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2021年10月17日日曜日

10月17日(日)[晃生ショー劇場]

神崎雪乃(2)
MINAMI(1-2)
宇佐美なつ(1-2)
水咲カレン(2)
望海あや(-)


2回目「bubble」M1カット。なんというか、自分でも意外なほど悲しい気分になってしまう。ちょっとでも長い時間見たいからだとか、演目として完全なものを見て評価したいだとか、安くない金出してるんだからとか、ましてや遠征してるのにだとか、そういう事とは全く違っていて、もっと根本的な信用が毀損される感じを受けてしまう。
東京までの帰り道、ずっとこのことについて考えてしまった。結局、いたずらに悲しみが募るだけでどうしようもない。言い出すといろいろきりがないし、これについてはもう終わり。

1回目の「黒煙」。今回貴重なフルサイズであると共に、しばらく見られないかもしれないから、いつも以上に集中して見る事にした。
宇佐美さんの演目のそれぞれは、当然さまざまに色があって、色ごとに感じかたは違うものの「黒煙」は最もエロさの度合いが高い演目のような気がしつつある。「サマーチュール」もまた、多様なエロさのレイヤーを横断するようで、それがたまらなく好きなのだが、この演目のドラマトゥルギーはある種ストレートで、進行につれてどんどん官能が高まっていくような感触がある。

すでに何度も書いていてる前後半での視線の質の変化は、こちらに「見つめる」姿勢を準備する機能もあるように思う。人は、人が見ているものを「見る」習性があり、それは「注意」の水準で反射的に生じるものだ。たとえばマジック一般では、そうした観客の「注意」の水準を操作して、ことを行うのが基本となる。だがここには―回りくどい言い回しだが―互いの関係が関係していない(もちろんそれ故のストラテジーと官能が豊かに存在する芸能だということは付け加えておく)。

他方「見つめる」という視線のあり方には、互いの関係が発生しているように思う。また気散じでない、深い没入がある。宇佐美さんが前半から丹念に積み上げた観客に向ける視線は、いつしかこちらに転移して、鏡合わせのように視線を向け合うことになる。そのうえで、スローに弾む騎乗位のような姿勢で髪を逆撫でるように乱す仕草が、見つめ合う関係をほとんど性的な意味で許容してるかにすら感じる。
いま自分は、ステージ上の身体を見ているのか、その身体の動きである踊りを見ているのか、それともやはりこちらに向けられたままの視線を見ているのか、それぞれの区別が意味をなさない時間が流れ出し、とろけるような気分だけがリアルになっていく。こうして書くために思い出すだけでも、ぐっと気分はそちらに引っ張られてしまって少し頭がボーッとする...こうした甘美さは、即席に注意を引くことでは決して得られない、お互いの関係性が練り上げる真に贅沢な産物だと思う。

待ち時間、ロビー天井の不思議なテント張りの形を眺めていて、何か知ることがあるか建築家の友人にLINEして聞いてみた。結果、ふしぎだねえということにしかならなかったが、装飾テントというと昭和の歓楽街のイメージがあるという話になり、それから他劇の建築の特異さに広がり、文化そのものに対して言われるときは承服し難い「昭和の遺産」という文言が、建築自体にはハマってみえることに気付かされた。

2021年10月16日土曜日

10月16日(土)[晃生ショー劇場]

神崎雪乃(3)
MINAMI(-)
宇佐美なつ(2-4)
水咲カレン(-)
望海あや(-)


東寺は押し進行で、もう1公演観るかどうかかなり迷う。そうこうしているうちにビンゴ大会がはじまり、その牧歌的な空気に浸っているうちに頭が切り替わり、かなり元気になってきたコンディションで宇佐美さんを観たいという気分になり、すばやく移動。2回目2番さんポラ中に到着して、完璧な回し...と惚れ惚れする。そんなしょうもないことを書いておかないといけないくらいな日。


2回目「黒煙」M1カット。

3回目「bubble」M2-3カット。

4回目「w-e(n)dding」M2カット。


この日は、かねてからTwitterでやりとりのあったスト客の方とはじめてお会いする。もうわりきって会話に時間を費やして、それは素直にとてもいい時間だった。
踊り場で話し込んでいると、開け放った窓から雨粒が飛び込むほど強い雨脚になり、その奥からほとんどトライバルな金太鼓のリズムが響いてくる。濡れるのも構わず顔を外に出すと、狭い小路を山車が通ってゆく。太鼓のリズムは高まって止むことがない。雨の中それを見送る金髪のお姉さんが、クラブにいるようなノリで一心不乱に踊りまくっている。いい光景ですねと言い交わしているここがストリップ劇場であることを、つかの間忘れかけた。

2021年10月15日金曜日

10月15日(金)[晃生ショー劇場]

神崎雪乃(1-2)
MINAMI(1-2)
宇佐美なつ(1-4)
水咲カレン(1-2)
望海あや(1-2)


タイル張のいかにも昭和然とした外観のビルに、ファサードの上部にせり出た装テントが可愛らしい。内壁は白色に統一されており、なにか異国ふう。階段を二階登るとロビーは天井がテント張のようにもなっている。
ドアを開くと一転して黒壁。高さを違えて三重になったスタンドの椅子が盆を囲む。...どこが動線か一瞬悩んだが、ようするに椅子の間をすり抜けるしかないのだった。体の大きい人が難儀している。
芝居がかったアナウンスのあと、照明が点灯。正直、小倉の仕事を見たあとでは見劣りがある。そもそものセッティングがチープというか、、また音響はここも厳しい。片方のチャンネルしかないので、左右に振り分けられている音の半分は消えることに。

今日もなぜか盛況だったらしく、3回目からは曲カット連発。進行の判断に不信感ある...スタッフさんもみな優しく、感染症対策もかなり気を配っているのだが、いろいろと察する。
一方で、うわさの外出禁止に関しては、案外つらさを感じなかったり。


宇佐美さん。9頭以来だが、なぜか久々の感ある「w-e(n)dding」。すばらしかった。同じことしか言えてないのだけど、最近の表情のよさは何なんだろうと思う。特にこの演目は渋谷で10何回と見たので、盆入りでは存在しない盆のせりあがりを頭で再現してしまうくらい流れが体に入ってる。ベッドも曲と姿勢の変化を追い切れるし、その点では既知のものを反復してるのだけど、ふとその予定調和がぐらっと揺れてしまう生っぽい仕草や表情がある。
それはどの程度狙って出してるものなのか分からないけど、いずれにせよ、4ヶ月前と今で、もっとも宇佐美さんのステージの印象を違える点になっている。そして、ライブ空間≒観客からの影響というより、自分自身への向き合いがうまくなされたとき、それが発動している感じにも見える。

思うけれど、ステージ"作品"としては、たとえば浅草のように、パフォーマンス後に客とのコミュニケーションが無いほうが、ずっと衝撃を保ってられる演目でもあるはずだ。けど、直後にへんなポラ着(この日はピカチュウの顔が全面にプリントされた黄色い切れ込みの深い水着)で現れては雰囲気をぶっ壊してしまう俗っぽさ、掴みきれなさのほうが、よほど複雑なできごとだと思える。というか、そういうふうにされる世界の豊かさが、たぶんある。


最近、体力とは別にずっと調子が悪く、いっときは遠征を取り止めようかと考えたのだけど、行ける気がしたので行くことに。いっこうに気分のベースが低調で、ずいぶんご心配をかけてしまう。しかし空元気でも変だし、ちょっとどうしようもないのだけど...反省。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...