2021年8月18日水曜日

8月18日(水)[渋谷道頓堀劇場]

美月春(-)
悠木美雪(-)
ささきさち(1)
美らかのん(1-2)
宇佐美なつ(1-2)


制作の進捗が芳しかったので、つい渋谷に。たぶん、道劇をカフェかバーかなにかと勘違いしている。
しかし今日は制作のあとなので、初心に帰ってひさびさ勉強モードで。というか逆に、最近がいかにズブズブな溺れ具合だったかに気づいたりする。ただそんな勉強モードも最初だけで、結局途中から気持ちよくなってふわふわしてしまう。「サマーチュール」がほんとうに好きだな俺は...それでも何か得ようと、直後のPC作業に向かう前に、ちょっと快感を切り離して粘る。


たぶんこれは宇佐美さんのクセみたいなものだと思っているのだが、演技中、不規則にではあるがしばしばビートに対して顔でヒットを打つような仕草がよく見られる。これがずっと気になっていた。その仕草はクセに見えつつも、ある効果を与えている手触りがある。
まず表面的には、絶えず動いているぶん、視覚的な単調さを免れる効果はある。同時に、その仕草が音楽と相同している限りにおいて、観客の意識を音楽のほうへとフォーカスさせ得る。ダンスの振付がそうした効果を担う本流ではあるのだが、手振りやステップが止まる時間...つまり衣装の調整や盆でリズムと遊離して脚を揺らすシーンなどにおいて、このヒットが「聴取のモード」を保持しつづける。
音楽への聴き取りの促しはしかし、別に宇佐美さんから観客へとそう強く求められているわけではない。ヒットはごく自然に表れる(とはいえアドリブとはまた違う)。だからこそ機能し得る。この仕草は、それが厳密な構成の一部ではないからこそ、生な身体にいくぶん近い。構成という共有物を越えて、ほのかに香るがごとき"宇佐美さんの音楽の聴き取り"へと、パフォーマーがいまどのように音楽を聴いている/感じているかへと、ふと感覚を重ねるように同期的に伝わってくる。こうして意識は音楽へと向けられるものの、パフォーマーからも離れきらずに、第三の「音楽/体」の関係に、部分的ながら参入するような感じがある。
おそらく自分がこだわってるのは、おそらく宇佐美さんなら「あなたと私の物語」というところの「と」をつなぐものが、音楽でもある、という点。何より他のどんな踊り子さんを見てもこんなに音楽を感じることはないし、音楽を感じ合うことで「あなたと私」の関係の足場が築かれてる、という話を、宇佐美さんの感想で何回も繰り返した気がする。まあ、ちょっとしたクセから穿ちすぎている気はするものの、ひとまず手がかりのようなものとして。

ところでデニムの脱ぎがどんどんエロく感じられるようになってきた(ご本人もこだわりはじめているとのこと)...あれは本当にすごい。それこそ「顔」がいろいろな表情を持つように、「尻」や「胸」も豊かな表情を持つということ。

「positive」は今日も幸せでした。今日は泣かないな、と確かめるように時間がすぎていくが、最後また泣いてる。爛漫たるダンスの歓びがいついかなるときでもステージに咲き乱れる。毎回言うけど、こんなものを見て平然としてるほうがおかしいんで!
しかしいっぺん「俺が見てる宇佐美なつ」を宇佐美さんに見てほしいくらいである。

本筋とは関係ないというか完全に余談だけども、自分はあるパフォーマーの信頼の基準に「他人のパフォーマンスを観るかどうか」というものを置いている。
これはほとんど絶対的で、他人のパフォーマンスを見ないやつは大抵そいつ自身の芸もぜんぜんダメで、優れた能力を持ってる人ほど他人のパフォーマンスをよく観ている(自分はといえば、すぐ判断してしまうので、時間の無駄を感じたら離脱することが多いが)。
それで今日ちょっとした会話のなかで、宇佐美さんも頻繁に「お勉強」をしていることが分かって、勝手にすごい嬉しくなる。もともとお客さんだから当たり前とはいえ、そらそうですよねーとなった。

単純に、またしても自分のなかで信頼が増してしまった...という話でした。

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