玉(1,4)
海野雪妃(1,4)
eye(1,4)
望月きらら(1-4)
川越ゆい(1,3)
雨。劇場内はほどほどの混み合い方。
武藤さんが初見さんを伴って来る。今日は結構混んでますねと立ち話していると、今日は混んでないほうだよと突然、近くの客が言う。そうなんだ。
今回はゆったりモードで外出多めに、お目当ての望月さんを軸に観劇。
望月さんは4個出しでその都度に多様な演目の方向性を見せてくれるが、「望月きらら」が持つ「踊り子/芸人」という中心が強固で、アイドル曲でも、浴衣着の夏演目でも、スーツスタイルで決めたレビュー的なショースタイルでも、コントでも、何をやっても成立してしまう。
そのどれをも貫いているのが度外れな"エロ"なのだが、望月さんのエロはある意味今までの誰とも似ていない。むしろ分かりやすぎるくらいに局部に攻め入ったり官能的な仕草をしてみせたりするのだけど、なにか過剰さがあって、エロさにある湿度が乾ききったあとに残る即物性すら感じてしまう。
それは、ボディラインの見せ方や衣装の大見得を切るがごとき扱いや、小道具全般に対する感性がことごとくシャープな形、あるいは画を作っていて、そのエッジが際立つから、観ていても感覚が同期する以前でカットアウトされるようなところから起きているのかと思う。
たとえば「歯科助手の浅川さん」では、電動歯ブラシを使って、「蝉」では団扇を使ってあれこれ(あれこれ)するのだけど、動きの遷移が多くて、感覚を添わせる前に、視覚的な鋭さに切り込まれる。既存の語彙で名指すなら「卑猥」としかいいようのないムーブなのだけど。
また、望月さんはとにかく観客を「見る」。望月さんは「見る」ことで、視線の相互作用に巻き込まれることを受け入れている。シリアスなベッド中、観客のちょっとした行動で吹き出したりしているのには、びっくりした(まあ確かに笑っても仕方ないようなことではあったが...)。もちろん、ごく一部の観客しか気づいていない程度で、演技の進行も破綻しない。けれどそもそも、シリアスな演技中に、何か観客に動きがあってもふつうは演技を優先してスルーしてしまうし、そこで視線のコミュニケーションは取らない。自分が視線を向けることで観客に変化を与えることは当然やるにしても、自分も観客から影響を被ることをここまで自然に受け入れている人はなかなかいないのではないだろうか。
いっけんフレンドリーに視線を合わせにいっているように見えても、その実、いっこうに変わる気がない身体というのがある。それはそれで覚悟のあり方だろうけど、望月さんの融通無礙を知ったあとにどの程度信頼できるものなのか、少なくともかすかに疑いは抱かざるを得なくなる。
それにしてもOPもポラも本当にひどくて、ずっと笑わされてしまった。
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