2022年2月19日土曜日

2月18日(金)[シアター上野]

新井見枝香(-)
箱館エリィ(-)
水咲カレン(-)
黒井ひとみ(1-3)
宇佐美なつ(1-4)


謎のスタンプカードは手違いによってクラファンリターンの回数券が手元に渡っていたものと判明。いちばん強面な感じのスタッフさんが丁重に対応してくれた。


上野なんていつでも来られるのだが、劇場とセットになったとき特有の街の把握があって、今日が最後ということで食べ歩いたり散歩を満喫してしまった。
4回目は、そんなに寒くもなかったので夜の不忍池を眺めながら一時間くらいボーッと3連投のことを思い返していたりした。ここの池の向こうにWilcoの"Yankee Hotel Foxtrot "のジャケみたいにタワービルが見える風景がとても好きだ。べつにこのアルバムは好きじゃないのだが。


3回目『アブダクション』。立ち見だったこともあるだろうが、ベッドでポーズを切ると、観客全員の視線の中央にある裸体が供儀に捧げられた肉体のような崇高さを放っていておそろしいほどだった。以前『w-e(n)dding』のときも似たようなことを感じたことがあり、どういうことなのか掴みかねている。
いずれにしても、この回すばらしかった。


4回目『positive』。昨日にM1から...という話をややネガティヴにしたばかりだったけれど、動き出しから解像度が全く違うパターンの回で、最高が約束されたようなスタートであった。こういう段階の踊りになると、それを形態的・音楽的に把握する力は消えていく。いや、拍から拍を飛び移る腕の振りのタイム感、スムーズな軌跡を追うほどに「良い」と思う機会が多すぎてダメになっていってしまう。2拍で遷移する振りの変化と、そうした遷移をたった今アドリブで繰り出し続けているような生き生きとした時間がその表情に無上の笑顔として刻印されたかと思えば、すべてを裁ち落とすように官能的なクールさを直ちに取り返したりする。あらゆる感情の起こりが波打つように劇場を揺らしていく。
ポジティヴさが生きることを肯定することなら、それは必然的に未来へ向けられた構えであり、その構えが正しければ正しいほど未来の究極である死を見据える。この回、あーすべてがいつか終わっていくんだなという感慨に打たれて泣いてしまった。ここにいる全員がいつか死に、いずれは劇場も何もかも消え去る。それは避けようのない事実であり、しかしそこまで手元に手繰り寄せる必要のない事柄でもある。だが『positive』が効果の最大において何もかも満たしていく肯定感を持つと–––少なくとも私がそう感じられるなら–––この幸福感と終わりが分かちがたいことだと感じるのは、どうしたって正しいと思う。


ここは日記なので、批評とかそうした公益性とほとんど無縁な私的な感情の動きが記録されていく。多少分析的にみえても、他者に資するというよりは自分に見えているものを仮止めしておくために言葉を使っているだけにすぎない。単にそれを忘れたくないだけ。


私が幼稚に寂しがるのを知ってて、絶妙な半笑いみたいな顔で写真を撮ってた時間が嬉しかった。


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