2021年9月11日土曜日

9月11日(日)[渋谷道頓堀劇場]

葵マコ(2-3)
栗鳥巣(2)
六花ましろ(2-3)
京はるな(2-3)
美月春(1-3)


午前に渋谷で用事があったこともあり、またチームショー「GIRLS」が気になったため2日続けての観劇へ。さすがに疲れたが、充実...

葵マコさん2回目の演目がとてつもなく素晴らしい。冒頭からすべて服を脱ぎ捨てて踊るのだが、そうした脱ぎ去りが強調されるわけでもなく、表情や仕草の豊かさにあふれていて、ひたすら魅力的だった。忘れがたい演目がまた増えた。

栗鳥巣さんは芝居仕立ての「援交」もの。精液を見せる仕方も、またそれを繰り返しすることにも知性と芸の両立がある。

美月春さん・京はるなさんチームショー「GIRLS」。女ギャング2人組で、美月さんがデニムのホットパンツにピンクのファージャケット、京さんがゴスロリ風のドレスにぬいぐるみを抱いたキャラ。凸凹感の設定にも先行するなんらかのジャンル物の記憶が響いているが、ようするにラス・メイヤー(未だに一本も見たことないが)的な美学を源流としたエロ×バイオレンスの系譜に属するもの。
冒頭の強奪シーン(あらかじめ京さんが客に札束を仕込ませている)に醸される芝居の空気は、大道芸というかマイム系のユニットにもありそうなそれで、めちゃくちゃ警戒してしまうが、酒を呷って盆で寝転ってる美月さんを京さんが脱衣させ、ペニバンを装着させてハードなセックスシーンに移る一連のシークエンスでは、コミカルな空気が行為のハードさへとシームレスに変化する(一般社会であれば表現とはいえ穏当にせざるを得ないシーンが省略されない)ことで、まさに「ストリップ」固有の可能性をみせつける。演者同士の準備されたパフォーマンスであり、それが張形とはいえ、行われているのは"まな板ショー"である。正常位で美月さんが腰を動かすことは演技でも何でもなく、実際の京さんとの性行為そのものであって、コントのワンシーンに収まりきらない強度がある。しかし、選曲の一貫性が当初のポップさを損なうことがないから、その後2人でポーズを切れば、ストリップそのもののカタルシスと、バディもののカタルシスをいいとこ取りしたような高揚感にあふれる。
とても面白いステージだったけれど、冒頭の空気感やセックスシーンなど、それ自体切り出すと素直に楽しいかどうか微妙なものも、ギリギリのラインで綱渡って面白さの方へ連れて行ってくれた、という感じもある。それは美月さんと京さんのビジュアルの作り込みや演技力にも支えられているだろうし、ストリップという芸能では何をやってもいい(アンモラルな、というか単純に作品表現の制限のなさ)ということへの迷いなさがあるのだろうと思った。

前後するが引退作の「Truth」で、自分が初めて見る"引退する踊り子"の姿と、それを見て泣いている観客の顔に、思いが募って自分もつられて泣いてしまいそうになる。
ごく短い間に何度か見たにすぎない踊り子さんでも、そこに集まるお客さんたち同士の、あるいは踊り子さんとの縦横の関係性は合間合間に伝わらざるを得ないし、様々な歴史がみえる。そうした様子を眺めながら、かつてはこの場所でひとりのお客さんとして見ていたはずの人の姿も不意に思い浮かべてしまう。それは単なるそれぞれへの思い入れや感情移入を越えた、この「場」に流れた時間が重なりとなって現在に畳み込まれるような、自分にはしばしばある——しかし常に特別な——体験でもある。


...ついで余談だが、翌日、数年ぶりに『喜劇特出しヒモ天国』を見なおしたあと、原芳市『ストリップのある街』の年表を手繰っていて、既知の劇場で行われた出来事のさまざまを読んでいるときも、そうした感覚に陥った。


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