2021年12月17日金曜日

12月17日(金)[渋谷道頓堀劇場]

悠木美雪(1-3)
くるる(1-3)
埃(1-3)
浜崎るり(1-3)
愛野いづみ(1-2)


久々(でもない)の道劇。来る度に落ち着く...特に今日は、知り合いもいなければ、自分を知ってる踊り子さんもいない。ひとりを満喫する。

コンスタントに見ている悠木さん。初回から張りに満ち満ちた「勝たん」で、すばらしかった。2回目の演目「7」も、終わったあと息切れが続いてしまうくらいのテンションで走り抜けていた。この日は踊りの力の入り方もさることながら、落ち着いたシーンでの表情も、客に向けたウインクもすべてキマっていた。

くるるさんは東寺での演目が記憶に新しいが、初見の8結渋谷で見た演目も再見できた。百合的な主題が見え隠れする、私にとってかなり懐かしい某アイドルグループのファン人気高い曲が使われている。冒頭で水音のSEが利いていることもあり、盆に小道具のブーケを捧げると、迫り上がった盆は満々とした水面に見えてくる。この当たり前の見立てが、それにとどまらない変質を起こすのがストリップ特有の効果。水辺は妖しげな香りを放ってい淫猥な気配を醸すが、ポーズベッドではカタルシスがある。
東寺ぶりのオナベ演目も、やはりよかった。オルゴールの曲が効いている。クレッシェンドするところ、絶頂に向かってスパートをかけるように淫らで、かつ余韻に浸った体が次の曲をサビまで放っておいてしまう。音楽は構わず先へ先へと進んで、体がようやく着いてくるかに見えても、どこかそぞろな気配があって、同期よりは、振り上げられた長い髪の翻りそれ自体の単純な反復に宿る...やはり淫らさが自律してる。
踊り子さんのエロさは一様でないにせよ、「淫ら」であるような形容が噛み合う人には、それほど出くわしていないかもしれない。痩躯に柔らかい体は、むしろ濃密なエロさ(エロはどこか鈍重でもある気がする)と距離がありそうなのに、脚を開き気味に投げ出して、後ろに着いた手に体重を乗せるように上体を預ける姿からは、異国の花のような言い知れないエロさが香ってくる。

浜崎るりさんは、噂に違わぬぶっ壊れぶり。3回目のJKネタは良識のかけらも存在しない設定に振り切っていて、悪魔的ですらある。それがどうしようもなく痛快であり、市民道徳の一切をぶっちぎってトランシーなブチ上げ曲のなか、世界のすべてに対して無敵であるような爽快さでポーズを切っていく。その後ろには、むなしくもテッカテカにローションまみれにされたディルドがぽつんと置き去られている。

2021年12月10日金曜日

12月10日(金)[まさご座]

玉(1,4)
竹宮あん(1-2)
音羽うた(1-2)
夢乃うさぎ(1-2)
宇佐美なつ(1-4)


バカなので岐阜に向かってしまう。忠犬...


1.「positive」

2.「アンビバレント」

3.「ナイトクルーズ」

4.「positive」


2回目以降、リボンが飛びまくる豪華(?)バージョン。ラストはタンバリンと手拍子とやはり三方からのリボンで全マシ状態。


まともに個別の感想が書けない。


前回の月曜、気づけば絶対に毎週一度は会うという人に、ようやく声をかけてみた。タイミングを逸してしまっていて、しかもおひとりで過ごされるのが好きなのかな...という様子でもあったけど、まあいいかと思ってお話させてもらったら、ほんとうに長く宇佐美さんをご覧になってる方で、たくさん話を聞かせてもらうことができた。
今回はリボンを投げていた方も繋いで、3人で今年の思い出をロビーでひたすら喋っていた。全員が全員ともすべての週にいたので、欠けている話題がひとつもない。渋谷・池袋・渋谷・蕨・渋谷・栗橋・大和・小倉・布施・蕨・池袋・岐阜...それぞれがいなかった日にどんなことがあったか、どんなステージがあったか、自分が出会う前にどんなやり取りがあったか、ずっとおしゃべりをして過ごす。

たぶん、自分はアイドル現場も好きだったけれど、そこにある「好き」の身振りに反りが合わないような、ちょっといづい(便利なのだが、仙台の方言。重ね着してる服の袖が中でまくれ上がってるような収まりの悪さ...みたいなものを表すニュアンス)感じもあった。すばらしい時間は幾度もあり、忘れられないけど、距離はあったと思う。ストリップでは、そうした距離が限りなくゼロに近づいてものすごくフィットするようだ。
他方で、それでいいのかな、と思うことは何度もある。あまりにもここが幸せで、あまりにも宇佐美さんのことが好きでいて、自分が根こそぎに変わっていくような流れにとりさらわれて、あるべき姿を見失ってしまうのではないか、もしくはとっくに見失ってしまっているのではないか、悩ましく思うことは、本当にしょっちゅうある。それはあくまでも精神的な問題ではあるけど、以前がどうだったのか考えられないほど遠くに来てしまった。

ラストの「positive」。クライマックスに向かう途中、たとえようもなく美しい表情がそこに生まれているのを見るとき、芸とか批評とかなんとか、私たちの関係に線を引き直すための概念のいっさいが霧散する。私が過ごしてきた、思い出すだに甘くて愛おしいほどに自堕落な時間の積み重なりが、その美しさを受け取るための足場になっていると感じられてしまう。でも別にいいか、とも思う。

自分はその経験の強度を外に開くことはできないかもしれないけれど、持て余す喜びにたじろぐのでなく、自分自身のためにその喜びを十全に受け取れる準備がこの半年で確かになされていたのだと、心地よく疲労した身体が感じている。

2021年12月6日月曜日

12月6日(月)[まさご座]

玉(2)
竹宮あん(2)
音羽うた(2)
夢乃うさぎ(1-2)
宇佐美なつ(1-2)


雨。なんとなく劇場に入りがたい気分になってしまい、ゆるゆると過ごしてしまう。


さゆみさんに入れ替わってこの日から出演の竹宮あんさん、和装演目。ピシッと無駄のない芸で心地よい。

宇佐美さん。「量産型と呼ばないで」「Positive」。いくら繰り返し見ても飽きることないステージでも、5日も過ごすと"旅の終わり"という気分に引っ張られるところ多くて、うまく見られてないような気がしてしまった。

平日にも関わらず、両サイドからリボンが舞う。ひとりは十余年ぶりのリボンで、まさご限定復帰。劇場の後ろでリボンを巻き付ける姿に何ともいえない味わい。うまいリボンっていうのは、リボンが充分に広がって、踊り子さんを包み込むようになるんですよね、と話してくれる。

2021年12月5日日曜日

12月5日(日)[まさご座]

玉(1)
石原さゆみ(1-4)
音羽うた(-)
夢乃うさぎ(1-4)
宇佐美なつ(1-4)


早めに列へ。なんとかすり鉢最上段の背もたれに。


1.「アンビバレント」

2.「量産型と呼ばないで」

3.「ナイトクルーズ」

4.「positive」

今週の「アンビバレント」を観ていて、たった1ヶ月でこんなにも演目の質を変化させられるというのはどういうことなのかなあと考えてしまう。宇佐美さんの技量なのか、ステージ数の多さがなせることなのか、両方なのか。
これは前日、一緒に観ていた渡邉千尋さんが、「驚くほど良いですね...」と漏らされていたのに、密かに心でガッツポーズをしてしまう。本当に何様なのだと思うけど、自分が見てきたなかで、環境も含めてベストなタイミングで見てもらえた気がする。
だれか自分ではない他者を「誇りに思う」という心の動きをあさましいと思っていたけど、まさごのベッドを囲むすり鉢から、お約束ではない手拍子の高まりが揃い出すとき、いやしくもそうした「誇りに思う」気持ちが芽生えた。

「ナイトクルーズ」は、実のところあまりに演目へシンパシーを感じてしまい、ここで具体的な感想をまとめるに至らない。1結渋谷で再演されるかも、ということなので、それを待っている。


さゆみさん、楽日。「ダンス」見れば見るほど味わいがあって、完全に好きな演目になってしまう。M1の黒いシャツとスラックスに、髪を束ねて前髪を少し垂らしたスタイルと、ラストではそれらがすべて解き放たれたように一糸まとわぬ立ち上がりの姿どちらもが美しい。楽曲の歌詞は「ダンス」について言及される歌が続く。M4でだけ、楽曲の時代が飛んでしまうのもおもしろい。
さゆみさんだけでなく、宇佐美さんを見ていても感じたことだけれど、踊りというのはその時間を賦活するように生き生きとしたものを誕生させていく一方、その生き生きとしたものの起こりが即座に消え去って死んでいくようでもある。生の隣にすぐさま死があって、淡い想起のなかにしか「ダンス」がないようでもあり、それがまたさゆみさんの演目の中では、本当にごく身近な良き時間の満たされや切なさに直結している感触がある。その感触は他ならない、劇場で今まさにそうした時間を過ごしている自分たちに重ね書きされる。ポーズベッドはそうした時間への愛惜を、まさしく"ポーズ"させるような甘やかさが空間を浸していって、しかし立ち上がりでは、刹那を引き受けるでもない軽やかさでもって、飄々と踊り切るたまらなさがある。

新作のスキー演目、ラスト回の雪合戦の図がリュミエールの映画か、ベルハーzeppワンマンのときに円形ステージに立つみうらさんに投げ込まれるサイリウムのよう(分かりづらすぎるけど、画があまりにも似ていた)で、それも素晴らしかった。ラストはリボンから桜が散った。

2021年12月4日土曜日

12月4日(土)[まさご座]

玉(1)
石原さゆみ(1-4)
音羽うた(1)
夢乃うさぎ(1-2)
宇佐美なつ(1-4)


日に日に増してゆく客の数。並び列に着く時間を早めても意味なく、下手最後方の椅子へ。待機列で、スト初遠征になった渡邉千尋さんと話し込む。


1.「アンビバレント」

2.「量産型と呼ばないで」

3.「ナイトクルーズ」

4.「positive」


1回目から爆上がり。全体見下ろすポジションも悪くないというか、初日に感じた本舞台 - 盆の分離感増し、ベッド入りで「来たー!」という感じになる。
この演目でのポーズの切り方には、他の演目よりずっとタメの効いた「持ち上がる」ような動きがあって、けれどそのニュアンスはとても微妙なので、毎回確実に発動しているわけでもない。かなり力強い動きなので、見るたびに宇佐美さんにはどこか不似合いな泥臭さが感じられるのだけど、そこがまた演目の要でもあるようにみえる。しがらみを全部ぶっ飛ばすみたいな勢いが、場内を巻き込んでお約束ではない手拍子の高まりを招いてる。

「量産型〜」は、ミカドから一回もパフォーマンスにブレがなく、常に安定して演じられてるのがおもしろい。自分はゆらぎのほうを面白みとして取りがちではあるし、品質管理と安定供給に向けられた「テクニック」なんてどうでもいいとさえ思ってしまうこともある。けれども、この演目で要求されている表現の振り幅を破綻なく演じられているのは、紛れもなく高い技術の問題だと感じるし、これは宇佐美さんに限らないことでもあるが、踊り子さんになぜかあってしまう嫌味のなさが、その技術と技術に支えられた演目を素直に受け取らせてくれる。

これは本当に不思議なことだけれど、どうして踊り子さんたちはあんなに芸にいやらしさがないのだろう、あるいは、普通の芸が行われる場で、しばしば卓越にいやらしさが纏わりつくのはなぜなのだろう、とよく思う。

...この日、東京からの常連さんが集まり、ことの流れでめずらしく酔っ払ってへらへらしながら「positive」を見てしまう。武藤さんが会心の出来だったと話していたけど、残念ながら掴めず。。
言い訳というかなんというか、自分としてはこんなに酔っ払ってもいいかなと思えるのはわりと画期的で、そして結構酒にも弱い方でもないのに、ひたすらゲラゲラ笑いっぱなしで皆でポラを撮ってふざけたりしたのも、特別な時間だった。終演しても笑いっぱなしで、武藤さんとアーケードをさまよってようやく腰と頭を落ち着けて2時過ぎまで喋りあったのも、いい夜としか言いようがない。こんな特別に見える夜が、わりと頻繁におきる下半期。

2021年12月3日金曜日

12月3日(金)[まさご座]

玉(1,4)
石原さゆみ(1-4)
音羽うた(1)
夢乃うさぎ(1-2)
宇佐美なつ(1-4)



昨日より人が増えた。石原さんのお客さんたちとお見受けする。あっという間に席が埋まってほとんど選択の余地なく、上手側すり鉢最上段に。


宇佐美さん。

1.「positive」

2.「アンビバレント」

3.「ナイトクルーズ」

4.「アンビバレント」


演目そのものの印象より、直接のやり取りの中で考えさせられることの多い日でもあった。そのとき一回一回の良し悪しを越えて、通時的にどのようにパフォーマーとしてあるか、という。

たとえば映画や美術とちがって舞台は生物と言われる。とはいえ、映画や美術にしたって鑑賞に臨むときにあるあまたのノイズはあってしまい、舞台ではそれがより掴みやすく出ているだけでもある。条件の幅はほとんど無限で、たまたまそうでしかなかった一回を、どこに定位させて考えるか、ある程度の捨象と丹念な検討の両方を走らせてみて、結局は定着しきらない仮止めを繰り返していくしかない。これは演者だけでなく、その演者を繰り返して見ることになる観客もまた、同じことだと思う。

「アンビバレント」は初出しからとてもゆらぎの多い演目だが、そのゆらされが見える分、一回一回の演目への接し方がダイレクトに伝わってくる。この日の4回目は、終盤でいきなりのギアチェンジが起こったようにも見えたし、その「巻き返し」のようなことの起こりをどう見るのか、そしてそれは「演目」の評価軸と違った何かで、またそれに何を言えるのか、実はよく分からない。

ただ、続けて追っている観客としては、そういうゆらぎすべてを含めて、もしろゆらぎが生々しく出ることが、たまらない魅力に変換されてしまうことだけ、実感としてはっきりする。



2021年12月2日木曜日

12月2日(木)[まさご座]

玉(1-4)
石原さゆみ(1-4)
音羽うた(1-3)
夢乃うさぎ(1-4)
宇佐美なつ(1-4)


初・岐阜。秋田と郡山を想起させるような...アーケードにやたらキャバクラ?めいた店が多い。中華系の用品店や鍼治療の店があって、移民が多かった地域なのだろうかとか考えながら、開場までぶらぶらして時間を潰す。

靴を脱いで入るという新感覚の劇場。懇切丁寧にスタッフさんが案内してくれる。abemaの番組で内部を見ていたとおり、すり鉢状になった座席が盆を囲む。花道があって、一段高くなった本舞台はプロセニアムアーチがはっきりとあり、襞のある絞り緞帳が余計に「劇場」然とした佇まい。開演前アナウンスに昭和の香り。「官能の踊り子さんが皆様を悩殺...」。
前から二列目の下手側に座る。


宇佐美さん。この日の演目。

1.「positive」

2.「アンビバレント」

3.「ナイトクルーズ」

4.「量産型と呼ばないで」


全体を通して、弛まず・だが力みすぎずの充実で、ほとんどベストに感じられるパフォーマンスが連発していた。幸せ。宇佐美さんが構成する演目の展開を、プロセニアムアーチによる切断感と、対して浮島のような盆らが物理的に補助するかのようで、観劇経験のハイレゾ化でもあった。

これは宇佐美さんの踊りの特質なのか相性の問題なのか切り分けができないのだが、まず、「踊りを見る」ことは、部分的に「自分も踊る」ことである。だがしかしそうしたシミュレートが心地よく裏切られていく予測誤差が、快感を招く。この予測誤差は音楽を媒介にして、そこに当てられる振付を身体へトレースしながら、次なる流れを想像のプールに蓄積すること(「自分も踊る」ことの内実)と、現実で先行する振付の実際との間に起きる。
これが宇佐美さんの演目によっては0.5秒くらいの間隔で起き続けるシークエンスを持つ。この短間隔は音楽の聞き取りに基づくもので、抽象的な音楽の共有が次々具体化されることが前提にあり、それ自体の快感もある。
ものすごく単純に言ってしまうと、音ハメ(なんか好きになれない語彙)の快感の連打が、同じツボだけでなく、自分が気づかなかったようなツボも刺激するような踊りになっている。宇佐美さんは「踊ること」の感度が、我々より圧倒的に高く、それに導かれるようにして気持ちよさが生まれてくる、ような。

初見の演目「ナイトクルーズ」。それ自体極上のEPのような完璧に好みな選曲にまずやられる。椅子やラジカセといった小道具が、あまりにも馴染み深すぎてしまう。シアトリカルな演目、といってしまえばそうなのだが(なんらかの「物語」がうかがえもする)、前提された劇展開、もしくは物語世界に基づいた、「ダンス」ではない「しぐさ・動作」の水準の動きが多く出てくる。簡単に言うとマイムなのだけど、マイムと言ってしまうと、展開に奉仕する行為に回収されてしまうきらいがあって、やはりそれは「しぐさ・動作」として独立して味わい得るものとしてある。伸ばした手が誰かに引っ張られるようにして盆へ駆け出すところ、表情もあいまって見どころ。
なんといっても椅子の上で行われるベッドが最高。このこと、後でもうちょっと丁寧に考える。

さゆみさん。新作のスキーのやつが衣装から選曲から、さゆみさんならではの芸の細かさというのかなんというのか...観客とのインタラクティブが絶品。歌詞に合わせて「運命の人」を客席に見出そうとするが、しばし品定めして「ちがうな」ということを本当に微妙な首のかしげと表情で伝達できてしまう。
ベッド、雪原に見立てた白い起毛のあるマットの上で、白揃えのニットキャップ・マフラー・水着・靴下というフェチ感。

10結道劇で観たダンスメインの演目、まさご座の環境もあってか立ち上がりでかなりぐっときてしまう。しかし「ぐっとき」た内実が相変わらず指呼しづらい...なんといったものか。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...