがいたおかげで、それほど難しい決断にはならなかった。キャッツアイをモチーフにした前半は、中条さんのトレードマークである破顔が景の楽しさを支えている。そして中条さんには、あの親しみやすさに対して、異様にスター性を感じてしまう。仮にグループに紛れつつも全体から一際滲んでくるような好感を感じさせる資質をアイドル性と呼ぶとして、対してグループにおいて端的かつ明確に一対多のヒエラルキーを作ってしまうような資質をスター性と呼べるのだと思う。付言しておくなら、その他の景で悪目立ちするとかそういうことはひとつもなく、しかしご自身の景では紛れもなく「スター」に見えた。
驚くのは衣装替え以降の雰囲気の変化。紺色の上品な薄絹のドレスは、踊り子さんとしては珍しい部類に思える長身に映え、また表情は演技くささを感じないのに、さっきまでの笑顔からは伺いしれない艶やかさがある。
盆では悠々と音楽の間を泳ぐように動きつつ官能を高めていきながらも、確実絶対なタイミングを撃つようにドレスの前が開かれるとき、すでにうっすらと見えていたはずの「裸」がまったく新しいものとして顕在化する。加えて、脱衣のエロティシズムというよりか、むしろ「裸」をこそ最上のドレスとして纏ったような気品が、そこに存在している。
いかなる香盤でも絶対的な水準の違いがある友坂さんを常なる例外として、中条さんにこそ最も自分の期待する、かつ、それゆえにこんなにも観てしまいたくなる「ストリップ」の質感があったように思えた。個人演目をもっと拝見したい。
褒め殺しめいてしまうので違和感も書いておくと(まずそのベットの振付は振付師によるものなのかご本人によるものなのかわからないが)、自分の音楽的な感覚とポーズのタイミングに齟齬を感じたことだけ気にかかった。あえてジャストからずらして品を保っている、という見方もできるかのもしれないとは思った。
ようやくこなした宿題のような浅草観劇。だいたい自分は本当に育ちが悪いので、王道めいたものに強く反発心が起きやすく、1公演目は道劇へのホームシックばかりが刺激されていたが、2公演観てそうした態度がだいぶ軟化できてよかった。なにより、歩いてすぐ行ける劇場なのだから、楽しめる場所になったほうがいいに決っている。次回の『秘すれば花』も、一度くらいは...たぶん...(栗橋と大和の様子をうかがいながら)
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