2021年12月27日月曜日

12月27日(月)[渋谷道頓堀劇場]

eye(2)
箱館エリィ(1-2)
空まこと(1-2)
虹歩(1-2)
ささきさち(1-2)


ささきさんの未見演目と道劇納めと回数券割引目当てに。当然混んでいるだろう(特に三番目の理由で)と踏んではいたが、見事に満席。が、途中でいいところがスポッと空いたので座る。

ささきさん「ホーム」。タイトルからして"家"をめぐる何らかの演目なのだろうとは予想していたけど、冒頭いきなり車掌がアナウンスするSEが流れ出して、そっちか!となった。M1は光沢のあるシルバーに袖ぐりがピンクでアクセントがついた衣装。制帽・半袖シャツ・ハーフパンツ。ときどき笛など鳴らしつつ明るく軽快に進行するのもちょっと意外。
この第一の「ホーム」から、次は旅立ちの主題を描いていく。つまり、離れていくことで逆説的に"家"を想像させる。最初の衣装を脱ぐとシンプルな白いシャツに白いパンツ。郷愁に絡め取られそうなほどセンチメンタルにゆっくりとベッドが進むと一気に転調して、シャツの前を開けつつも羽織ったまま、自身に満ちた表情でポーズをバッシバシと決めていく。「ホーム」とは旅立ちのことであり、帰るべき家のことであり、そして他ならない今ここ、ストリップを演じている劇場についてのことであった。
ごく簡潔なタイトルに込められた三重の「ホーム」の主題の展開は簡潔で明瞭だが、何より、ポーズや表情の説得力に支えられている。

2周年作「シュガークラフト」。でかいスプーンの裏に反射があるのだけど、曲面のために天球型のカメラで自撮りをしているかのように場内が映り込むのが面白い。そして相変わらずオナベのエロさ...スプーンを咥えながらの愛撫、どころか、スプーンを咥えつつ半開きになった口がすでに濃厚に官能的で、エロさのトリガーが具体的な行為と全く紐付いていない事に気づいた。

けっこう踏み込んだ話をするのだけど、こうした「エロさ」を感じるとき、自分はステージ上の演者さんと実際の性行為に及びたい、と考えているのかどうかしばらく分からなかった。ささきさんのオナベは、自分にとってわりとストレートに性的な感覚として受け取れてしまうものなのだが、ささきさんに欲情しているのかというと、やはり違うと思った。あけすけに書いてしまうが、ささきさん"と"セックスがしたいと思っているわけでも、ささきさん"で"オナニーをしたい、と思っているわけでもない、という話。
いわゆる自慰は性交の代用行為の場合があるだろう。この場合、欲情の対象はすでにフィックスされていて、しかし性交が叶わないから自慰に移るわけだ。だが対象に向けられた欲情に先行して、自慰それ自体が目的化されることはしばしばある。そのとき、行為の手助けとなるような、「オカズ」が必要とされる。この俗語が示すように、自慰はあたかも「定食」のように行為と何らかのポルノグラフィーの鑑賞が一体化したフレームを成している。
とくに性的に関心を持っているわけではない演者のオナベで性的な感興を催すとき、自慰が禁止されているという劇場のレギュレーションは措くとしても、それは「オカズ」ではない(ことがある)、とした。では何なのか。実のところ優れたオナベとは、たとえば卓越したスポーツのプレイや、あるいは名手の楽器演奏に接したときような、「自分もあれをしてみたい!」と思わせるような高次の体験へのあこがれを観るものに等しく起動させ得る、まさしく「パフォーマンス」なのではないだろうか。自慰は代用行為でもなく、形式化して固定されたルーティンでもなく、なにか未知の歓びをもたらす行為なのではないかと、オナベから生じる官能の質がそれを問いかける。また私はしばしば、踊りを見ることは自分も部分的に踊ることだと書いていたが、これをパラフレーズするならば、オナベを見ることは自分も部分的に自慰することだ、と言える。このとき、踊りが踊り手と"共に手を取り合って"踊られるのではないように、自慰もまた、自慰している対象と無関係な孤立性のもとで行われるだろう。踊ることも自慰することも、パフォーマンスを介して自分のこととして引き受け直すことが、大切なのだと思う。もちろん、踊り子さんの官能が、素朴に性的対象(=オカズ、あるいは性交願望の喚起)として訴えかけることも人によっては多々あることだろう。けれども、そうした性欲の指向性があまりにも当たり前に過ぎて強固に働くだけで、別の可能性を提示されていることに気づけないこともあるのではないだろうか。


最初に書いたようにこの日が道劇納め。自分にとって、どこか特定の場所がこんなにも特別に思われるような経験があると思っていなかった。願わくばこの劇場に末永い未来がありますよう。


まあ1週間もしたらまた来るのだが...

2021年12月24日金曜日

12月24日(金)[渋谷道頓堀劇場]

eye(2)
箱館エリィ(2)
空まこと(2)
虹歩(1-2)
ささきさち(1-2)


もうちょっと後半に行こうかと思ったが、道劇でささきさんの「デビュー作」を観ておきたくて、さくっとだけ。回数券の特売前日だけあってか、悠々座れる。

虹歩さんは、前回のミカドからどんどん好きになっている。踊りの良さより(というと語弊があるが)、虹歩さんそのものの良さというか、かわいさのようなものに惹かれてしまう。べつに特段愛嬌を振りまいてるわけでもないけれど、年齢を重ねることのポジティブな側面が、振る舞いをずっと新鮮に保っているような感触がある。その人がただ舞台に立っていればいいというような。
もちろん虹歩さんはただ立っているような時間はほとんどなく、絶え間なく踊り続けている。だがその踊りも「技」ではなく、自らの身体にこそ根拠がある充実感があって、だからこそ裸体も輝いて見えるのだろう。

ささきさちさん。空まことさん、虹歩さん、ささきさんとかなり細身の踊り子さんが続く香盤で、その姿形の類似がかえって「身体」のありようを比較させる。
「デビュー作」は変わらずエロい。動作が少ないのにベッドで何をしているかまったく記憶できないのだが、うつむき加減に保たれる視線が時折客席に向けられるとき、翳刺すような鋭さがあって、ほんとうにゾクッとしてしまう。
先日武藤さんが振りの少なさと踊り易さは比例関係にない、という趣旨のツイートをしていたが、ささきさんのベッドにあってはただひたすらに「見られる」ことだけが持続する肉体の提示がある。振りの少なさは技術的なハードルの設定より、踊り子が客の視線に晒されることの経験=時間をイニシエーション的に通過するためという側面もあるのではないか、とすら感じた。

「2周年作」は、舞台の上手と下手にピンクと白がねじれて合わさるようなデコレーションの蝋燭を模したスタンドに、それぞれ巨大なスプーンとフォークが据えられている。その間で、盆の円周と同等の裾幅を持った大きい白いドレスを着たささきさんが立っているスタート。さながらささきさんはウエディングケーキか何かが人になったようなかたち。
まずはギミックの大きさに驚かされるが、それよりも、上体が上下に浮き沈みするような振付が目を引く。腕以外の体の線が見えないから、ふしぎな見え方をする。
衣装替えの後に脱衣があり、ベッドに移ると太腿に仕込んでおいたスプーンを取り出してのオナベに。大掛かりなセットとスプーンという小道具からさゆみさんの演目をつい想起するが、スプーンを横に咥えながらの愛撫には、ちょっとめまいがするほどのエロさが溢れだしている。ふつうにそれは、性的な昂奮を催すようなものだったと思う。また体を撫ぜる手具の扱いにきららさんの「蝉」や「浅川さん」のようなエッジの立ち方はないものの、そこまで攻め込みますかという使い方がひとつある。
ところで、可食的な体のイメージとはクリシェに他ならないけれども、ストリップにはそうしたクリシェをぶち破ってしまう「パフォーマンス」の強度がある。食べられる私が、食べるための道具であるスプーンを使って自慰することを見せることには、イメージが追いつかない地点で自律した何かがある。
ポーズベッドでは、今のところ自分が見たことのない、速度感のある振りがつけられている。止めハネをしっかりした折り目正しい書体が基本の動きであるささきさんが筆記体に挑んでいるような、別の場所に行こうとしている感触そのものが好ましい。ギミックや展開、演出に加えてこうしたダンスの水準でも挑戦があり、デビューからの2年を総まとめするのでなく、既にして3年目へと踏み出している意欲に、素朴にエンパワメントされる。紛れもない作家であるささきさん、今後の新作がどんどん楽しみになってしまう。


どうでもいいが、ポラのとき扱うデジカメのシャッターの感度は機種それぞれで、けっこう深く押し込まないとシャッターが切れないものが多い。が、ときおり思ったより浅いところでパシャっといってしまうものがある。前の人の2ショット、うまく撮れてなかったのでは...という懸念が残ったクリスマス・イヴ。

2021年12月20日月曜日

12月20日(火)[大和ミュージック]

天羽夏月(1-3)
永瀬ゆら(1-3)
天咲葵(1-2)
漆葉さら(1-2)
春野いちじく(1-3)
蟹江りん(1-2)
山口桃華(1-2)


9中以来の最果ての地へ。もはや心理的には岐阜の方が近い。仕事終わりに大和に向かい、開場時間くらいに到着すると既に20名オーバーの列。自分と同じく、多くは春野いちじくさん目当てかと思われる。

永瀬ゆらさん。この日最も面白く見られた踊り子さん。8結渋谷・9中大和と続いて3度目だが、今回で好感が完全にフィックスされた気がする。すべての演目を通して圧倒的に趣味のいい音楽が続いて、それだけで贅沢な気分でステージを見られる。
ためらいのないポールダンスの格好よさもさることながら、ゆらさんの表情や仕草の端々にかわいさがあって、魅力的。2回目の演目でメキシカンハットにポンチョ姿でちょこちょこ動いたりするのも、キャラっぽくて良い。花道を本舞台に帰りかけて、ザッと引き返してポールダンスに入る瞬間が最高だった。

道劇新人の天咲葵さんは、脱いだときの身体のきれいさに驚くなど。デビュー間もないのにいい意味で慣れた姿勢があって、安心感はあった。

1回目山口さんの演目は初見だったが、新作だろうか。回転スツールや、ストールを使ったポーズベッドなど見どころ多く、今まででいちばん好きな演目かもしれない。あと、10頭から3週も見ているので、わずかな髪色の変化など具体的に感じ、それも好感の要素になっていた。

いちじくさん「ワンルーム」「メリメリ」「Persian」。ふつうの女の子ミーツ幽玄という佇まいで、どれもかなり尖った選曲で演目が構成されている。個人的には3回目の「Persian」が好みで、長く白いファーストールを首にかけつつ両手で支えながら裸体を見せる瞬間の豪華さに、まさしく猫の貴族性の側面が見えた気がする。
とはいえ、まだ掴みかねる部分も多くて、これからの機会を待ちたい。

ところで、ストリップを見ているとき、顔・体・踊りの要素へ連関を伴ってそれぞれにフォーカスを当てることになる。時々にバランスを変えてもそれぞれは相補的で、独立することがない。しかし、単に個人的に「好みの顔(=タイプ)」の人がいたとき、その顔は「好み」のレイヤーに置かれて眺められるが、体と踊りとがその好みのレイヤーとは連関を持たず、そのことで結果的に好みのはずの顔もぼんやりした印象になったりする。当たり前のことだが、偏愛的な形態パターンは、ストリップで現象する出来事とは別様の水準にある。


合間、hideさんと立ち話しているうち「もしかしてコース皆勤してるの?」と訊かれて、そうですね、まあ知らない劇場を見たいというのもあって...と答えたが「まさごには6日いた」とは言わなかった。6日いた...

2021年12月17日金曜日

12月17日(金)[渋谷道頓堀劇場]

悠木美雪(1-3)
くるる(1-3)
埃(1-3)
浜崎るり(1-3)
愛野いづみ(1-2)


久々(でもない)の道劇。来る度に落ち着く...特に今日は、知り合いもいなければ、自分を知ってる踊り子さんもいない。ひとりを満喫する。

コンスタントに見ている悠木さん。初回から張りに満ち満ちた「勝たん」で、すばらしかった。2回目の演目「7」も、終わったあと息切れが続いてしまうくらいのテンションで走り抜けていた。この日は踊りの力の入り方もさることながら、落ち着いたシーンでの表情も、客に向けたウインクもすべてキマっていた。

くるるさんは東寺での演目が記憶に新しいが、初見の8結渋谷で見た演目も再見できた。百合的な主題が見え隠れする、私にとってかなり懐かしい某アイドルグループのファン人気高い曲が使われている。冒頭で水音のSEが利いていることもあり、盆に小道具のブーケを捧げると、迫り上がった盆は満々とした水面に見えてくる。この当たり前の見立てが、それにとどまらない変質を起こすのがストリップ特有の効果。水辺は妖しげな香りを放ってい淫猥な気配を醸すが、ポーズベッドではカタルシスがある。
東寺ぶりのオナベ演目も、やはりよかった。オルゴールの曲が効いている。クレッシェンドするところ、絶頂に向かってスパートをかけるように淫らで、かつ余韻に浸った体が次の曲をサビまで放っておいてしまう。音楽は構わず先へ先へと進んで、体がようやく着いてくるかに見えても、どこかそぞろな気配があって、同期よりは、振り上げられた長い髪の翻りそれ自体の単純な反復に宿る...やはり淫らさが自律してる。
踊り子さんのエロさは一様でないにせよ、「淫ら」であるような形容が噛み合う人には、それほど出くわしていないかもしれない。痩躯に柔らかい体は、むしろ濃密なエロさ(エロはどこか鈍重でもある気がする)と距離がありそうなのに、脚を開き気味に投げ出して、後ろに着いた手に体重を乗せるように上体を預ける姿からは、異国の花のような言い知れないエロさが香ってくる。

浜崎るりさんは、噂に違わぬぶっ壊れぶり。3回目のJKネタは良識のかけらも存在しない設定に振り切っていて、悪魔的ですらある。それがどうしようもなく痛快であり、市民道徳の一切をぶっちぎってトランシーなブチ上げ曲のなか、世界のすべてに対して無敵であるような爽快さでポーズを切っていく。その後ろには、むなしくもテッカテカにローションまみれにされたディルドがぽつんと置き去られている。

2021年12月10日金曜日

12月10日(金)[まさご座]

玉(1,4)
竹宮あん(1-2)
音羽うた(1-2)
夢乃うさぎ(1-2)
宇佐美なつ(1-4)


バカなので岐阜に向かってしまう。忠犬...


1.「positive」

2.「アンビバレント」

3.「ナイトクルーズ」

4.「positive」


2回目以降、リボンが飛びまくる豪華(?)バージョン。ラストはタンバリンと手拍子とやはり三方からのリボンで全マシ状態。


まともに個別の感想が書けない。


前回の月曜、気づけば絶対に毎週一度は会うという人に、ようやく声をかけてみた。タイミングを逸してしまっていて、しかもおひとりで過ごされるのが好きなのかな...という様子でもあったけど、まあいいかと思ってお話させてもらったら、ほんとうに長く宇佐美さんをご覧になってる方で、たくさん話を聞かせてもらうことができた。
今回はリボンを投げていた方も繋いで、3人で今年の思い出をロビーでひたすら喋っていた。全員が全員ともすべての週にいたので、欠けている話題がひとつもない。渋谷・池袋・渋谷・蕨・渋谷・栗橋・大和・小倉・布施・蕨・池袋・岐阜...それぞれがいなかった日にどんなことがあったか、どんなステージがあったか、自分が出会う前にどんなやり取りがあったか、ずっとおしゃべりをして過ごす。

たぶん、自分はアイドル現場も好きだったけれど、そこにある「好き」の身振りに反りが合わないような、ちょっといづい(便利なのだが、仙台の方言。重ね着してる服の袖が中でまくれ上がってるような収まりの悪さ...みたいなものを表すニュアンス)感じもあった。すばらしい時間は幾度もあり、忘れられないけど、距離はあったと思う。ストリップでは、そうした距離が限りなくゼロに近づいてものすごくフィットするようだ。
他方で、それでいいのかな、と思うことは何度もある。あまりにもここが幸せで、あまりにも宇佐美さんのことが好きでいて、自分が根こそぎに変わっていくような流れにとりさらわれて、あるべき姿を見失ってしまうのではないか、もしくはとっくに見失ってしまっているのではないか、悩ましく思うことは、本当にしょっちゅうある。それはあくまでも精神的な問題ではあるけど、以前がどうだったのか考えられないほど遠くに来てしまった。

ラストの「positive」。クライマックスに向かう途中、たとえようもなく美しい表情がそこに生まれているのを見るとき、芸とか批評とかなんとか、私たちの関係に線を引き直すための概念のいっさいが霧散する。私が過ごしてきた、思い出すだに甘くて愛おしいほどに自堕落な時間の積み重なりが、その美しさを受け取るための足場になっていると感じられてしまう。でも別にいいか、とも思う。

自分はその経験の強度を外に開くことはできないかもしれないけれど、持て余す喜びにたじろぐのでなく、自分自身のためにその喜びを十全に受け取れる準備がこの半年で確かになされていたのだと、心地よく疲労した身体が感じている。

2021年12月6日月曜日

12月6日(月)[まさご座]

玉(2)
竹宮あん(2)
音羽うた(2)
夢乃うさぎ(1-2)
宇佐美なつ(1-2)


雨。なんとなく劇場に入りがたい気分になってしまい、ゆるゆると過ごしてしまう。


さゆみさんに入れ替わってこの日から出演の竹宮あんさん、和装演目。ピシッと無駄のない芸で心地よい。

宇佐美さん。「量産型と呼ばないで」「Positive」。いくら繰り返し見ても飽きることないステージでも、5日も過ごすと"旅の終わり"という気分に引っ張られるところ多くて、うまく見られてないような気がしてしまった。

平日にも関わらず、両サイドからリボンが舞う。ひとりは十余年ぶりのリボンで、まさご限定復帰。劇場の後ろでリボンを巻き付ける姿に何ともいえない味わい。うまいリボンっていうのは、リボンが充分に広がって、踊り子さんを包み込むようになるんですよね、と話してくれる。

2021年12月5日日曜日

12月5日(日)[まさご座]

玉(1)
石原さゆみ(1-4)
音羽うた(-)
夢乃うさぎ(1-4)
宇佐美なつ(1-4)


早めに列へ。なんとかすり鉢最上段の背もたれに。


1.「アンビバレント」

2.「量産型と呼ばないで」

3.「ナイトクルーズ」

4.「positive」

今週の「アンビバレント」を観ていて、たった1ヶ月でこんなにも演目の質を変化させられるというのはどういうことなのかなあと考えてしまう。宇佐美さんの技量なのか、ステージ数の多さがなせることなのか、両方なのか。
これは前日、一緒に観ていた渡邉千尋さんが、「驚くほど良いですね...」と漏らされていたのに、密かに心でガッツポーズをしてしまう。本当に何様なのだと思うけど、自分が見てきたなかで、環境も含めてベストなタイミングで見てもらえた気がする。
だれか自分ではない他者を「誇りに思う」という心の動きをあさましいと思っていたけど、まさごのベッドを囲むすり鉢から、お約束ではない手拍子の高まりが揃い出すとき、いやしくもそうした「誇りに思う」気持ちが芽生えた。

「ナイトクルーズ」は、実のところあまりに演目へシンパシーを感じてしまい、ここで具体的な感想をまとめるに至らない。1結渋谷で再演されるかも、ということなので、それを待っている。


さゆみさん、楽日。「ダンス」見れば見るほど味わいがあって、完全に好きな演目になってしまう。M1の黒いシャツとスラックスに、髪を束ねて前髪を少し垂らしたスタイルと、ラストではそれらがすべて解き放たれたように一糸まとわぬ立ち上がりの姿どちらもが美しい。楽曲の歌詞は「ダンス」について言及される歌が続く。M4でだけ、楽曲の時代が飛んでしまうのもおもしろい。
さゆみさんだけでなく、宇佐美さんを見ていても感じたことだけれど、踊りというのはその時間を賦活するように生き生きとしたものを誕生させていく一方、その生き生きとしたものの起こりが即座に消え去って死んでいくようでもある。生の隣にすぐさま死があって、淡い想起のなかにしか「ダンス」がないようでもあり、それがまたさゆみさんの演目の中では、本当にごく身近な良き時間の満たされや切なさに直結している感触がある。その感触は他ならない、劇場で今まさにそうした時間を過ごしている自分たちに重ね書きされる。ポーズベッドはそうした時間への愛惜を、まさしく"ポーズ"させるような甘やかさが空間を浸していって、しかし立ち上がりでは、刹那を引き受けるでもない軽やかさでもって、飄々と踊り切るたまらなさがある。

新作のスキー演目、ラスト回の雪合戦の図がリュミエールの映画か、ベルハーzeppワンマンのときに円形ステージに立つみうらさんに投げ込まれるサイリウムのよう(分かりづらすぎるけど、画があまりにも似ていた)で、それも素晴らしかった。ラストはリボンから桜が散った。

6月6日(月) 道頓堀劇場

例外的更新。 舌の根も乾かぬうちに...とエクスキューズを出しておきたいところだが、書かないほうがいくえにも不自然だと思われたので、形を変えて書いておく。 6月6日。朝からずっと雨。気温も前日からぐんとさがった。 こういう日に劇場に行くとき、きまって他人の体調を考える癖がついてし...