2021年8月11日水曜日

8月11日(水)[渋谷道頓堀劇場]

美月春(-)
悠木美雪(1)
ささきさち(1)
石原さゆみ(1-3)
宇佐美なつ(1-4)


大きな予定が飛んで、また別件で午前中に渋谷にいる。これは行けてしまうのでは...と朝から考えて、行く。2日ぶり...場内想像を遥かに超えた混雑ぶり。ゆったり観れる目算が崩壊して引いてしまう。2回で帰ろう、とこの時は思っていた。結果、ラストまでいてしまう。

6月以来のささきさちさん。前回もかなり印象的なパフォーマンスで、再見を楽しみにしていた。ラメの入ったブルーが爽やかで夏らしい大きなドレスからはじまり、下に纏っていた光沢のある白い生地の布が、脱衣ごとに形を変えてシーンを作っていく、凝ったアイディア。
ラストのポーズベットで選曲のギアがガツッと変わり、前回の印象と違わぬエモーショナルな演技。この情動の出方がとても「アイドル」っぽい。
自分のルール上、一定の面白さを感じたらポラに行くようにしてるのだが、列形成が止まらず、ささき登山の様相に思わずまたの機会にと失礼してしまう。すごい人気。


石原さゆみさん。
1回目は男物のジャケットだけを羽織ってパフォーマンスするベットのアイディアになるほど、となる。でも、もっとエロティックになるかなと期待(?)するが、穏当に終わる。しかし2回目3回目と大掛かりな小道具が増え、かなり趣向を凝らした演目を作る作家性のある方と理解。踊りそのものも、とても良い。
とりわけ、2回目の映画ネタは冒頭から幕の開きでスタンダードサイズのスクリーンを模する凝りよう。ポーズはそれまでの演技との連続性をいったんカットした上で、カーテンコール的な高揚感のもと演じられる。
3回目はさらにすっとんだ「カレー」ネタ。真顔で大量のギャグがぶち込まれてどこまで本気なのか分からないほど。中盤以降は袖から巨大なナンが引きずり出され、盆を専有する。歌詞とも微妙にかかってる。ナンに座りながらスプーンを舐めると、スプーンがでかくなる。※こちらカン違い。照明の問題だったようストリップの奥深い世界。
おしとやかなルックスから、望月きららさん(望月さんがおしとやかでない、ということではないです。いや、どうだ?)ばりにしょうもないネタが連発するのだった。闇に光るカレー皿...
石原さんもとてつもない人気。OPで、かぶりの客の肩に足をかけて股間に引き寄せるワザに笑う。

宇佐美さん。今回は具体的な感想を書くことがほとんどできない。
1回目の「サマーチュール」は、ステージの広さでM1からこんなに違って見えるのかと驚くけれど、何より初回からこんなにキレキレで踊る宇佐美さんを観たことがなかったかもしれない。振りのボキャブラリが大きく変化してるわけでもないのに、過去の演目と比べても、とりわけふっといグルーヴが作られる。この辺はまだまだ正気。
M2も、"花火"を客に促すくだりが、大きくとれた余白によって絶妙な画に。まだ正気、のはず。
M3、正気を失う。よく考えてみれば、今までの前後半で起きていたモードの変化が、今回は三段構え的に移り変わりが起きている。変身がいつもより一回多い。あと、蕨から衣装の脱ぎが一回増えている。こうした変化の豊かさも、印象を深くするのに手伝っているかもしれない。とにかく脱ぎがエロすぎる今回、ホットパンツの紐を伸ばすとき、男性器が(「を」どうこうするのでなく)そこにあるようなニュアンスを見てしまう。多重露光で重なるダブルイメージのような。
はじめて回転盆も善し悪しだなと思ったのは、世界一エロいブラの脱ぎが角度によってさっぱり見えないところ。2回とも見られなかった。すごいもったいない。見せてくれ、乳を出すところを。
この辺りでほとんどクラクラしてたけど、道劇音響であのM4からのモードチェンジを聴くと、本当にブチ切れそうなくらいアガってしまう。さまざまな感情や思いが体の底から迫り上がってきて、ポーズの素晴らしさ、体の美しさ、パフォーマーとしての芯の通り方、すべての肯定的な気持ちが渾然となって泣きそうになる。ひとつの強度が磁力を持ち、自分の何もかもを巻き込んでいく。

これも相性としかいいようがないのだけど、しかしどうしてみんなそんなに平然としてられるのか不思議な感じもする。あんなにもすごいものを見て?
どこかに寄りかからないと立てないほど溶けてしまい、同行していたスカーレットさんに何か話しかけないと、と思っても言葉が詰まって喋れなくなり、あまつさえ泣いてしまう。まさか既知の演目でこんなに食らってしまう予定はなかったし、過去トップクラスの身体反応になってしまう。

2回目、かなり見たかった香盤なのにこのあと何も見られる気がせず外に。外に出てもすぐ黙りこんでしまうし、体のあちこちがジンジンとしびれるような感じが残る。30分経ってもぼけーっとしてしまう。これ、なんだっけ...と個人史を探ると、どう考えても最上級に上手くいったセックスのあとのやつだと認めざるを得なくて、困ってしまう。まあ、相手はプロだしと思ってその感想は伝えた。冷静に考えると、またとんでもないことを言っている。

「Positive」でも案の定堪えられず泣いたとか、「w-e(n)dding」で疲れた(ベットがいつになく生々しくて余計つかれた)とか、感想はいくらでもあるのだが、1回目の出来事が強すぎて、それさえ残しておけば自分にとっては充分。

よく現場でお見かけする方に声をかけて、ロビーであれこれ宇佐美さんの話をする。知り合いが少ないから、とても楽しい。好きな演目の話で「黒煙」が挙がる。自分が初めて観た演目なので、なぜかそれも嬉しい。いつかまた観たい。
そうして話していてなんとなく思ったけど、いや、ずっと思っていることだけど、こうして明らかに強すぎる愛着をもって、かつ平均から多く外れて感想を伝えたり書いたりしていて、負担にならないのか、それだけは気になってしまう。思いがけず誰かの強い愛着の対象になってしまうことは、必ずしもいいことではないし、いつまでもこんなテンションでいいのか...というのは考え込んでしまうことがある。

にもかかわらず、今日の一回目の感想は流されたくないなというエゴがすごく働いて、ラストのやりとりで覚えてるか訊いてみると「面倒くさいオタクが言いそうな感想でしょ、覚えてるよ」とあまりにも的の真ん中を射抜くコメントが返ってくる。面倒くさいオタク、本当にそれすぎる。あと、余計なものまで読まれていることが分かる。

ところで、宇佐美さんの表情がオーバーアクト気味では、と言及する感想をちらっとみかけた。実は、最初の頃自分も少しだけ似たようなことを感じることがあった。
宇佐美さんの表情はどれも印象強く、またそれがはっきりコントロールされて打ち出されてるのも分かるだけに、複数の演目をまたがって表れると、ある程度の均質化を免れない部分があるにはあると思う。けれども、それを否定的に乗り越えて成長することを望むのでなく、むしろその資質の批評的な展開が、本人のうちから自ずと説得的に提示されるとのだと、いつしか理解を修正していた。
たとえば「Bubble」のM1では遥かに予想を超える量のバリエーションとスピードが、ほとんど"顔芸"の域で作動しつつ、しかし下品さはどこにもない不思議なニュアンスを出すことに成功していたし、「w-e(n)dding」のベットでは圧倒的なリアリティを切実に訴えかける表情にもなっている。ある表情の表れが一義的な意味の押しつけになることは多々あるにせよ、宇佐美さんの表情がそうでしかないとは、ちょっと思えなくなった。
オーバーアクトだと思うのはわりと簡単なこと(ある種の規範を任意に適用すればよい)でもある。しかし、一見して過去の蓄積から対照して疑問に思うような表現でも、かなり可能性の余地があるのだ、と、宇佐美さんを観ていると思う。だって、あんなに退屈なはずのオナベがあんなことになるなんて、誰が想像できたというのか。

もちろん、宇佐美さんに肩入れしているから、チャリタブルに見すぎている、というところもある。けど別にどうしても擁護したいわけでもないし、疑問があれば書くし言ってるつもりでもある。まあでも基本的には、死ぬほど好きだ、と常に思っている。

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