夕樹(-)
楠かほ(1)
Kuu(1)
ささきさち(1-2)
虹歩(1-2)
12結の虹歩さん・ささきさんの並びが再来...ということで。
のんびり構えていたら夕樹さんに間に合わず、とか思って扉開けたら見たことないほど混んでいた。何となく朝から今日は嫌な予感がしていたけれど、こういう予感は大抵当たるのにそれを避けることがほとんどできない。
その他にもいろいろあってだいぶ気持ちが下がっていたが、ささきさんと虹歩さんのステージでチャラになった。
ささきさん、新作。
常からの90'〜00's J-POPよりの選曲からさらに遡って80'sの「アイドル」ふう(正確にはアニメなのだが)な滑り出し。M1-2とそんな調子で続くのでこれはどうなるのかしら...とやや不安が生じた頃にハケなしで衣装替え。ここでひとつ、大文字の「アイドル」を想起させる文脈が脱衣によって脱臼する。"清純派"的佇まいは、頓着しない裸体の現れによって価値を変える。
何より驚くのはM3。聴き慣れたイントロが鳴り響くと、00年代を代表するだろう邦ロック/サイケデリック・ロックの名曲が流れ出した。えー。サウンド的にも文脈的にもとんでもない飛躍がここに生じる。接続は衝突といったほうが正しく、大きく段違いに噛み合わないまま、亀裂は亀裂としてそのままに進行する。ほとんどゴダール的な繋ぎにすら思えるが、そうしたズレが目的とされているわけではなく、ベッドでいつもながらに刺すような・蕩けるような視線を送り続ける姿を見ると、たしかにM1の「アイドル」の内面が変わらずに持続しているかにもみえる。キャラクターの統一・多面性と受け取れば、遡行的に冒頭のありようも塗り替えていく。
ポーズも今までとまたちょっと違ってなんというのか進んで体に対して負荷を与えるような質感があり、再見を待ちたい。
『海』はM1カット。
以前も書いたように、ささきさんは割とダイレクトに「エロ」を感じる人でもあるので、蕨でそれを見たらどう感じるのかなという好奇心があった。結果的には、近接性はそれほど印象に関係しないのだなと。とはいえ、オナベのリアリティはさすがで、見ていて上気するような感じはあった。以前は快感の余韻から遊離して曲が流れ続けていくさまにフォーカスがあたっていたけれど、今回は以後のポーズへの移行が興味深かった。息を整えるように、しかし全身に行き渡る快感のしびれがそれを行わせるようにエルへと入る。このあとも、そうしたニュアンスを保ちつつ、実に自然に順を追ってポーズが切られる。一般にポーズへの入りは音楽との同期が優先されるが、オナベからの連続性がポーズに与えられているために音楽との同期は変わらず放棄されていて、論理的な一貫性も保っている。ささきさんは、自分が演目において何をやっているかに対してひじょうに明瞭な意識がある方だと思う。
虹歩さん。新作を2回続けて。2回目はM2カット。
パイプ椅子(座面と背もたれがスケルトンになってる)を本舞台に設置して、下手側へ45°くらい斜めに据えての進行。
相変わらず踊りまくりなのだが、狭い花道もデベソも知悉しきった扱いですさまじかった。花道で仰向けになって腰を支えつつ脚を上げて両側に180°開くと、かぶりの客がそれを避けるようになる。絡んでるというより、エリアの把握が広い。デベソもうつ伏せの開脚で端から端まで使い切り、かと思えば極端に隅っこで体育座りを崩したような姿勢で体を休めて背後の客にプレッシャーを掛けたりする。
こうした舞台とダンスの地と図の関係を捉え直すようなパフォーマンスによって劇場を制圧していた虹歩さんだが、それは意識的なパフォーマンスというより、半ばに直感でなされているようにも思った。実際、ポラのときに「あまり踊れてなくて...」という話で、自認としてはそれほどよくできたわけではない回だったりもした。それでもやはりこれは、熟練のパフォーマーだけが可能な「芸」だったろう。
ベテランの踊り子さんの写真を撮るとき、そうではない踊り子さんでは絶対に起きない変な自意識が増してしまう。実際、ご新規の客(しかも平均でいえばだいぶ若い)はわりと珍しいのかなとも思う感じでもあって、だがしかしそんなものに屈してはならない...と誰も関与しない(得意の)独り相撲の末に虹歩さんの写真をはじめて撮った。
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