美月春(4)
悠木美雪(4)
ささきさち(1,3,4)
石原さゆみ(1-4)
宇佐美なつ(1-4)
雨の渋谷へ。遠征中の友人も来れるかも、なので待ち構えたが予定噛み合わず。ぜったいハマると踏んでる人なのだが...スカーレットさんも初回だけ観劇。最初こそそれなりに混んでいたが、じょじょに人が抜け、2回目から座って観られる。しかも回を追うごとに盆へ近づく。ラストはなんだかんだ初の道劇かぶり席。下手端。
石原さゆみさん。1回目が「盆カレー」。M4のバカさ加減に躊躇なく振り切れる胆力が芸人。カレー皿の上下にLEDライトを仕込んで光らせたうえ、スプーンで縁を叩いて手拍子を煽る、というシーンのどうしようもなさ。客はそりゃあ喜ぶ。自分はそれが近すぎて、かつ遠い、という感慨がある。あまりに同業者感。シャレた志向性を持つことの凡庸さを思う。自分はこんなふうにベタに突っ切ることはぜったいできない。
この回、踊り子さんがお勉強にいらしていた。こういう、演者が舞台を観ている姿がとても好きなので、つい様子を伺いそうになるが、控える。
和装演目。コレに関してはすっかり好きになってしまった。選曲のほとんどにテレビやラジオを思わせるルーツがあり、「夜明け」「日本」という歌詞の主題よりその大メディアのダサさが勝ってくる。だが、下世話に堕していかないのは、どこまでも冷めた石原さんの表情のおかげだろう。だが、ポーカーフェイスから、一拍おいてニッと微笑むのが見せ場。その呼吸には漫画やアニメでしかみたことのない非現実感がある。石原さんにはどこか現実離れした空気感が漂っている。
パーソナリティの特異さについ思いをめぐらせるが、娯楽作品としてここまでサービスでき、かつ構成や演出の端正さも備えてるという人が、そうそう思いつかない。ストリップに行くと、こういう水準のものに頻繁に何度も遭遇してしまう。
オープンショーの多幸感は今日も変わらない。ラスト回、チップをお渡しすると、例の腕を合わせる挨拶に参加する。見ているよりずっとヒットが強くて、長袖だったのに石原さんの骨がはっきり当たるのが分かるほどだった。
宇佐美さん。1回目の「サマーチュール」。水着は3日目4回目から出された、上はM1のときのフルーツ柄で下が無地にヴィヴィッドなオレンジ色のもの。水着の形状が違うので上の脱ぎは前開きになる。いつものバージョンのほうが断然にいやらしいが、下はなんかこっちのバージョンのほうがエロい、気がする。さすがにこれは好みの問題でしかないか...どれもこれも好きすぎて演目にランク付けすることに意味はないが、「サマーチュール」は相当好きだ。今までの演目には希薄な要素(「w-(e)ndding」は別として)に思えていた、エロの要素をはっきり感じられる演目が好きだと思うと、不思議な気もする。
「positive」は、毎回楽しそうでいい。いや、なんという自堕落な感想。。けど、こんなに楽しそうに踊りを踊っている人を、じつはなかなか見ることができない。この演目で宇佐美さんのテンションの上下を感じたことは、たぶん一度もない。毎パフォーマンス、演目に求められているだろう踊ることの幸福感に接しているかにみえる。ひとが嬉しそうにしているとき、思わずこちらも釣られて嬉しくなってしまうし、そこに音楽の高まりが加わることで、ほんとうに幸せでいても立ってもいられない気分になる。あんなに音楽の快楽と喜びを上手にキャッチできるダンサーは宇佐美さんをおいて他にいない。
たとえばボーカルがシンガロングするとき、相同して上に向かって伸び上がる脚があるが、一気に上げきるのでなく、客の視線を釣り針にひっかけるようにした"タメ"が確実にある。この絶妙さになんども唸ってしまう。あと泣く。
「w-(e)ndding」は、今回始めてオナベに心地いい感覚があった。といっても、なにか当事者性に巻き込まれるような切なさは絶対にありつつも、それが緊張に向かうのでなく、不思議と湯船に使ってるような気持ちよさのまま観ることができた。これがなぜ感じられたか、なにが原因か、そういうことはたぶん突き詰めようがない。香盤の流れや客席の雰囲気、こちらのコンディション等々。合理的に言い得ない部分の出来事だが、経験の変質は間違いなく起きている。幅を知れることが大事。反復して観ることの醍醐味。
4回目の「サマーチュール」。思いがけずかぶりが空いてたので、どうせならと前に進んで一瞬後悔。これ、こんな位置で見たらヤバいのでは...予想通り、こんなに近くで観るものではない。最前の距離では空間の余白がほぼなく、ダイレクトに体を見つめ続けることになる。舞台のフレーム感覚は完全に崩壊する。それだけでなく、この演目はバッチバチに客と視線を交わして遊ぶ演目だけに、自ずと参加意識も高まる。通常の鑑賞の姿勢が全然役に立たない、まったく違った体験。素朴にドキドキして、単純に照れ続けてしまう。
「サマーチュール」に関して、エロいエロいと言い続けてるけれど、既視感のあるエロさでもありつつ、やはり優れたストリップがそうであるように、未知のエロさを拓いている演目でもある。まずもって、あんな水着の脱ぎ方ができる人間は世界にそうおらず、そもそもごく基本的なこととして、観られる裸を構築している段階で、それは現実の性関係の場とまた違った水準にある裸である。
が、そういうことをついすっとばして忘れかけてしまうのがパフォーマンスの強度。それでも食い下がるが、これは現実の経験に近しいところへ落とし込まれるのでない。自分の照れや緊張は、かつて経験したことのようで、やっぱりどっかで質を違えてる、と思う。やはり、互い(客席/舞台)で、理想のエロさを追い求める感じがある。
たとえば一方的な媚態の受け取りとして実際の強い性欲が喚起されるなら(もちろんそうした性欲は否定されていないが)、それは"生殺し"としての不満足感に繋がるけれど、観劇にはあきらかにすぎるほどの満足があり、昇華がある。加えて、理念にとどまらない、性行為のシミュレーションが身体に生じてもいる。観終わってからしばらく経ったあと、自分の過剰な手の暖かさに気づく。初日の1回目ほどでないにせよ、こんなにも頻繁にセックスの後の状態がトレースされるダンスが存在するという事実が、おもしろすぎてしまう。非人称的なセックスがある。
M1で帽子を被せられる役になった。「(歌詞にかけて)「冷静じゃない」人いるわ、と思って」と。ここで"頭がおかしくなる"としょっちゅう書いてたせいだそう。ブログに感想を書くと帽子を被ることになる。
ロビーで石原さんのファンのおじさんたちが、使っていた曲や次の演目についてあれこれ話していてかわいかった。ほとんど石原さんしか観ていないお客さんもいたけど、ひとりの踊り子さんだけを観つづけるのも、それはそれで一途でなにか悪い気がしなかった。
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