御幸奈々(-)
白雪(2)
MINAMI(2)
萩尾のばら(1-2,4)
中条彩乃(1-2)
宇佐美なつ(1-4)
土曜日、知り合いと話していて「次は何曜に行くんですか?」と訊かれて、複数日通うのが当然の習慣になり、かつそれが他人に認知されてる状況になっていることに変な気分だったが、この日劇場にいた武藤さんに至っては新年の挨拶もそこそこに「いなくてびっくりした」などと言い出した。
深追いをしない年なので省エネ(体力・金銭)で過ごすことに。
白雪さん、ワンステージだけ。
さすがに評判が高まっているらしいようす。
今日もまた振付のディティールを変化させていた。舞台裏の慣れないこともまだまだあるだろうに、驚くべきこと。変に新人さんを高く見積もってるわけでもなく、舞台裏の動きのコストは思ってるよりも高いはずで、パフォーマンスの変化に気持ちを向けるバッファが残っているというだけでもかなりすごいと思う。
そろそろ誉め殺しもなんなので、一点気になる・これからの変化を待ちたいのは、「ポーズ」の質感だけは先輩方のそれと違っていて、形をなぞるようなかっこうに見える。多分これは元の背景の差なのかなと思うし、その差が先行するポーズの良さと新たな差異を生み出していく可能性がある。
仕組みもよく知らない素人なので伝えはしなかったけど、今週めちゃめちゃお勉強に勤しんでほしくもある。
のばらさん。『JOY』の面白さが自分に定位したなと感じるのは、気づいたらセトリを組んで立ち上がりの曲などしつこくリピートして聴いてることにある。
ストリップが与えてくれた最も大きな喜びのひとつは、ごくごくポピュラーなヒット曲がそれこそ「裸」になるように、社会的な位置づけや先入観をいったんリセットして印象をまったくあらたにして聞こえてくること。
そうした印象をあらたにしたなかで見るM3のポーズベットも、かなり気持ちいい。
M4、立ち上がり曲のイントロのホーンが鳴り出し、パチっとウインクをキメることで、この時間の幸福感を観客と約束するかのようにみえる。そうした幸福の約束を衒いなく差し出せるのが良いパフォーマンスであることは間違いない。
「楽しむ」ことが最終的に観客のほうへ心を向けることと矛盾ない状態にできるのはキャリアの長短と関係しないが、それでも一年の積み重ねが可能にした説得力でもあるのかなと想像する。
文字数増えてるときは大抵は特に楽しかった日なのだけど(書くことは思い出すことに拠っていて、思い出すことは再演だから、書くことが快感になる)、それだけこの日の宇佐美さんは最高だった。
『アンビバレント』、M1の2手目3手目あたりで絶対良い回になるのがありありと確信できただけでなく、M2あたりで投光が森さんにスイッチしたのが分かる爆音オペレーションになり、その音の厚みに押されて踊りがガンガンにドライヴしだして溶けそうになる。この演目は手数多い分、ノればノっただけ強いシンクロを感じる。
ところで、さっきの白雪さんのポーズの「形」の話はここの対比において明瞭で、宇佐美さんがこれでノリに乗ってるときのポーズは本当にフレッシュ(新鮮さ/肉感)であって、その静止型の輪郭を漏れ出す無形の「力」としか言いようのないものが竜巻のように盆に登りだす。
これは抽象的なようでいて常識的な経験の範疇でもあって、誰かの視線が近くを見ているのか遠くを見ているのか、その視線を見る私たちが容易に判定できるのと同じで、力の指向性は人間の同期的な認知能力によって簡単に測ることができる。その意味で、この回は圧倒的な力が投げ出されたポーズになっていた。
自分でヤケクソで出したEDの喩えにふとあらためて感じ直すことあったのだが、このくらい気持ちいいステージのときは別に勃起的に興奮してるということでもなく、快感が局在化せずもっと全身が性感帯になってるような皮膚感覚の鋭敏さがある。性器への囚われが消えて、何もかもどうでもよくなること、それがいちばん深い快楽に思う。
『ナイトクルーズ』も出だしからずっと最高。「言葉が意味を––」という歌詞に合わせて両手を羽ばたくように動かす振りがあるのだけど、あたかも身体の周囲に無数の蝶が舞っているようにみえるその動きと歌われるところの「意味」が重ね合わせられるとき、言葉が確固たる一義性でなくゆらぎという多義性に開かれて、「詩」をそこに招き入れているかに感じられる。
詩は尋常で日常的な言葉から逸脱する言語使用法であり、言葉の意味を生み直していく営みでもある。そうした視点からすれば、振る舞いや仕草や視線のいちいちが、都度に確定的な演目の意味を揺らがしていく詩作のようでもある。電波の届かないラジオも、座る者ない椅子も、そこに宇佐美さんが介在することで束の間に新たな意味を与えて––とはいえ、蝶が花に触れていくように軽く––戯れるようでもある。
この演目の踊りと仕草とをゆるやかに、しかし分ちがたく互いを往来するようなありかたは、個人的にはとても憧れるようなありかたであって、そうしたありかたを自分のなすべき表現として演じている舞台がここにあるということに、何度でも陶然としてため息をついている。
『アブダクション』。踊りが良すぎてED治りました。
徹底してイジる側につく人生だったのだが、冒頭のとおり、ここにきてイジられ役がまわってきた。
今週、どの日に何回行くかなどまったく決めないでいたし、この日も3回目見たら帰ろうかなどと考えてたはずなのに、さて4回目に備えて晩ごはんでも...というところで最後までいるつもりな自分に遅れて気づいた。
それを武藤さんと渡邊さんに話したら「もっと理性的に動いてください」「いや、(筆者には)無理ですよ」と続け様に言われ、そのふたりの言葉の間の良さが完璧すぎて他人事のように感嘆してしまった。こんな即席漫才が聞けるならイジられるのも悪くない...(そういうことではありません)
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