海野雪妃(1)
萩尾のばら(1)
宇佐美なつ(1-3)
悠木美雪(1-3)
友坂麗(1-3)
楽日。久々の晴天。夏が戻ってきた。送迎の往路、マスク越しにも田んぼの匂いが立っているのが分かる。
先日道劇で宇佐美さんを見せた友人に友坂さんも見せたく、誘う。ちょうど休憩のタイミングで到着したので、しばしそのままベンチで話し込む。『GTA』の世界にありそうな場所だ、などということを放言する。
宇佐美さんについて、たまには限りなく短くして、言いたいことを圧縮してみる。
・「サマーチュール」世界一エロい。世界一最高。
・「うそつき」過去に見たことないような表情の豊かさ。パフォーマーとしての発展余地を見せつけるような回。
・「w-e(n)dding」オナベは、たとえば生き物の出産に立ち会うような、それをなしとげる様子をただ見守る、というような時間になりつつある。性=生の時間。
まだ何も形にならないが、ストを見ていて「時間」というものを考えることが増えつつある。ある現象ではなく、さまざまに移り流れる「時間」という幅について。
友坂さんも3個出し。が、この週は12個出しだったということがわかる。すさまじい。今回とりわけ素晴らしいと思ったのは「Smile」の後半。袖から椅子を取り出して、束ねていた髪を解いて、ピンクのドレスに着替える。いってしまえばこれだけのことに4分近く時間を使い、けれどもそこには「踊り」としか呼ぶことができない身体の充実が満ちている。
椅子の上で身悶えるようにして下着を取り外すとき、身体部位の布置が組み変わり、あの豊かな黒髪を起点にして、靴・下着・陰毛・睫毛・眉毛たちが「黒」の系列として押韻をなすようにして、さらにドレスのピンクと対照してみえだすことが起きる。
続いて、極上のポップソング(自分の好きな曲だった)で、あの無二の舞踏が繰り広げられる。踊りを見る身体は同期に向かいつつもそれが叶わず、多方に感覚が散らばって身体を捻じ曲げようとする。それは快い掻痒感のような微妙な感覚と、引き絞られるような感覚を行き来する。
なにより、こうした踊りに友坂さんの支配的な意志や狙いが希薄で、だからこそどこまでも安心してその踊りに身を任せることができる。友坂さんは強く観客を「見る」パフォーマーでもあるが、自分が「見られる」ことに対しても、どこまでも自分を開いている。
ポーズを切るとき、ほんの瞬間、しかしはっきりと確実に客席へ顔を向けてから身体を反らしてみせたりすることがある。あの眼差しが正面からやってきたことに囚われてるうちに、ポーズ=全身へと視界が拡大される。踊り子が「見られる」ことを望むとき、友坂さんはその関係を曖昧にせず、まず自分から「見る」ことで「見る/見られる」の関係を直ちに構築する...
4つの演目を新たに見ることができ、ますます友坂さんの踊りに惹かれていく。そして不思議と、こちらを認識してもらえていると思うと、また見に行こうと思う動機ができてしまう。
せっかく圧縮して書いたのだけど、ふと「うそつき」の耳・尻尾の消失について思ったのは、自分がマジックをやっていたことで、ものが"消失"することの官能に敏感なことはあるかもしれないな、と気づいた。
自分は、全体の構成的必要とは必ずしも関係が薄い細部の官能性にこだわるほうだった。さらに、アイドルを見ているうちにキャンセルしていた官能性への視線が、ストリップを観ながら思い出していく作業のうちにいる、と考えている。
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