玉(1-4)
石原さゆみ(1-4)
音羽うた(1-3)
夢乃うさぎ(1-4)
宇佐美なつ(1-4)
初・岐阜。秋田と郡山を想起させるような...アーケードにやたらキャバクラ?めいた店が多い。中華系の用品店や鍼治療の店があって、移民が多かった地域なのだろうかとか考えながら、開場までぶらぶらして時間を潰す。
靴を脱いで入るという新感覚の劇場。懇切丁寧にスタッフさんが案内してくれる。abemaの番組で内部を見ていたとおり、すり鉢状になった座席が盆を囲む。花道があって、一段高くなった本舞台はプロセニアムアーチがはっきりとあり、襞のある絞り緞帳が余計に「劇場」然とした佇まい。開演前アナウンスに昭和の香り。「官能の踊り子さんが皆様を悩殺...」。
前から二列目の下手側に座る。
宇佐美さん。この日の演目。
1.「positive」
2.「アンビバレント」
3.「ナイトクルーズ」
4.「量産型と呼ばないで」
全体を通して、弛まず・だが力みすぎずの充実で、ほとんどベストに感じられるパフォーマンスが連発していた。幸せ。宇佐美さんが構成する演目の展開を、プロセニアムアーチによる切断感と、対して浮島のような盆らが物理的に補助するかのようで、観劇経験のハイレゾ化でもあった。
これは宇佐美さんの踊りの特質なのか相性の問題なのか切り分けができないのだが、まず、「踊りを見る」ことは、部分的に「自分も踊る」ことである。だがしかしそうしたシミュレートが心地よく裏切られていく予測誤差が、快感を招く。この予測誤差は音楽を媒介にして、そこに当てられる振付を身体へトレースしながら、次なる流れを想像のプールに蓄積すること(「自分も踊る」ことの内実)と、現実で先行する振付の実際との間に起きる。
これが宇佐美さんの演目によっては0.5秒くらいの間隔で起き続けるシークエンスを持つ。この短間隔は音楽の聞き取りに基づくもので、抽象的な音楽の共有が次々具体化されることが前提にあり、それ自体の快感もある。
ものすごく単純に言ってしまうと、音ハメ(なんか好きになれない語彙)の快感の連打が、同じツボだけでなく、自分が気づかなかったようなツボも刺激するような踊りになっている。宇佐美さんは「踊ること」の感度が、我々より圧倒的に高く、それに導かれるようにして気持ちよさが生まれてくる、ような。
初見の演目「ナイトクルーズ」。それ自体極上のEPのような完璧に好みな選曲にまずやられる。椅子やラジカセといった小道具が、あまりにも馴染み深すぎてしまう。シアトリカルな演目、といってしまえばそうなのだが(なんらかの「物語」がうかがえもする)、前提された劇展開、もしくは物語世界に基づいた、「ダンス」ではない「しぐさ・動作」の水準の動きが多く出てくる。簡単に言うとマイムなのだけど、マイムと言ってしまうと、展開に奉仕する行為に回収されてしまうきらいがあって、やはりそれは「しぐさ・動作」として独立して味わい得るものとしてある。伸ばした手が誰かに引っ張られるようにして盆へ駆け出すところ、表情もあいまって見どころ。
なんといっても椅子の上で行われるベッドが最高。このこと、後でもうちょっと丁寧に考える。
さゆみさん。新作のスキーのやつが衣装から選曲から、さゆみさんならではの芸の細かさというのかなんというのか...観客とのインタラクティブが絶品。歌詞に合わせて「運命の人」を客席に見出そうとするが、しばし品定めして「ちがうな」ということを本当に微妙な首のかしげと表情で伝達できてしまう。
ベッド、雪原に見立てた白い起毛のあるマットの上で、白揃えのニットキャップ・マフラー・水着・靴下というフェチ感。
10結道劇で観たダンスメインの演目、まさご座の環境もあってか立ち上がりでかなりぐっときてしまう。しかし「ぐっとき」た内実が相変わらず指呼しづらい...なんといったものか。
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